💎自分の仕事!
どんな仕事でも、それが世の中に必要なればこそ成り立つので、
世の中の人々が求めているのでなければ
その仕事は成り立つものではありません。
人々が街で手軽に靴を磨きたいと思えばこそ
靴磨きの商売も成り立つので、
さもなければ靴磨きの仕事は、生まれもしないはずです。
だから、自分の仕事は、自分がやっている自分の仕事だと思うのは、
とんでもないことで、
本当は、世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのです。
ここに仕事の意義があると思うのです。
自分の仕事をああもしたい、こうもしたいと思うのは、
その人に熱意があればこそで、まことに結構なことなのですが、
自分の仕事は、世の中の仕事であるという事を忘れたら
それはとらわれた野心となり小さな自己満足となってしまいます。
仕事が伸びるか伸びないかは、世の中が決めてくれます。
世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよいのです。
いつの日か必ずその仕事も他人に譲る時が来るのですから....!
大切なことは、世の中にやらせてもらっているこの仕事を
誠実に謙虚に、そして熱心にやることです。
世の中の求めに精いっぱいに答えることです。
おたがいに自分の仕事の意義を忘れたくないものです。
💎しかも早く!
物事を丁寧に、念入りに、点検しつくしたうえにもさらに点検をして、
万全のスキなく仕上げるという事は、
いかなる場合にも大事な事です。
小事をおろそかにして、大事は成し遂げられません。
どんな小事にでも、いつも綿密にして念入りな心配りが求められるはずです。
しかし、物事を念入りにやったがために、
それだけ余計に時間がかかったというのでは、これはほんとうに事をなしたとは言えないはずです。
昔の名人芸では、時は二の次、それよりも万全のスキなき仕上げを誇ったのです。
徳川時代の悠長な時代ならば、それも心のこもったものとして、
人から喜ばれもしようが、今日では、
時は金なりの時代です。
一刻一秒が尊いのです。
だから、念入りな心配りがあって、しかもそれが今までよりもさらに
早くできるというのでなければ本当に事をなしたとは言えないし
また本当に人に喜ばれもしないのです。
早いけれども雑だというのもいけないし、丁寧だがおそいというのもいけないと思うのです。
今は、念入りにそして、しかも早くというのが、名人芸となっていると
思います。
💎プロの自覚!
プロとは、その道をわが職業としている専門家の事です。
職業専門家とは、つまりその道において、
一人前にメシが食えるという事です。
いいかえれば、その道において他人様から、おカネをいただくということは、
すでにプロになったという事なのです。アマチュアではないという事です。
芸能やスポーツにおいては、プロとアマとの区別は厳しい。
真にプロに値するものでなければ、
お客は、たやすくおカネを払ってはくれません。
お客は、慈善の心で払いはしないのです。
だから、プロを志すという事は容易ではないし
プロを保持するための努力をも並大抵ではありません。
甘えてはいられません。
学校を出て会社や官庁に入る。
入れば給料がもらえます。
月給をもらうという事は、いいかえれば、
その道において自立したということであり、つまりは、
プロの仲間入りをしたという事なのです。
もはやアマチュアではないという事です。
そうとすれば、芸能界やスポーツ界の人々と同じく
また、プロとしてのきびしい自覚と自己練磨が必要となってくるはずです。
おたがいにプロとしての”自覚”があるかどうかです。
💎敵に教えられる!
己が正しいと思い込めば、
それに異を唱える人は万事正しくないことになります。
己が正義で、相手は、不正義なのです。
いわば敵なのです。
だから憎くなるし、倒したくなるし、絶滅したくなるのです。
人間の情として、これもまたやむをえないかもしれませんが
われわれは、わが妨げとばかり思い込んでいるその相手からも
実は、いろいろの益を得ているのです。
相手がこうするから、自分はこうしよう
こうやってくるならこう対抗しようと
あれこれ知恵をしぼって考えます。そして、次第に進歩するのです。
自分が自分で考えているようだけれども
実は相手に教えられているのです。
相手の刺激で、わが知恵を絞っているのです。
これを、敵に教えられていると表現できると思うのです。
倒すだけが能ではなく、敵がいなければ教えもない。
したがって進歩もないという事です。
だから、むしろその対立は、対立のままに認めて
たがいに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めるべきと思うのです。
つまり対立しつつ調和する道を求めるべきと思うのです。
それが自然の理というものなのです。
共存の理というものなのです。
そして、それが繫栄の理でもあるのです。
💎あぐらをかく!
一日の精一杯の働きを終えて、
我が家の居間にゆったりとあぐらをかけば、
心もくつろぐ、身もくつろぎます。
だから、身を動かすのがつい億劫になり、
家人からとかく小言のひとつもいわれやすくなります。
我が家の居間ならそれもよいけれど、
やたらにあちこちであぐらをかかれたら、周囲の人が迷惑をします。
じゃまになります。
ましてや、自分の地位や立場にあぐらをかいて
仕事本来の使命を忘れて、自分自身のことにとらわれて
なすべきこともなさぬようなことがあったとしたら
じゃまや迷惑では済まされなくなります。
与えられた仕事が進まないだけではなく、周囲の働きを遅らせて
ひいては、社会の発展をも阻害することになります。
それぞれの地位や役割というものは、
それぞれに担当している仕事を、周囲の人々と相協力して
よりすみやかに、より高く進歩させ充実させてゆくことによって
社会の発展、人みなの繁栄に資するために与えられているのです。
そんなところであぐらをかいていていいはずがありません。
お互いに自分の仕事を、自分の役割を、もう一度、
よくかえりみたいものです。
💎己を知る!
戦いは、まず敵を知ることから始めよ、とはよく言われることです。
太平洋戦争において我が国が負けたのも、
米国の力をよく認識していなかった、
相手をよく知らなかったからだと言われています。
それも確かに一理あると思います。大事な事です。
しかし、敵を知る前に本当はもっと大事なことがあるのではないでしょうか?
それはつまり、まず”己を知る”ということです。
己を顧みるという事です。
敵を知ることもむつかしいけれども、
己を知るという事は、もっとむつかしいのです。
しかし、敵を知らなければ、勝負は定まらないとしても、
己を知らなかったら、戦いには、かならず敗れます。
連戦連敗、その敗因は、わが身にありです。
世事万般、これと全く同じことが言えると思います。
みずから不都合を生み出している場合が案外に多いのです。
敗因われにありという悔いをおたがいに残さないためにも
己を知る心がけをいかなる場合も失いたくないものです。
💎わけ入れば!
わけ入れば思わぬ道があるというのは、
何も野や山の道のことだけではありません。
いままで、これが一番良いと思っていたものが、
やがてもっと良いものができてきて、
だから前のものは古くなって、おたがいにさらにゆたかな生活を
楽しむことができるようになるのです。
こうしたことは、おたがいの日常の暮らしの上に刻々に見られることであるけれど、それはたとえ自分が考え出さなくても
多くの人々のなかの誰かが、
「もうこれでいいのだ」
「もうこれでおしまいだ」などとあきらめないで
「もっとよい方法があるはずだ」
「もっとよい考えがあるはずだ」という
真剣な思いで真剣な努力を重ねてきているからです。
長い人類の歴史は、時に曲折はあったとしても
こうしておおむね進歩発展の一路をたどってきました。
今後もまた、限りなく発展していくに違いありません。
人間というものは、本当に偉大なものと思います。
われわれもまた、この人間の歴史の一コマを担っているのです。
だからこそ、どんな事にも、
もうこれでいいのだ、もうこれでおしまいだ、などと
安易に考えないで、
わけいれば思わぬ道もあるという思いで
日々ひたすら歩みをすすめてゆきたいと思うのです。
💎覚悟はよいか!
事に臨んでイザというときに、うろたえもせずあわてもせず、
日頃の覚悟のほどを示して決然と、
しかも悠揚(ゆうよう)としてことにあたるということは、
まずはおたがいになかなか至難の事です。
ことほどさように、つい日々をウカウカと過ごしていることになるわけで
だからイザ”覚悟はよいか”と問われたら、なすすべもなく
呆然自失(ぼうぜんじしつ)、悠揚決然(ゆうようけつぜん)どころではないのです。
しかし、よく考えてみると、
日々の営みのなかにおいて、おたがいに刻々に
その覚悟のほどを問われているわけで
たとえば、今日の交通地獄のなかでは、一歩家の外に出れば
いついかなる危難がふりかかるか分からず、すでにここにおいても
その覚悟がうながされているわけです。
すべての事において、いろいろの姿で刻々に
”覚悟はよいか”と問われているのです。
そのことを自ら察知して、自問自答をするしないかは、
その人の心がけ一つのはずです。
ましてや昨今の我が国の社会情勢、経済情勢は、
世界の動きとともに寸刻の油断もならない様相を呈しつつあります。
つねに”覚悟はよいか”と問われることを、
おたがいに覚悟したいものです。
💎信念のもとに!
昔の商人は、”点是(てんぜ)とのれんというものをずいぶん大事にしました。
ときには、自分の命よりもこれを大事にしました。
伝来の点是とのれんを守ることに、
商人としての生命をかけて、これに強い信念を置き、
誇りを感じていたのです。
時代は変わりました。人の考えも変わりました。
しかし、「信念に生きることの尊さには、少しも変わりはありません。」
いや今日ほど、事をなす上に置いて信念をもつ尊さが痛感されるときはありません。
為政者に信念がなければ国はつぶれます。
経営者に信念がなければ事業はつぶれます。そして、
店主に信念がなければ店はつぶれます。
誇りを失いフラフラしている時ではないはずです。
正しい国是を定め、誇りある社是を定め、力強い点是を決めて
強い信念の元に、自他ともに確固たる歩みを進めたいものです。
そこから、国家の、事業の、お店のそして、
おたがい個々人の真の繁栄が生み出されてくると思うのです。
💎病を味合う!
病気になって、それが治って、治って息災を喜ぶうちにまた
病気になって、ともかくも一切病気なしの人生というものは、
なかなか望めないものです。
軽重の違いはあれ、人はその一生に何回か病の床に臥すのです。
五回の人もあろう。十回の人もあろう。
親の心配に包まれた幼い時の病から、
不安と焦燥に悶々とする明け暮れに至るまで、
人はいくたびか病の峠を越えていきます。
だがしかし、人間にとって所詮、死は一回です。
後先にも一回きりです。
とすれば、何回病気しようとも死につながる病というのも一回きりです。
あとの何回かは、これもまた人生の一つの試練と感じませんか!
いつの時の病が、死につながるのか、それは寿命に任すとして、
今度の病もまた人生の一つの試練なりと感じれば
そこにまた、おのずから心もひらけ
医薬の効果もさらにこれが生かされて回復の道も早まるに違いありません
病を味合う心を養いたいものです。
そして、病を大事に大切に養いたいものです。
💎花のように!
砂漠に見出す清らかな泉は、
旅行く人の喜びであり憩いでありそして励ましでもあります。
荒涼たる山野に、毅然として咲き誇る一輪の花は、また旅人へのこよなき
慰めとなり励ましにもなります。
今の世の中が、荒野の如く荒れ果て枯れ果てていることはあえて
言いませんが、
それでもこのむつかしい時代に、人々の心は、次第に落ち着きを失い
索漠たる気配が感ぜられぬこともなきしにもあらずです。
お互いに手を繋ぎ、助け助けられながら生きねばならぬこの世の中です。
人の心が、砂漠の如く荒れ果ててたまりません。
せめて我々だけでも、清らかな泉のように、穀然たる一輪の花の様に
強く正しく働いてゆこうではないですか。
むつかしいことかもしれませんが、
自分の仕事に誇りを持ち
自分の働きに意義を感じるならば、わが身の処し方もおのずからに
見出されてくるはずです。
どんな世の中になっても
慌てず、うろたえずに社会への奉仕を心掛けていきましょう。
その姿自体が、人々にとってすでに大きな励ましとなり
憩いとなるのです。
花の様に。泉のように。そこにわれわれの喜びもあるのです。
💎一人の知恵!
おたがいに神様ではないのだから
一人の知恵には、限りがあります。
それがどんなに偉い人でも、やっぱりその人一人の知恵には、
限りがあります。
こんな限りのある知恵で長い人生を歩み、
広い世の中を渡ろうとするから、ともすればあちらで迷い、こちらでつまづくのです。
自分一人ですむことならそれでもまたよいかもしれませんが
この世の中に住む限り、人々はみな繋がっているから、
自分がつまずけば他人も迷惑します。
他人に迷惑をかけるくらいなら、一人の知恵で歩まぬ方がいいのです。
わからないことは聞くことです。
知らないことは尋ねることです。
たとえわかっていると思う事でも、もう一度人に聞いてみることです。
相手がどんな人であろうと、こちらに謙虚な気持ちがあるならば、
思わぬ知恵が与えられるのです。
つまり、一人の知恵が二人の知恵になるのです。
おたがいに、一人の知恵で歩まぬよう心がけたいものです。
💎一陽来復(いちようらいふく)!
広い世の中、長い人生、いつも心楽しいことばかりではありません。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば
これはこれでまことに結構なことではあるけれど
なかなかそうは事が運びません。
時には悲嘆にくれ、絶対絶命、思案にあまる窮境に立つことも
しばしばあるでしょう。
しかし、それもまたよしなのです。
悲嘆のなかから、人は初めて人生の深さを知って、
窮境に立ってこそ始めて世間の味わいを学び取ることができるのです。
頭で知ることも大事ですが、身をもって知るという事がなによりも大切な事なのです。人間という生き物にとっては!
塩の辛さは、なめてみてはじめてわかります。
知るという事にもいろいろあるのです。
窮境にたつということは、身をもって知る尊いチャンスと思うのです。
得難い体得の機会だと思うのです。
そう考えれば、苦しい中にも勇気が出ます。元気が出ます。
思い直した心の中に新しい知恵が湧いて出ます。
そして、禍(わざわい)を転じて福となすです。
つまり、一陽来復、暗雲に一すじの陽が差し込んで
再び春を迎える力強い再出発への道が開けてくると思うのです。
💎商売の尊さ!
長い人生、迷わずに進むという事は、なかなか容易ではありません。
その迷いの人生に、一すじの光明を与え、
心豊かに生きる喜びを与えるのが、いわゆる宗教というもので
過去の歴史においても、人を救い、世を浄化し、そして、
数々のゆたかな精神文化を生み出してきたのです。
人々を救うという信念のもとに
世間の求めるものを進んで与えていく。だからこそ
心から感謝されて、そして、その喜びにふさわしい寄進が集まるのです。
浄財が寄るのです。今の宗教団体は⁈
しかし、考えてみると、商売というものも、
この宗教に一脈相通ずるものがあるのではないでしょうか。
商売とは、暮らしを高め、日々をゆたかに便利にするために
世間の人が求めているものを、
精一杯のサービスを込めて提供していくのです。
だからこそ、それが不当な値段でない限り、
人々に喜んで受け入れられて、それにふさわしい報酬も得られるはずです。
それを、心ならずも値切られて、正当な報酬もえられないままに苦しむというのであれば、これははたしてどこに原因があるのでしょう。
おたがいに、宗教の尊さとともに商売の尊さというものについても
今一度の反省を加えてみたいものです。
💜(追伸)💜
長い一生のうちに人はいくたびか
自分の将来を左右する岐路に
血のにじむ思いで立たねばなりません
長い歴史のうちに国もまた、いくたびか自らの行く末を鋭く見極めるべきなのです
意義深い時期にみまわれる
緑豊かな国土、香り高い伝統と歴史
そこに培われた民族の優れた素質
この日本の未来を今静かに見極めたい心地なのです