💎心配またよし!
何の心配もなく、何の憂(うれ)いもなく、何の恐れもないということになれば、
この世はまことに安泰、きわめて結構なことであるが
実際はそうは行きません。
人生常に何かの心配があり、憂いがあり、恐れがあります。
しかし、本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを賢明に
そしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに
人間としての大きな生きがいを覚え、人生の深い味わいを感じとることが大切なのです。
この心構えがなければ、この世の中は、まことに呪わしく
人生は、ただいたずらに暗黒ということになってしまいます。
憂い事に直面してもこれを恐れてはなりません。
しりごみしてはなりません。
”心配またよし”です。
心配や憂いは、新しくものを考え出す一つの転機ではないでしょうか。
そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力を絞る。知恵を絞る。
するとそこから必ず思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのです。
新しい道が開けてくるのです。
まことに不思議なことですが、この不思議さがあればこそ
人の世の味わいは、限りなく深いといえると思うのです。
💎根気よく!
どんなに良いことでも、一挙に事が成るという事はまずありえません。
また、一挙に事を決するという事を行えば、
必ずどこかにムリを生じてくるものです。
すべて事は、一歩一歩成就するという事が望ましいのです。
だから、それがよいことであればあるほど、そして、
それが正しいと思えば思うほど、
まず何よりも辛抱強く、根気よく事を続けてゆく心構えが
必要と思うのです。
「徳、弧ならず」という言葉がありますが、これは
正しいことはいつかは必ず人々に理解してもらえるという意味にも通じます。
しかし、これとてもいっぺんにというわけにはいきません。
徐々にという事です。
だから、いかに正しいと思う事でも、その正しさにとらわれて
いたずらに事を急ぎ、他を誹謗(ひぼう)するに急であってはいけません。
みずからの正誤を世に問うためにも、まずは辛抱強く、根気よく
事を進めていくという謙虚な姿が欲しいのです。
あわただしいこの人の世、ともすれば浮足立って、
辛抱の美徳、根気の美徳が失われがちですが、
今の時代は特にと思っています。
お互いに、謙虚に、反省したいものです。
💎窮屈はいけない!
窮屈な場所に窮屈に座っていると、
血のめぐりも悪くなって脚もしびれます。
身体が固くなって、自由な動作が取れないのです。
無作法は困るけれど、窮屈はなおいけません。
やっぱり伸び伸びした自由自在な姿が欲しいものです。
どんな場合にも窮屈はいけません。
身体を窮屈にするのもいけませんが、心が窮屈になるのは
なおいけません。
心の働きが鈍くなって、よい知恵が出てこないのです。
ものには、見方が色々あって、
ひとつの見方がいつも必ずしもいちばん正しいとは限らないのです。
時と場合に応じて、自在にかえなければなりません。
心が窮屈では、この自由自在を失ってしまいます。
だから、いつまでも一つに固執して、われとわが身をしばってしまうということになります。身動きができません。
そんなところに発展が生れようはずがありません。
万物は日に新たです。
刻々と変わっていく。きょうは、もはや昨日の姿ではありません。
だから我々も、きょうの新しいものの見方を生み出してゆかねばなりません。
おたがいに窮屈を避けて、伸び伸びとした心で、物を見て、考えてゆきたいものです。
💎けじめが大事!
朝起きて顔を洗ったら、まず仏前に座って手を合わす。
一家そろって手を合わす。
たとえ線香の一本でもよい。これで朝のけじめがつきます。
夜寝るときも同じです。
夜は夜で、きちんとけじめをつけねばなりません。
別に形にとらわれる必要はないけれど、
一日のけじめはこんな態度から生まれてきます。
何事をするにも、けじめがいちばん大切です。
けじめのない暮らしは、だらしがないのです。
暮らしがだらしなければ働けません。
よい知恵も生まれませんし、ものも失います。
商売も同じ事です。経営も同じ事です。
けじめをつけない経営は、いつかはどこかで破綻をします。
景気のよい時はまだいいですが、不景気になればたちまち崩れます。
立派な土手も蟻の穴から崩れるように。
大きな商売もちょっとしたけじめのゆるみから崩れます。
だから常日頃から、小さいことにもけじめをつけて
キチンとした心がけを持ちたいものです。
そのために何と言っても躾(しつけ)が大切と思います。
いい意味での躾(しつけ)です。
「悪い洗脳」とか「人を我が思いの通りにしよう」というのは躾(しつけ)ではありません。
この辺を誤解しないことが大切です。
躾(しつけ)=けじめです。
自分の身のためにも、世の中に迷惑をかけないためにもと思うのです。
お互いに躾(しつけ)=けじめを身につけて、けじめのある暮らしを営みたいものです。
💎つきまとう!
子供が親につきまとう。
うるさい程につきまとう。
ときに閉口(へいこう)するほどのことがあっても、それでもつきまとわれればやっぱりかわいい。うれしい。
自分の作った製品
自分の売った商品
自分のやった仕事
作りっぱなし、売りっぱなし、やりっぱなしでは心が残ります。
世間にもまた仕事にも相すまなくなります。
おたがいに、作ることに真剣で、売ることに誠実でそして、
仕事に真実熱心ならば、
その製品、その商品、その仕事の行方をしっかりと見定めたくなるものです。
見定めるだけではなく、どこまでも、いつまでも、それについて回りたいものです。
台所に入れば台所へ、座敷に上がれば座敷へ、外国に行けば外国までも
どこまででもうるさいほどにつきまといたい。
使い具合はどうですか⁈
調子はどうでしょう⁈
ご不便はございませんか⁈
故障はありませんか⁈
ときに閉口されるほどであっても、
仕事の成果を案ずるその真剣さ、誠意はうれしい、有難いものです。
こんな心がけでお互いに作りたい、売りたい!
そして、懸命に仕事をしたい!
💎引きつける!
磁石は、鉄を引きつけます。
何も目には見えないけれど、見えない力がひきつけます。
自然に鉄を引き寄せるのです。
人が仕事をする。
その仕事をする心がけとして、
大事なことは、いろいろあろうけども、
やっぱりいちばん大事なことは、
「誠実あふれる熱意」ではないでしょうか。
知識も大事、才能も大事。
しかし、それがなければ本当に仕事ができないというものでもないはずです。
たとえ知識乏しく、才能が劣っていても
なんとかしてこの仕事をやり遂げよう
何としてでもこの仕事をやり遂げたい、
そういう誠実な熱意にあふれていたならば、そこから必ずよい仕事が
生れてくるものです。
その人の手によって直接にできなくとも
その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然に周囲の人を
引きつけるのです。
磁石が鉄をひきつけるように、思わぬ加勢をひきよせるのです。
そこから仕事ができてくるのです。
人の助けでできてくるのです。
「熱意なき人は描ける持ちの如し」です。
知識も才能も、熱意がなければ無に等しいのです。
お互いに一生懸命、精魂込めて毎日の仕事に打ち込みたいものです。
💎力を尽くして!
どんな仕事でも、一生懸命に努力したときには、
何となく自分で自分をいたわりたいような気持が起こります。
自分で自分の頭をなでたいような気持になります。
今日一日、本当によく働いた、よく勤めた、
そう思う時には、疲れていながらも食事もおいしくいたただけるし、
気分も和らぎます。
ホッとしたような、思い返しても何となく満足したような、そして、
最後には、「人事をつくして天命を待つ!」というような
心のやすらぎすら覚えるものです。
力及ばずという面は多々あるにしても及ばずながらも「力をつくした」
ということは、おたがいに、
やはり慰めであり、喜びであり、そして、いたわりというものです。
この気持ちは、何ものにも代えられません。金銭にも代えられません。
金銭にかえられると思う人は、
ほんとうの仕事の喜びというものがわからない人です。
仕事の喜びを味わえない人です。
喜びを味わえない人は、不幸です。
事の成否も大事だけれども
その成否を超えてなお大事なことは、「力を尽くす」という
みずからの心のうちにあるのです。
💎おろそかにしない!
人から何かを命ぜられる。
その命ぜられたことをその通りにキチンとやる。
そこまではよいけれど、そのやった結果を命じた人に
キチンと報告するかどうか。
命ぜられたとおりにやって、その通りうまくいったのだから
もうそれでよいと考える人。
いやたとえ命のままにやったとしても、その結果は、
一応キチンと報告しないとと思い
そうすることで
命じた人は、安心するだろうと考える人
その何でもない心がけ、ちょっとした心の配り方の違いから、
両者の間に信頼感に対する大きな開きができてくるのです。
仕事には、知恵も大事、才能も大事です。
しかし、もっと大切なことは、
些細と思われること、平凡と思われることをおろそかにしない
心がけというものです。
むつかしいことはできても、平凡なことはできないというのは
本当の仕事をする姿ではありません。
些細な事、平凡な事、それを積み重ね積み重ねて
その上に自分の知恵と体験とを加えてゆくのです。
それで初めてあぶなげのない信頼感が得られるというものでしょう。
賽の河原(さいのかわら)の小石は、くずれても
仕事の小石(積み重ねたもの)というものは何があってもくずれはしません。
💎見方をかえる!
富士山は、西からでも東からでも登れます。
西の道が悪ければ東から登ればよいのです。
東がけわしければ西から登ればいいのです。
道はいくつもあるのです。
時と場合に応じて、自在に道を変えればいいのです。
ひとつの道に執着すればムリすることになります。
ムリを通そうとすると行き詰まります。
それは、動かない山を動かそうとするからです。
そん時は、山はそのままにして、身軽に自分の身体を動かせば
また、そこに新しい道が開けてくるのです。
何事も行き詰まれば、まず自分のものの見方を変えることです。
案外、人というのは、無意識の中にも一つの見方に固執して、
他の見方のあることを忘れがちです。
そして、行き詰まったというのです。
行き詰まらないまでもムリをしているのです。
われわれはもっと自在でありたいものです。
自在にものの見方を変える心の広さを持ちたいものです。
何事も一つに固執すれば言行公正を欠きます。
深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみる。
それで悪ければまた、見方を変える。
そのうちに本当に正しい道がわかってきます。
「模索する」ということの真の意味は、ここにあるのです。
そして、これができる人には、行き詰まりはありません。
お互いにこの気持ちで、繁栄への道を探ってみたいものです。
💎何でもないこと!
何事においても反省検討の必要な事は
今さらいうまでもありませんが、商売においては、
特にこれが大事です。
焼き芋屋のような商売でも、
一日の商いが終われば、いくらの売り上げがあったのか
やっぱりキチンと計算をして、
売れれば売れたでその成果を、
売れなければなぜ売れないのかをいろいろと検討してみる。
そして、仕入れを吟味して、焼き方を工夫して、サービスの欠陥を
反省して、あすへの新しい意欲を盛り上げる。
これが焼き芋屋繁盛の秘訣というものです。
ましてや、たくさんの商品を扱い、たくさんのお客に接する商売においては、
こうした一日のケジメをおろそかにし、焼き芋屋ででも行われるような毎日の
反省と検討を怠って、どうして今日より明日への発展向上が望まれましょう。
何でもない事ですが、
この何でもないことが何でもなくやれるには、
やはりかなりの修練が必要です。
平凡が非凡に通ずるというのも、
この何でもないと思われることを、
何でもなく平凡に積み重ねてゆくところから生まれてくると思うのです。
💎身にしみる!
一生懸命にやっていたつもりでも
何かのきっかけで身にしみる思いをした時には、
今までの一生懸命さがまだまだ足りぬことに気づくことが多くあります。
身にしみるということは、尊いことなのです。
有難いことなのです。
物事をきちっと誤りなく成し遂げるためには、
事の大小を問わずに、そこにはやはり、
身にしみる思いというものが根底になければならないのです。
今日、小さなビル一つを建てるのに、
文明の利器をフルに利用しても一年半はかかります。
ところが、あの豪壮華麗な大阪城が、諸事不便なあの時代に
わずか一年半で築造されたというのです。
その大業の根底には、築造に従事した人々に、
下手をすれば首を切られる、
やり通さなければ首が飛ぶという命をかけた真剣さがあったのです。
そのことの良し悪しは別として、
生命を失うかもしれないということほど身にしみるものはないという事です。
お互いにともかくも、きょう一日の仕事を続けています。
ともかくも一生懸命でしょう。
しかし、今一度、本当に身にしみる思いで、
自分の仕事を振り返ってみたいものです。
💎身につまされる!
ひとつのことを聞いても、ひとつのことを見ても
わが身につまされる思いがあったなら
その見たり聞いたりしたことが、そくそくとわが身に迫ってきて
いろいろさまざまな感慨が生み出されてきます。
身につまされてもらい泣きというけれど
つまりは人の世の喜びも悲しみも、その味わいも
その身につまされた思いの中で無限に深まりゆくのです。
ただことなかれの日々をすごして、
命をかけて打ち込むほどの思いも体験もなく
したがって、何を見ても聞いても身につまされず
何もかも他人事で、何もかも我関せず。
それも一つの生き方ではあるが、見方によってはまことに
味わいうすき人生ともいえると思います。
人間にとって、人生を歩むうえにおいて、
身につまされるということはやはり、大事な事なのです。
そして、これは何も個人身上のことだけではありません。
身につまされる思いで、お互いの周りをもう一度よく見まわしたい。
おたがいのこの国日本のことも、
わが身につまされる思いで、もう一度よくよく考えてみたい
反省して見たいものです。
💎勤勉の徳!
天地地変を待つまでもなく
粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)の巨万の富も、事あらば一朝にして失われることがしばしばあります。
形あるものはいつかは滅びるにしても、まことにはかない姿であると
言えると思います。
だがしかし、身についた技とか習性は、
これは生ある限り失われはしません。
頼りになるのは、やはり自分の身についた技、習性です。
だから、何か一つでもいいから、
よき技、よき習性を身につけたいものですが
中でもいわゆる勤勉の習性は何にもまして尊いものに思われます。
勤勉は、喜びを生み、信用を生み、そして富を生みます。
人間のいわば一つの大事な「徳」です。
徳であるかぎり、これを積むには不断の努力が要ります。
勤勉の習性を身につけるためには、
まず日々を勤勉に勤める努力がいるのです。
その努力が重なって勤勉の習性が身について
その習性からはじめて「徳が」生まれてくるのです。
お互いに「勤勉の徳」を積みたいものです。
(追伸)
雨が降れば
人はなにげなく傘を開く
この自然な心の働きに
その素直さに
わたしたちは日頃あまり気づいてはいません
だがこの素直な心
自然な心の中にこそ
物事のありのままの姿
真実をつかむ 偉大な力があることを学びたい
何ものにもとらわれない伸びやかな心で
この世の姿と自分の仕事をかえりみるとき
人間としてなすべきこと
国としてとるべき道が そこに
おのずからあきらかになるはずです