前記事で、日本&女性性について書きましたが、書き漏れというか、別の側面が書けていなかったようなので、追加で書きたいと思います。
記事UP後、少しして浮かんできたのが、ある映画のこんな場面でした↓
これは、子供を傷つけられて暴徒と化した王蟲と、それを止めようとするナウシカの場面です。(子供ながらに、人間で残酷だわ~と思ったことを覚えています。)
前記事で感情の暴走、思考の極端化、外に放つと返ってくる、について書いた部分が、王蟲の怒りの伝播の場面に(私の中で)結びついたようで、そっちを書くんだったら、その怒りを収めた感情のもう一つの側面「女性性の受容」についても書かなければいけないと思った次第です。
以下、SORA的解釈によるものですので、映画の実際の解釈とは異なる部分があることをご承知おきください。
王蟲の怒りを収めたのは、ナウシカの「女性性による受容」であったと思います。攻撃や破壊を引き起こす「怒り」という感情を受容し、怒りの奥にある「哀しみ」に共感し、味方する。受容とは、裏表の両面をそのまま受け入れるというものであり、これが出来るのが女性性です。
また、ナウシカの受容性‥言い換えるならば『愛』は、怒りに支配されていた王蟲に「伝わり」、「怒り」を静めてしまいます。これも女性性の持つ「力」=「影響力」であり「感覚で伝わり、広がる」という現象です。
怒りを放てば怒りが広がり、愛を放てば愛が広がる。
偽りを放てば偽りが広がる。
放ったものが何なのか?は、返ってきたもので分かる。
実に単純明快ですね。
(これをエネルギーの法則と云うのかもしれませんね。書いていて思いました。)
ちなみに「受容」と「感覚で伝わり、広がる」という特性が強い社会とはどういったものなのかを考えたときに、「変化変容しやすい社会」である事と、その反面で「影響されやすい社会」であると感じます。
一言で表現すると、ある一定の基準を超えるとコロッと変わる、そんなイメージが出てきます。
以上、前記事の補足でした。
SORA