外ではふざけていた?!

外ではふざけていた?!

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前回のブログで、紙飛行機に「オムライス」と書いて父ちゃんに飛ばした話を書きました。今振り返ると、あれは、ちょっとふざけていたかもしれませんが、父ちゃんともっとコミュニケーションを取りたくて、小さい頃の僕なりに考えての行動でした。

父ちゃんとは話せなかった

母ちゃんとは、家でも割と普通に話せていました。でも、父ちゃんと話をするのは、高いハードルを感じていました。東京に出てくるまでは、基本的に、父ちゃんの前では何も言わずに、黙って過ごすことが多かったように思います。

学校ではお笑い担当

子供の頃、本当は、父ちゃんと笑いながらじゃれて、ふざけて遊びたかったのかもしれません。家では、怖くてそんなことはできなかったので、その分のエネルギーは、学校で放出させていた気がします。
給食の時間には「これから牛乳を鼻に入れて目から出しま~す」とふざけてみたり、当時アイドルだった桜田淳子の「クッ、クッ、クッ、クッ、私の青い鳥〜」と歌い、物真似してクラスメートを笑わせたり。僕は、いわゆる「お笑い担当」の子供でした。高校生のときには、当時テレビ放映されていた「西遊記」を学園祭でやることになり、クラス一致で「お前が猪八戒!」と指名されて、猪八戒役を演じたこともあります。

2つの顔

学校では、ふざけて人を笑わせる。でも、家に帰ったら、父ちゃんの前では静かにしている。そんな自分が当たり前になっていました。
学校でのあの「ふざけキャラ」は、今思えば、ただふざけたかったというより、誰かに注目してほしい、笑ってほしいという承認欲求の表れだったのだと思います。深読みすると、もしかしたら、小さい頃、父ちゃんの前でふざけて、父ちゃんを笑わせることで、承認欲求を満たしたかったのかもしれないけど、それは怖くてできませんでした。だから、学校でふざけていたのかもしれません。

家を出るまで続いたパターン

家では大人しく、外ではふざける。このパターンは、高校を卒業し、19歳で本土に出て来るまで、ずっと続きました。もしかしたら、あの頃の僕は、父ちゃんの前では出せない自分を、学校という場所で見せていたのかもしれません。

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