前回までのブログで、買い食いがバレた話や、ポーポー弁当の話を書きました。今回は、僕自身はまったく覚えていない、もっと小さかった頃の話です。
駄菓子屋さんの前での出来事
僕が幼稚園に入る前のことだそうです。父ちゃんと散歩をしていて、近所の駄菓子屋さんの前を通りかかったとき、僕が「お菓子が欲しい」と言ったらしいのです。
その頃、父ちゃんは家を建てたばかりでした。父ちゃんは、僕に向かって、「君は、ここでお菓子を買って食べる方がいいのか?」、そして、新しく建てた家を指さして、「それとも、あの家に住む方がいいのか?」と聞いたそうです。
小さかった僕には、その言葉の意味は、よく分かっていなかったと思います。ただ、その場の雰囲気から、ここでは「お菓子を食べたい」とは言えない、と感じ取ったのでしょう。僕は、新しく建った家を指さしながら、「家がいい」と答えたそうです。
話がわかる子供だった僕
この話を、僕自身は覚えていません。僕の妻のお母さんから聞いた話です。父ちゃんが、僕と妻が結婚する前に、僕がどんな人間かを伝えるために、このエピソードを話したのではないか、と想像しています。もしそうなら、父ちゃんの目に映っていた僕は、「話がわかる子供」だった、ということになります。
どうやら僕は、その場の空気を読んで、自分の欲求を我慢する子供だったのだと思います。
抑えた欲求は、どこへ行ったのか
この話を聞いて、思ったことがあります。もしかしたら、あのとき飲み込んだ「お菓子を食べたい」という気持ちは、消えてしまったのではなく、別の形で残っていたのではないか、ということです。
小学校3年生の頃には、親に内緒でお菓子を買って帰るようになりました。今でも、かっぱえびせんや歌舞伎揚げが好きです。心理学では、禁止されたり、我慢したりした望みが、かえって強く残ることがある、と言われています。
もちろん、これはあくまで、ひとつの見方です。ただお菓子が好きなだけ、という可能性も十分にあります。それでも、「話がわかる子供」が飲み込んだ欲求について、こうして想像してみること自体が、小さかった自分への優しさにつながる気がします。
父ちゃんの聞き方
そして、父ちゃんの聞き方です。父ちゃんは、僕に対して、いつも「君はどう思うか?」と聞く人でした。「だめだ」と言い切るのではなく、問いを渡して、自分で考えさせる。兄の進路を決めたひと言や、紙飛行機の回で書いた「間接的な伝え方」とも、同じ型に見えます。今回の場合は、家を建てたばかりという、父ちゃんなりの事情があったのかもしれません。
あなたにも、子供の頃に、「話がわかる子供」として飲み込んだ欲求はありませんか。
サービス内容で公開している18の質問には、こうした「言えなかった欲求」を振り返るための問いも含まれています。ご自身の記憶をたどってみると、思いがけない発見があるかもしれません。
すぐに相談するつもりはなくても、気になった方は、ココナラでサービスを「お気に入り」に登録しておいてください。登録してくださった方には、電話相談で使えるクーポンをお届けすることがあります。