親バカならぬ自分バカ?!

親バカならぬ自分バカ?!

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前回のブログで、自分の赤ちゃんの頃の写真をAIに頼んで、イラスト風にしてもらったことを書きました。出来上がったイラストが、今の自分とはあまりにもかけ離れていて、あまりにも可愛くて、気づけば、じっとそのイラストを見つめている自分がいました。そうしていると、だんだんといろいろな想像が湧いてきました。

一点を見ていない目

そのイラストの赤ちゃんの目を見ていて、気づいたことがあります。何かを一点に見つめている、というよりは、全てを見ているような目でした。焦点が合っていない、というのとも少し違います。一点に絞られていない、全体を均等に見渡しているような、そんな感じ目でした。

名前と結びついた時に自分になる?!

これは、あくまで、そのイラストを見ながら、自分の中で膨らんでいった想像です。
赤ちゃんは、まだ、自分が誰なのか、自分の名前が何なのかを知りません。だから、焦点も、何か一つに定まっているわけでなく、全てをそのまま受け止めるように、目を開いているのかもしれません。
そこに、周りの人たちから、名前を呼ばれ続ける日々が始まります。
「清修(せいしゅう)清修」と、繰り返し呼ばれるうちに、赤ちゃんは、自分がその名前を持つ存在なのだと、少しずつ理解していくのだと思います。そうやって、名前と自分が結びついたとき、初めて、自分というものが、自分の中に宿るのかもしれません。全てを見ていたあの目にも、少しずつ、焦点というものが生まれてくるのではないか。そんなふうに想像しました。

名前は自分という存在の始まり

以前のブログで「名前は親からのメッセージ」という話を書きました。今回、赤ちゃんのイラストを見つめながら思ったのは、名前というのは、メッセージであると同時に、自分という存在そのものを、この世界に立ち上げるきっかけでもあったのかもしれない、ということです。
あなたも、もし赤ちゃんの頃の写真が手元にあれば、一度じっと見つめてみてください。当時のあなたが、どんな目でこの世界を見ていたのか、想像してみると、思いがけない発見があるかもしれません。

サービス内容で公開している18の質問には、こうした「自分という存在の始まり」を振り返るための問いも含まれています。ご自身の記憶をたどってみると、思いがけない発見があるかもしれません。
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