例えその時何かの犠牲になったとしても、
その犠牲になることを選んだのは自分なのです。
相手には、それがあなたの本心なのだと伝わっています。
それを相手に理解して欲しい。と言うのは甘えです。
己の気持ちを察して欲しいだけ。
伝える努力を怠ったのです。
言っても伝わらないのなら、
「やらない」
と言う選択ができます。
まぁ、それでは社会が回らないこともあります。
現実にはそうせざるを得ない状況もあります。
だけどあなたは、
「個人的な問題を誰かのせいでそうなった」と責任逃れをしていませんか?
“犠牲となった自分を認めて欲しい”と言うのであれば、その気持ちが強いかもしれません。
基本的には社会に向かうことや仕事であればそれは何かの報酬として、物や収入に代わるので、心を引き替えたのではなくお金と引き換えたことになります。
多少の不満はありましょうが、それを「犠牲」として恨むことはそこまではないと考えます。
反省したり、もうやらないと決めて、次に向かえるからです。
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仮に、その“犠牲となった己”を第三者に共感してもらうこともできると思います。
そう言うこともできます。
だけどそれでは根本的には解決しません。
あなたは同じことを繰り返すからです。
私が今「犠牲を選択したのだ」とわかってもらいたいからです。
残念ですが、相手にはそれが「あなたの本心だ」と伝わっています。
だって、あなたは相手にそれを悟らせないようにしたはずです。
そうじゃなきゃ“自分が犠牲になった”とは言えませんからね。
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こう言う話をすると、じゃぁ子どもはどうなんだ。自分で選択できないだろ。みたいな話を持ち出してくる人がいます。
「あなたはもう子どもではありません」
私はそう言う話をしているのです。