『神との対話』シリーズの著者 ニール・ドナルド・ウォルシュ の言葉に行きつきました。
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『引き寄せで人生思い通り』って、
・イレギュラーはいらない
・想定の範囲内でしか欲しくない
と言うニュアンスを感じることがあるのです。
なんでしょう。見知った中で同じことを繰り返している。と言うか。
これが美味しいと知っているからそれだけずっとリピートして買って食べてる。他にはいらない。
みたいな「己が結果のえり好みをしているだけ」のようなもの。です。
まぁ、実際のところは本人の認識できる範囲でしか理解できない。と言う現実もあるのかもしれません。
あ、別に夢を描くことを否定している訳ではありません。
人の可能性を信じることだっていいと思います。
叶わない夢はない。
不可能を可能にする。
それもありだと思います。
ただ、とにかく引き寄せをもてはやしている人の中に、
「己にとって都合のいいことしか受け入れたくない」だけなのでは? と思うことがあるのです。
そうなると疑問があります。
例えば、本人の想像力を超えるものはやってこないのでしょうか?
「井の中の蛙大海を知らず」
みたいなことにはならないのだろうか? とも思うのです。
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あと、別件で、ちょっとな。と思うことがありました。
それについてうまいこと説明している名言でもないか。と探していたら、
何かを決意するときに考えるべきことはただひとつ。それが「わたし自身」を表現しているだろうか。ということだ。
ニール・ドナルド・ウォルシュ
と言うのを見つけました。
これだ。と思ったので、この人誰だろう。と調べました。
ニール・ドナルド・ウォルシュ(Neale Donald Walsch、1943年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の著作家、ラジオDJ、企業家、精神教師、俳優、脚本家。『神との対話』シリーズの著者である。
ウィキペディア(Wikipedia)ニール・ドナルド・ウォルシュ より
ぉおっとぉ……。←
じゃぁ、待てよ。と思ったら、どうやらこの一文は、『神との対話(2)』から来ているようです。
なるほどぉーφ(゚Д゚ )フムフム...。
……。
そうなると、この一文はどっちの言葉なのか……。
しかたありません。
古本屋に走りました。←
新品で買うのはちょっと……。
なかったら通販で買うか。
ありました。←
第2章 にある言葉のようです。
ちな、全文は長いので一部抜粋です。
それでは、もういちど教えてください。 わたしの選択が現実として創造されるまで、どうしてこんなに時間がかかるのですか?
理由はたくさんある。選択したことが実現すると、信じていないから。何を選択すべきか、わかっていないから。選ぶ前に、「最善」は何かと考えてばかりいるから。自分の選択がすべて「良い」ことを、前もって保障してもらいたがっているから。そして、いつも気が変わっているからだ!
そうすると、自分にとっての「最善」とは何か、考えてはいけないんですか?
「最善」というのは相対的な言葉で、一〇〇もの変数に左右される。だから、選択が非常にむずかしくなる。何かを決意するときに考えるべきことはただひとつ、それが「わたし自身」を表現しているだろうか、ということだ。「わたしがこうあろうとする自分」を明確にすることになるだろうか?
人生のすべては、自分の表現であるべきだ。事実、人生とはそういうものだ。いきあたりばったりの表現にしておくか、自分が選択する表現にするか、それはあなたが決めればいい。
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神との対話(2) ニール・ドナルド・ウォルシュ 吉田利子[訳]
1998年7月24日 第4刷発行
P33
※注 一〇〇もの変数に左右される。
→「100」かな? と思います。
>選ぶ前に、「最善」は何かと考えてばかりいるから。
>自分の選択がすべて「良い」ことを、前もって保障してもらいたがっているから。
あー。
なんとなく私が世間がもてはやすほどには「引き寄せ」と言うものに引かれないのはこれかな。と言う感じです。
やっぱり私は、
>何かを決意するときに考えるべきことはただひとつ。それが「わたし自身」を表現しているだろうか。ということだ。
この言葉が好きです。
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あ、一応そこにあったので(1)と(2)と買いました。
読むかどうかは、わかりません。←