どこかで伝わると良いと思っている。
もちろん。自分が言ったとは悟られないようにしておいて。
それは何を生み出すのだろうか?
* * *
昨日のお夕飯に卵焼きを作りました。
温かいうちに食べようとして、
「大根おろし」
「醤油」
と、待ったが入りました。
うちの旦那さまめんどくせぇ( _ _)ノ_彡☆バンバン!!!!!←
と思いながら同時に、
( ̄b ̄)しっ聞こえるから。と言う気分にもなりました。
あ、ちゃんと目の前にあった大根をおろしました。
これはあれですかね?
常々ご主人に不満をあらわにしている奥様方が集まって愚痴り合う内容ですかね?
私の場合、駄々洩れですけどね。←
パートナーや誰かに対する不満を、本人には聞こえない所でぶちまける。
そして、例えば何かそれとなく気が付くようにちょっとした反抗をする。
不機嫌にするとか、何かを出さないとか、隠すとか、それっぽい記事を見せるとか、そう言う話題に誘導するとか。
誰かの意見と言う後ろ盾を掲げて。
それは、「相手には聞こえない」と言う前提のもと成り立つお話です。
そこに「自分が言ったとはわからない」と言う言い逃れを加えていけます。
本音と建て前。とか言いますね。
どちらが偽りなのだろうか?
それを、「相手への優しさ」と例えるのだろうか?
そして、それがこの世の総意である。とでも言いたげです。
もし、これがそもそもすべて相手に伝わる。となれば、自らはどのようにふるまうのか。
同じことが同じように言えるのだろうか?
そして、その時相手との関係はどうなるのでしょうか?
でも、偽ることなく伝わってしまうのです。
そうなるとすべては自分次第ですね。
本人に聞こえないように、見えないように。何かをする、言う。と言う概念はどこから来たんでしょうね?
また、不満があるなら他所へ行ってくれ。見なければいいだろう。と言う概念も。
私たちが人間だからでしょうか?
そうなると、ある意味ではそう言う経験も醍醐味なのかもしれません。
「本音を隠す」と言う経験も。
これが全部駄々洩れだったら、できませんものね。
そこには何が、生まれるのだろうか?