確かに、卒業、とか、退職とか、そう言った節目や。引っ越しなどで物理的に離れることはあると思います。
互いの事情でだんだんと疎遠になったり、明確に別れを告げることもあると思います。
でも、相手にとっての私は。
もしかしたら、そこからはじまるのかもしれません。
相手が私のことを、「赤色が好きそう」と思っていたら、もう、私はそれを否定も、肯定もできないのです。
相手の中で私は、相手が思う私として居続けます。
その私は相手の物。
もう、取り返すことも、否定することもできません。
私は私であって、何かの一部なのです。
一度行ったお店にまた行った時、店員さんが私を覚えていることがあります。
それは、印象がよかったのか、悪かったのかはわかりません。
たった一度の出会いでも、そう言うことは起こりうるのです。
自ら二度とその店に行かなくても、店員さんはその日、私が来たことを記憶しているのです。
もちろん、それを日々思い出すことはありません。
忘れています。
でも、どこかで、私は覚えているのです。
私も、あの時の店員さんだ。と思い出すからです。
短くも、長くも、関わった人たち。
いいな。と思う人も、ちょっとな。と思う人もいます。
もっと話を聞きたかった人、もっと相談しておけばよかったと思う人。
二度と会いたくはないと思う人。会いたくても会えない人。
たくさんいます。
自分の中では黒歴史で、ちょっと忘れておきたい人もいます。
でも、相手に私を忘れろ。と、それは言えません。
だって、相手の中の私はもう、相手の物です。
一方的に別れを告げて、はい。お終い。とは言えないのです。
私は、その相手をずっと思い続けることができるのです。
同じように、相手の中の私はそこで生き続けるのです。
それは、相手に私が、「それは違う、とか、もっとこうなったよ」と、相手の中の私の発展はもうできません。
関係は終わっているからです。
だからその時大きな口を叩いておいて、それをしなかったら。
もし、それが伝わった時に私はほら吹きになってしまいます。
だから1度の出会いでも、できたら、私は、自分のままでいたいのです。
あとで言い訳しても、もう関係は終わっています。
そこに修正はできません。
勝手に告げた終わりで、忘れて欲しいなんて。
自分のことしか考えられないのかな。と、思ってしまいます。
それとも、そのように相手を支配できると思っているのでしょうか?
自分のほうが高みにいるから?
どうでしょうね。
本当にそれを望むなら、最初から、何も言わないのが得策ではありませんか?
誰ともかかわらなければ、覚えられることもありません。
何も発信しなければ、自分を主張することもありません。
例えば自分が発信した一文が、世界を変えることになるかもしれません。
そういう事だって起こりえるのです。
世界は変わらなくても、誰かに影響があるかもしれません。その一言で、救われた。と。
それができなかったのに、まるで相手の能力が足りないと言わんばかりに何かを押し付ける。
それはお前が、わかっていないだけだ。と。
どっちがいいのかはわかりません。