父が、認知症になった

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1度だけ、父とキャッチボールしたことがある。

新しい青色のグローブだった。うれしくて、おもいっきり投げたボールが父の顔にあたって「イタタた」とうずくまり終了。

もっとやりたかった。正直そう思った。

そんな父の仕事は裁判官。毎朝、黒ぬりのクルマがお迎えに。

そんな父が認知症になった。

いつも同じことを聞いてくる。
「家族はみんな元気で幸せか?」と。みんな元気で幸せだよ。そう返すと満面の笑みで「良かった、良かった。」と。

数えきれなほど繰り返すこのやりとりだが、ありがたいなと思う。

父がまだ現役の頃、母から退官の話を聞き、内緒で父の仕事を見に行ったことがある。

傍聴席の最後列の端っこに座った。
しばらくすると黒服の判事が2名法廷入場し、最後に偉そうに父が入廷して中央席に座る。何度もニュースや映画で見ていたシーンだ。
そして、早々に主文を読み上げ判決を言い渡す。ゾッとするくらい、淡々と。実刑3年だった。その後、父が意外なことを話し始めた。

「はい!お決まりはここまで。被告はいい仲間に恵まれているようです。ほらそこに。そして、新しい命、赤ちゃんも来ていますよね。こんな恵まれた人だから、早く罪ほろぼしをして。そして仲間ものともに、まっさらになって帰ってきてください。必ず、できます。」

被告は嗚咽しながら頷いていた。

法廷全体が何かを感じていた。
実は父が嫌いでした。法は人を裁けない。そう反抗したものです。

でも、ここで感じた。

これまで長年、こんな仕事をしていたんだと。

「裁くは人ではなく、罪なんだ。人は過ちを犯したって、やり直せる。」たしか、いつもそう言っていた。父とのわだかまりは、溶けた。

人の人生を変えてしまう判決。
だからいつも必死になって判例を見ながら情報を集めて熟慮していた。土日なんて無かった。なかなか遊んでもらえなかった。
でも、今ならその志がわかる気がする。

「誰が見ていなくても、神さまだけは見ている。」

そんな父の言葉を思い出す。そんな父も、今は認知症。

先日、久しぶりに会いに行き「うまい焼酎持ってきたけど、飲む?」と聞いたら大笑いしながら「もちろん!」と。

「家族は元気で幸せか?」
「ああ、心配なんてないさ。」

満面の笑みになる父、ほくそ笑む母。

これだけで十分すぎるくらい幸せなんだと思う。

「おかわり、いいかな?」
そうグラスを差し出す父を、誇りに思う。

あの時のキャチボールがとても嬉しかったんだと
いつか話してみようと思う。


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