本日も記事をご覧いただきありがとうございます。
山道を歩いていると必ず遭遇する光景があります。
それは、人が1人しか通れない1本の道
自分が山道を登っていると、山を下っている人と出会うこともあります。
この1人しか通れない道をどちらが譲るのか。
今回の登山でも、よく同じ場面に遭遇しました。
しかし、
「どっちが譲るんだ!?」
といった感じではなく、
自然に生まれる「どうぞ」の言葉。
お互いに気持ちよく登山を楽しむ事ができました。
これはなぜなのか。
日常生活でも知らない人とスペースを共有する機会はたくさんあります。
喫茶店や飲食店の席や、エレベーター。道路や歩道も共同で使うものなので、お互いが譲り合って使うのが望ましい。
でも、中にはそれができない人もいる。
山の中での譲り合いと同じように、日常生活でも譲り合いをみんなが覚えたら幸せになれるのに。
そこで日常生活と山での違いについて、
1.命の危険があるから説
2.普段と状況が違うから説
3.山に来る人に余裕がある説
3つの説を考えてみました。
1.命の危険があるから
山を登っていくと、道の端から崖を覗き込める場面がいくつもあります。そして見るたびに「ここから落ちたら死ぬかも」と思います。これは登山をしたことがある方なら、誰もが考えたことがあるかもしれません。
そんな状況の中で、人と争うとどうなるか。
想像してみると分かりますよね。命に危険が及ぶぐらいなら人に譲る。そんな選択肢を持つ人もいるかもしれません。
2.普段と状況が違うから
日常生活の中にも譲り合いはもちろん存在します。自分から譲ることもあるでしょうし、他人が譲ってくれる機会もあるでしょう。ただ、譲れない場合というのも、人には存在します。
それは自分に余裕がない時です。例えば、自分が遅刻しそうになった時。急いで会社のエレベーターに乗り込んだら、ブザーが鳴ってしまった。
「最後に乗ったのは自分じゃないから、他の人が降りるべきだ」
そんな事を考えてしまうかもしれません。
なぜか?
自分が譲ることで、会社に遅刻するというデメリットが発生してしまうからです。
自分が得られる利益と不利益。そういう意味では、山は譲ることでトラブルを防ぐ事ができる。その結果、自分の命が助かる。そう考えると、得られる利益は大きいのかもしれません。
3.山に来る人に余裕がある説
人は忙しい時、どこかに出かけようとは思いません。遊びに行くという選択肢の中に「海」「温泉」という言葉はよく聞きますが「山」が加わる事は少ないです。
以前、友人に山へ行こうと伝えた時、
「普段働いて疲れてるのに、なぜ山に登らなければならないのか」
真顔で討論された事があります。精神面、体力面に余裕がないと、人は山に行こうと思わないかもしれません。そう考えると、山に集まる人自体がもともと余裕のある人だと考えることもできます。
以上の事から、
・人が譲り合いを行うには命が有限である事を知る。
・余裕のある生活を行う
・精神面、体力面を日頃から鍛える。
こういった生活が必要なのかもしれませんね。
追伸
たまには真面目に書いてみました(笑)。
僕は人に関わる仕事をしているせいか、
「人がなぜこうなるのか?」
という疑問にものすごく注目する癖があります。
今回の山の件もそうです。
みんなが普段から譲り合いを行えば、きっと世界は平和になるのに。
それをどうやったら実現できるのか。
まだまだ考察の余地がありますが、場所で人が変わる心理というのは、色んな人に活かす事ができますからね。
これからも考えていきます。