言葉は鏡──SNS時代に、私たちが手放してはいけないもの

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SNSを眺めていると、ときどき胸がざわつく光景に出会います。
誰かのことを、必要以上に悪く言いふらす言葉。
名前を出さなくても、誰のことかわかってしまうような投稿。
怒りや不満を吐き出すように投げつけられた言葉たち。

その瞬間は、言葉を発した本人にとって「スッとした」「本音を言った」感覚があるのかもしれません。
けれど、言葉というものは、決してその場で消えてなくなるものではありません。

昔から「言霊」という言葉があります。
言葉には魂が宿る、という考え方です。
それを信じるかどうかは人それぞれでしょう。
けれど、もっと現実的で、もっと確実に怖いことがあります。

それは、言葉が生きて独り歩きを始めるということです。

SNSに投稿された言葉は、書いた人の手を離れた瞬間から、別の命を持ち始めます。
それを見た誰かが、別の誰かに話すかもしれません。
「あの人、こんなこと言ってたよ」と、本人の知らないところで言葉が伝播していく。
その結果、悪く言われた相手がそれを知り、心を閉ざしたり、距離を置いたりすることもあります。

そして、それは決して当事者同士の問題だけでは終わりません。
その言葉を見た“周囲の人”もまた、静かに感じ取っています。
「この人は、こういう言葉を投げる人なんだ」と。

人は、自分に向けられていない言葉であっても、無意識に受け取ります。
誰かを傷つける言葉、嘲る言葉、断定的で冷たい言葉。
それらを見て、気持ちがいいと感じる人は多くありません。
表立って何か言われることはなくても、少しずつ、確実に距離は生まれていきます。

さらに怖いのは、「類は友を呼ぶ」という現象です。
強い言葉、攻撃的な言葉を日常的に使う人の周りには、自然と同じ性質の言葉を使う人が集まってきます。
一見、共感し合っているように見えても、その関係はとても不安定です。
なぜなら、その人たちは、同じ刃を互いに持っているからです。

今日は一緒に誰かを批判していた相手が、明日は自分を批判する側に回るかもしれません。
攻撃的な言葉が許される場所では、誰もが安心して心を預けることはできないのです。

だからこそ、言葉は鏡だと言えるのだと思います。
自分が投げた言葉は、形を変え、時間をかけて、自分の周りの人間関係や空気となって返ってきます。
優しい言葉を使えば、穏やかな人が残り、
荒い言葉を使えば、荒れた世界が出来上がる。

完璧にきれいな言葉を使う必要はありません。
怒りを感じる日も、しんどい日もあります。
ただ、その感情を「誰かを貶める形」で外に出すのか、それとも「自分の気持ちとして」静かに扱うのか。
そこには、大きな違いがあります。

SNSは、心の中をそのまま投げ捨てる場所ではありません。
言葉を一度、手のひらで見つめてから置く場所です。
その言葉が、どんな顔をして歩き出すのか。
どこへ向かい、誰の胸に届くのか。

言葉は鏡です。
そこに映るのは、他人ではなく、今の自分自身なのかもしれません。



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