【第十話】暮らしの輪郭は、たしかに見えてきたのに
記事
コラム
棚から引き抜いた本は、
市町村史とは違って、見慣れない漢字が並んでいました。
難しそうではあるけれど、
少なくとも「読めない文字」ではない。
今回は、少し進めるかもしれない。
そんな予感が、ありました。
『姓氏家系大辞典』
名字を調べる人なら、
一度は名前を聞いたことのある本です。
ページを開くと、
確かに文字は読めます。
旧字体ではあるけれど、
意味不明な記号が並んでいるわけでもない。
ところが――
読み進めるほど、妙な感覚が強くなっていきました。
情報は、驚くほど多い。
由来も、分岐も、異説も、びっしり書かれている。
なのに、
自分の先祖には、まったく近づいていない。
「うちの家は、どれなんだろう」
その問いだけが、
どのページにも見当たりません。
ここで、はっきりしたことがあります。
この本が教えてくれるのは、
“名字の歴史”であって、
“自分の家の歴史”ではない、ということ。
なんとなく読める。
なんとなく理解もできる。
知識は、確実に増えている。
それでも、
調査が前に進んでいる実感はありませんでした。
ただし、
この作業が無駄だったとは思っていません。
一つの名字に、
いくつもの系譜と物語が重なっていること。
単純な「答え」を探す姿勢では、
辿り着けない世界があること。
それは、
確かに見えてきました。
暮らしの輪郭も、
土地との関係も、
少しずつ、立体になってきています。
それなのに――
先祖の名前だけが、
依然として、どこにも現れない。
情報は増えているのに、
距離は縮まっていない。
その理由が、
少しだけ、分かった気がしました。
足りないものがあるのではなく、
同じ姿勢で調べ続けていること自体が、
何かを見えなくしているのかもしれない。
では、
次に探すべきものは、
名字でも、土地でも、知識でもないとしたら。
このまま調べ続けることで、
私は、
何を見落としているのだろうか。