【第九話】分かった気になっただけだった
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コラム
市町村史を閉じたあとも、
私はしばらく、図書館の席を立てずにいました。
分からなかった、というより、
「どこまで分かったのかが分からない」
そんな感覚が残っていました。
そのまま帰るのも、
少し中途半端な気がして、
カウンターの近くを、
なんとなくうろうろしていたときです。
司書の方が、
何気ない調子で言いました。
「このあたりは、
昔は漁師が多かったんですよ。
だいたい8割くらい、という話です。」
8割。
その数字が、
妙に、頭の中に残りました。
漁師。
海。
港。
市町村史に書いてあったことと、
今の言葉が、
頭の中で、自然につながります。
「じゃあ、
祖母の父も、
漁師だったのかもしれない。」
そんな考えが、
すっと浮かびました。
不思議なことに、
少しだけ、気持ちが楽になりました。
漁師だったとしたら。
海の近くで暮らしていて、
毎日の生活には、
ある程度のリズムがあって。
そう想像すると、
それまでぼんやりしていた人物像が、
少しだけ、輪郭を持った気がしたのです。
でも、同時に、
別の感覚もありました。
「それは、
ただ当てはめているだけじゃないか?」
8割が漁師。
だから、うちも漁師。
根拠は、
それだけです。
名前が出てきたわけでもない。
記録が見つかったわけでもない。
さっきまで、
「情報は増えたのに、人に近づいていない」
と感じていたのに、
今は、
分かった“気”になっている。
それが、
少しだけ、気になりました。
前に進んだ、というより、
「納得できる説明をひとつ見つけた」
そんな感覚に近かったと思います。
確かめようがない。
否定もできない。
だから、
心地いい。
けれど、
どこかで、
ひっかかる感じもありました。
市町村史を読んだときと同じです。
輪郭は見えた気がするのに、
中身が伴っていない。
そんな感じでした。
このあと、
私はさらに資料を探しに行きます。
それらしい本を開き、
それらしい行動を重ねます。
でも、今振り返ると、
この「8割は漁師」という一言は、
前進というより、
次の迷いの入口だった気がします。
それらしい説明がひとつ手に入ったことで、
かえって、
「どこまでが事実で、
どこからが想像なのか」
分からなくなっていったからです。
調べているつもりで、
実は、
自分がどこに立っているのかを
うまく掴めていなかった。
その感覚だけが残っていました。