雨ニモマケズのモデルとなった人の話

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コラム
こんばんは✨

ここらぎです😊

あなたは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という作品をご存知ですか?

えっ!?


ご存知でない!?

(⊙o⊙)コリャマズイ!


o(* ̄︶ ̄*)oシカタナイデスネ!


(❁´◡`❁)オシエテアゲマス♪

(❁´◡`❁)サービスデスヨ♪

(❁´◡`❁)カッテクダサイネ♪


雨ニモマケズとは


宮沢賢治の遺品の手帳に書き記されていた詞です✨


雨にもまけず

風にもまけず

雪にも夏の暑さにもまけぬ

丈夫なからだをもち

欲はなく

決して怒らず

いつもしずかにわらっている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜をたべ

あらゆることを

じぶんをかんじょうに入れずに

よくみききしわかり

そしてわすれず

野原の松の林の蔭の

小さな萓ぶきの小屋にいて

東に病気のこどもあれば

行って看病してやり

西につかれた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北にけんかやそしょうがあれば

つまらないからやめろといい

ひでりのときはなみだをながし

さむさのなつはオロオロあるき

みんなにデクノボーとよばれ

ほめられもせず

くにもされず

そういうものに

わたしはなりたい

何だかとても親切なのに報われない人のことを言っているようですよね
(┬┬﹏┬┬)

ですが宮沢賢治はこういう人物になりたかったそうです・・・。

実はこの詩にはモデルとなった人がいます。


ゴリラ3.jpg

雨ニモマケズのモデルとなった人


誰だと思いますか??

ちょっと考えてみてくださいね♪
はい!違います!私ではありませんでしたー(⊙﹏⊙)

答えは「斎藤宗次郎」さんでしたー(*^▽^*)

christ.jpg

彼は明治時代には珍しい「キリスト教徒」でした。

当時はキリスト教への差別が酷かったようです。


教職をクビになり、石を投げられ、家を燃やされ、9歳の娘を殺されました・・・。

ですがめげることなく彼は熱心に牛乳や新聞の配達員として働き続けました。

職場の人間が病気になれば励まし、子どもを見かければ飴玉をあげ、町民の平和を祈り続け、どんなに悪天候でも休まずに活動していたそうです。


そういったひたむきな姿勢が町民達の心を打ちました✨


今まで「でくのぼう」と罵られてきた彼が引っ越す際は

町民の大多数が駅までお見送りに来て大混雑した

と言われております(*^-^*)

この群衆の中には宮沢賢治もいたそうですよ♪

ひたむきに取り組める人には多くのファンが付くということですね(⊙o⊙)

私もそういうものになりたいです(*^▽^*)

本日もお読みいただきありがとうございました✨








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