雨ニモマケズのモデルとなった人の話
こんばんは✨ここらぎです😊あなたは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という作品をご存知ですか?えっ!?ご存知でない!?(⊙o⊙)コリャマズイ!o(* ̄︶ ̄*)oシカタナイデスネ!(❁´◡`❁)オシエテアゲマス♪(❁´◡`❁)サービスデスヨ♪(❁´◡`❁)カッテクダサイネ♪雨ニモマケズとは宮沢賢治の遺品の手帳に書き記されていた詞です✨雨にもまけず風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい何だかとても親切なのに報われない人のことを言っているようですよね(┬┬﹏┬┬)ですが宮沢賢治はこういう人物になりたかったそうです・・・。実はこの詩にはモデルとなった人がいます。雨ニモマケズのモデルとなった人
誰だと思いますか??ちょっと考えてみてくださいね♪・・・・・・はい!違います!私ではありませんでしたー(⊙﹏⊙)答えは「斎藤宗次郎」さんでしたー(*^▽^*)彼は明治時代には珍しい「キリスト教徒」でした。
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