当たるも八卦当たらぬも八卦
占いは当たることもあれば当たらぬこともあるので気にするな――ということがよく言われている。
国立国会図書館デジタルコレクションで検索をかけてみると、
この俚諺を「大道の易者が逃れ口上」「卑怯な言」と断じて疑う明治26年の記事がもっとも古いものとしてヒットした。
『文芸雑爼』 https://dl.ndl.go.jp/pid/872021/1/80?keyword=%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8B%E3%82%82%E5%85%AB%E5%8D%A6
如何にでたらめな易者が横行していたのかを端的に物語っているが、このような感覚はいつから出てきたのだろう。
いつから易断は不確実なものとみなされるようになったのだろう。
提供しているサービス(
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端裏に「御老人御痛之事」とある江戸後期(天保年間)の古文書である。
以下、翻刻文
此御いたみはとしのいたミと相見江申候、少シ長引のかたちなり、是レは障りるゆへに痛ムものなり、家内の井戸のさわりなり、井戸ニふじようのいりたると相見江申候、幷ニ
一、今の庭の釜ニ不浄の水かゝりたると相見江、其上少しかまの崩レ損し居る所はなきや、何分釜のさわりニてあるべし
右之通二タさわり強クゆへこしたち兼長引クべし、
天保八年酉五月晦日 謹筮
末尾に「謹筮」とあるように、占いの結果を記した史料であることがわかる。
そのことを念頭に読み解けば、
この痛みは、年齢によって生じるものと思われます。完治には少し時間がかかるようです。ただし、原因となる「障り」があるゆえの痛みであり、それは家の井戸に不浄なものが入っているからだと考えられます。また、庭に置かれている釜に、不浄の水が掛かっているようです。その釜に少し欠損したところはないか、確認されるとよいでしょう。とにかく、庭の釜に痛みを引き起こした「障り」があると考えられます。
ということになる。
家の井戸と釜に強い「障り」があり、よって腰の痛みが続いているのだ、と。
八卦に基づく風水では、井戸は「陰」、釜(かまど)は「陽」を表す。
井戸は水を、釜は火を象徴し、これらの陰陽のエネルギーが対立する配置は、健康や運勢に悪影響を及ぼすと考えられている。
また、井戸など水回りの配置は、家相や風水の観点からも重要視されている。井戸が鬼門方面に位置すると、不浄の気を家全体に広め、健康や運勢に悪影響を及ぼす。そのため、井戸の設置場所や配置には十分な注意が必要だ。
このような風水の考え方は、江戸時代の人々の思考に深く根ざしており、実生活に強い影響を与えていた。
おそらくこの書状は、在村医師ないし占い師が村人の体調不良について、その原因を診断したものなのだろう。
科学的な医療が末端にまで広まっていなかった江戸時代には、占いの中でも、とくに八卦を通じて病の原因を追及することが日常であった。
さらに、占いと医療とが密接であったことから、村の宗教者(修験者や神主)が医師を兼ねていたと言われる。
この古文書の作成者も、そうしたタイプの人であったのかもしれない。
腰痛すらも、占いの力で対処しようとしていたのである。
医学の進歩により病が科学的に解明されている現代からすれば、こうした占い事を「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と片付けることは容易い。
しかし、江戸時代の人々の感覚では、八卦も一つの生活実践であった。