凪は、その違和感に触れそうになって、やめる。
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チャイムが鳴る。
音が、少しだけ遅れて届く。
凪は、ペンを持ったまま、黒板を見ていた。
文字は追っているのに、意味が残らない。
先生の声が、教室を流れていく。
ところどころで、誰かの笑い声が混ざる。
その中に、
昨夜の声が、ほんの少しだけ重なる。
ここでしてもいい?
凪は、ペン先を止めた。
一瞬だけ。
すぐに、また動かす。
ノートの上に、きれいな字が並ぶ。
でも、書いた内容は、ほとんど覚えていない。
授業が終わる。
椅子が引かれる音。
ざわめきが、少しだけ大きくなる。
凪は、ノートを閉じる。
そのとき、ポケットの中で、
スマートフォンが小さく震えた。
取り出すか迷って、
そのままにする。
理由は、ない。
でも、
今は見ないほうがいい気がした。
ほんの少しだけ。
廊下に出る。
人の流れにまぎれて、歩く。
前から、悠真が来る。
「次、移動だよな」
いつもの声。
いつもの距離。
「……うん」
凪はうなずく。
「ノート、大丈夫?」
「たぶん」
軽く返す。
悠真は、少し笑う。
「たぶんって」
そのやり取りも、いつも通り。
でも、どこか、
少しだけ、手応えが違う。
うまく言えないけど、
少しだけ、空気がすべる。
凪は、その違和感に触れそうになって、やめる。
考えない。
まだ、いい。
階段を上る。
窓の外に、空が広がる。
青くて、明るい。
その中に、
昨夜の街灯の色が、ふと混ざる。
一瞬だけ。
凪は、足を止める。
「どうした?」
後ろから、蓮の声。
振り返る。
やわらかい表情。
落ち着いた声。
「……なんでもない」
凪は、そう言って、また歩き出す。
蓮は、それ以上聞かない。
隣に並ぶ。
その距離は、心地いいはずなのに、
ほんの少しだけ、足りない。
何が、とは言えない。
でも、たしかに、何かが違う。
教室に入る前、
凪は、もう一度だけポケットに触れる。
スマートフォン。
さっきの震え。
誰からかも、まだ見ていない。
それなのに、胸の奥が、
少しだけ、わかっている気がする。
凪は、手を離す。
そして、そのままドアを開ける。
光が、教室の中に広がる。
何も変わっていない景色。
でも、凪の中でだけ、
ほんの少しだけ、続きが、動いている。