裏切られて伸びる日干支・丙戌・丙辰

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はい。丙辰の世界はこんな感じ。綺麗な田園風景に太陽が登っていて、守護神の海である壬水があれば、あら素敵!っていうような宿命の方です。w
一般に算命学では丙戌と丙辰の日干支を持つ方は、信頼していた人に裏切られる、という不信の業をもつ異常干支・三業干支と言われます。

算命学での異常というのは、いわゆる一般的な概念の異常ではありません。
通常のパターンから外れる、という意味の「普通ではない」。
例えば、ですね。宜保愛子さんとか並木良和さん、普通の人じゃないですよね。ここでの普通じゃない、の定義は、普通の人の枠を超えたものを持っている、ってことです。算命学で気軽に使われる「異常」という言葉は、3次元世界の枠組みを超えた世界の能力であったり、通常生きてたらそんなに発生しないよね、というような現象が多発したり、というようなところに使う言葉になりますので、万一あなたが鑑定士にいわれたからといって一概に動揺する必要はありません。

算命学的な「異常」の意味を応用するならば、例文をつくるなら、
スーパーに行くと、毎度レシートのお釣りの欄が1111円とか、111円とかゾロ目になる!というのも異常!ってことです。w
そこに良いも悪いもないですよね。

「ふ〜ん」で流す人もいるだろうし、
「ああ〜今日もラッキー!!」とか
「天使のお告げだ!」と感謝する人もいるだろうし、一方で
「親父が死んだ日も1月11日、11時11分だった!.....1が追ってくる!1の番号に今日も俺は呪われてる!!」
って真っ青になる人もいるんだろうと思います。
 現象それ自体は、ただの現象。ただ1が出やすいタイミングの宇宙にあなたのご縁があるというだけなんです。

要するにね、そこに何の意味をつけるか、っていうことは個人の意識世界が決めていることなんですよね。w 
日頃その人がどんな意識世界のストーリーを生きているのか次第ですよ。
天使に守られてるって信じるハッピー少女の映画の主人公なのか、サイコミステリーみたいなホラー映画を生きているのか。っていうかね。
映画としてはどっちも面白いですし、
まぁ、自分が選ぶことなんで、どっちでもいいんですけどね。w


三業干支もですね、「カルマだ、カルマを解消しなければ、また次に出る!!」っていう鑑定士さんもいらっしゃるじゃないですか。そういう考えもまたあっていいんですけど、正直、実学算命学ではそれほど重んじません。w(ごめんなさい。)
 だって数学の確率論を冷静に考えてみればわかると思うんですけど、60干支あるうち、異常干支や三業干支って、20くらいあるんですよね。3分の1の確率。それが、年・月・日、の三つの場所に出てくるとしたら、どんだけ高い確率でそこにぶち当たるんじゃい!!wって話ですよ。
カルマなんて大層なものじゃないと思います。むしろ宿命中殺や天冲殺などの一族の関係性のほうがこれって呪いなんじゃないか(^^;)って思わせるものがありますよ。(瓶底メガネを装着される呪いです。)

ようはですね、自分の日頃の生き方ですよね。w
その生き方があんまりにも酷い場合、こういう形で現象化しやすいですよ、という型みたいなもんなんです。
マヨネーズのチューブの出口って、星型になってますよね。
マヨネーズが出ると、そこから星型になって出ます。
あんな感じ。
そとに現象化しないとならないくらい余計な意識のエネルギーが自分の中にある場合、その型を通って出てくるんです。
三業干支の種類は、その型の種類みたいなもんです。
もしかすると、マヨネーズの出口はハート形になってるかもしれないし、口金が付いているかもしれないというようなイメージですね。

だから、自分の中に排出しなきゃいけないものがないならば、災いとしてでる、と決まったものではないんです。
むしろ、手助けをしてくれることもあります。
例えばですね、庚戌・庚辰をもっているひと。傷体の業があります。
怪我したり体が傷つくと、運勢が上がる、という異常干支です。でもそういう人が天南星、天将星持っていたらどうですか。
むっちゃありがたいじゃないですか。
 天南星・天将星をうまく生かしている人は体力バンバン日頃から使ってますんで、ロッククライマーとかやっているかもしれない。人が勇気がなくてできないような危険なチャレンジをするかもしれない。でもこの日干支がどこかにあれば、万一、怪我や事故で手術になったとしても傷体の業が運勢を支えてくれますよね。保険みたいなもんだと考えられる。そうすると一概にカルマだ、とか恐れる必要は全くない。w

 宿命とは、単なる型の集まりです。そこにあなたという魂が乗り込んで初めて、その型が意味を持って動き出すんです。だから、どんな型をもっていたとしても、それをどう生かすのかは自分の意識がどうであるか次第で、自分で決められるということです。
 あまりに低い意識で生きていた場合は、災いの意味の形で出てきます。三業干支といえども、そればかりで解消されているわけではないので、あなたが開運とか自分の人生を開くとかいう意識で算命学を学んでいる方ならば、大事なのはこれまでの自分の意識の在り方、自分の育て方である、ということを忘れないでいただきたいです。

さて、丙戌と丙辰の日干支の人はどのように出るのかという実際のエピソードを実学算命学で語ってみたいと思います。
 丙戌の人は高学歴になると失敗しやすいと言われます。
有名な方は雅子皇后さんですね。親の後押しで東大やハーバードを出て高級官僚にならなければ、断りづらい権力ある相手に結婚相手として目をつけられることもなく、皇室などという超窮屈な籠の鳥にならなくて済んで、今も楽しい人生をはつらつと送れた方です。
 世の中の見え方では栄転ですが、この人の人生の幸せという意味でみると、エネルギーの世界では陰転みたいなもんです。
 皇室というのは、いいところじゃないですよ。背負うものが多すぎます。
天皇の宿命というのは、日本の国体の宿命ですので、日本の歴史を動かします。だから陰転させるわけにはいかないです。だから一人一人の生き方が非常に重たいんです。でも今はそういうアドバイスを行う陰陽師が宮廷にいなくなってしまったため、陰転してしまった分が、誰か皇室のメンバーの命の犠牲で相殺することになり、むりやり一族が繋げられていく世界になっているんです。
 天皇は神道ですが、昭和以降、そういった見えない世界のバランスをとるアドバイスを神道家が陰陽師と同じようにやっているのかどうかはわかりません。

 皇室につながる外野の人は自分の看板になりメリットがありますが、当の皇族にとってはどうかというと、最高峰のステータスのトップという見た目の良い牢獄です。普通の人がわざわざそんな世界に入っていくと、精神的にやられます。皇族でも過去何人も、精神的にやられている方々はいます。

 で、丙戌の方というのは、思慮深そうに見えて物事素直に考えるんですね。
物事が自分の思い通りに運ぶと信じがちなんです。高学歴だから言ってることの理屈はすごく通っている。論理展開も達者です。「でもあなた、そうはいうけれど、本当にそうなんですか?現実はどうなんですか?通用しますか?」って目線で現場の人にみられた時には根拠が非常に弱くなっちゃうんですよね。
 だから周りも最初は経歴を見て「おおすごい!」となったとしても、実力を見透かしてしまい、だんだん相手にしなくなっていくんです。次第に面倒になって「はいはい、そうですね。」と合わせながら聞き流すようになる。
 丙戌の人はそういう現場や周りのおだての気持ちには気がつかないので、いざ進もう!となった時に、ついてこない人たちがいっぱいいたり、大事なところでカス扱いされたり、自分が切られちゃったりします。
 だから現場で苦労したり、現実で勉強しながら、知恵をつけていったほうが実際に使える賢さが身につきますし、周りの気持ちや現場の事情という学校のお勉強では身につかないことを積極的に学んで配慮を覚え、謙虚に物事が見れるようになります。
 現状日本では大学卒が就職口の条件になっている会社ばかりなので、既存の算命学のいうようなアドバイスはまぁ、現実感がないですよね。(算命学の成立時代の高学歴=大学っていうのは、そりゃ相当なステイタスだったわけですが今の大学なんて、みんな出ているのでそこまでの大きな意味を持つものではないです。)
 だからそんなことになりやすいってことを念頭に置いてもらえれば、別に大学に行ってもいいんですけど、その教わった知恵やバックグラウンドに頼らずに、現場の人たちから謙虚に学ぼう、信頼を得よう、下積みの経験を得ようと意識してもらえれば良いと思います。

丙辰の方はですね、これもまた人がいいんですよね。これはね、丙辰の幼児さんのエピソードを話しますね。

この丙辰の幼児さん、ジャンプが好きだったんですね。遠くの椅子や高いところに登って、親に飛びつく。親は危ないので、その子を抱きとめる。
 そういう遊びが大好きで、その子は必ず親が受け止めてくれると信じて疑わず、だんだん難易度を上げた飛びつき方をするのを楽しんでいたんです。
 もちろん2歳ですので、親が危ないよ、と言葉で言ってもわかる年齢ではありません。
 この子にしてみれば、全面的にどんなジャンプをしても親が受け止めてくれるという感覚それ自体がつながりの世界を感じられて心地よかったんですね。
 信頼して、その確認のために飛びついてくる、親との絆を確かめる行為だということは親もわかっていましたので、その思いにこたえてあげるのが優しさだと思いつづけてお付き合いしていました。
 そんなある日、この幼児がまたわりと遠目の位置から、親に飛びつこうとして難度の高いジャンプをしました。母親の頭の中に瞬間よぎったのは、この遊びを続けていった先にある危険性です。
 必ずどうにかしてくれると親を信じて、場所も考えずにより危険なジャンプをしていった場合、そして自分が受け止めることをミスった場合、この子の行為は大きな怪我につながります。そこで母親は、迷った挙句、瞬間的にわざと子供をよけました。

 空中で母親が意図的によけた瞬間は、バランスを崩した子供の顔色がかわりショックの色を隠せませんでした。そして床に落ち、泣きました。
 この遊びではじめて怖い思いをしたのです。
 この子供からすると信じていた母親が肝心なところで自分をよけたのですから、「信頼の裏切り」です。そうこの子から見た世界では、「不信の業」ですね。そして、信頼しきっている人に裏切られることで、干支の意味どおり、運勢が上がる、ということになりました。

 自分の安全は誰かに守ってもらうのではなく、自分で責任を持たなくてはならないんだ、ということを学んだこの子は、以後、ジャンプして飛びつく遊びは自分でやめました。
 信頼を裏切ってあげたほうが、この子のためになる。もっと大きな事故を未然に防ぐことになる。そういう意味として、この三業干支が出たわけです。

 お母さんの思いはわかりませんから、この子からしたらショックな思い出かもしれませんし、お母さんは自分の味方でない時もあるんだ、と学ぶ経験になったと思います。
 意味がわからない年齢ですので、たしかに裏切りによって傷ついた思いを持つかもしれません。怖いな、ひどいな、と思うかもしれません。
でもどうでしょうか。
この子にとっては、裏切られたほうがよかったと思いません?
安全意識と警戒心を学べたのです。

だから、三業干支というのは、罪や罰で捉えるものでもないのです。
解釈一つで、地獄にも天国にもなる。そのひとがどんな理由づけをするかによって、不幸は不幸ではないんですよね。
 そもそも必要のない人はこの3次元世界には生まれてきませんので、宿命とはどんなものであったとしても、そのひとをうまく生かしていくために必要な宿命しかありません。加勢してくれているものなんです。

裏切られる業があるということは、逆に言えば、環境や周りを必要以上に信頼しきっているということです。でも3次元で生きていくためには、そうでない世界も知る必要があります。「分離した世界というのは、どういうものなんだろう?」と、それをわざわざ体験したくて選んだ人生だということです。

カルマも解釈一つですね。
算命学鑑定師さんも意識の次元を抜けていく必要があります。
多次元世界から3次元世界を見る視点を持つということですね。
それはね、やっぱり宿命にその役割がある人が行うべき仕事なんですよね。
ただ、その学問が面白いから、好きなだけではできない。

そして、自身が3次元の刷り込み社会や低次波動にどっぷり浸かったままでは、人に良いアドバイスはできないですからね。
どうしてもネガティブ寄りになってしまいます。
どん底に落ちた時に、どうやって上がるのか、その登り方を知っている人であれば、算命学鑑定師になっても良いアドバイスができると思います。
もしあなたが算命学鑑定師さんを目指すのであれば、悩んでる相手に「自分も苦労してます」と共感して終わるのではなく、まずは自分がトップを突っ切って「そういうこともあったけど、今は大丈夫」といえるよう、積極的に幸せになりましょう!w
















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