おはようございます。今日は実学算命学で最近よく聞かれる、宿命中殺についてあらためて解説してみたいと思います。
宿命中殺ってなに?
殺すって漢字がはいってるし、なにやらヤバくない?....って。
確かに、いまいちわからない概念だと思います。
宿命中殺だと、どうなの?...って。
家族が宿命中殺、と言われた人も、自分が宿命中殺と言われた人も、わけわかりませんよね..
そうはいっても、まぁ確信持ってちゃんと答えられる人も算命学の世界ではあまりないと思います。一般的な算命学で言われるのは、枠組みがない、とか星が壊れちゃってる人、とか配偶者を頼れない、家系を頼れない、親を頼れない、という回答が定型ではないかと思います。
生まれながらに天冲殺を持っている人、とか。
で、さらにそれはつまりどういうことなのよ、とツッコむと、大概は回答はかえってきません。実際の中殺者を観察していないと答えられませんからね。
実学算命学は、現実なにがどうなのよ、ということを説明する学問ですので、宿命中殺を少し現実的な生活の例えで置き換えて、説明してみたいと思います。w
理解するには、まず、宿命中殺の人を3次元世界で他の人が見た場合は、どんな感じなのか、ということを伝えればわかりやすいかなぁ...と。
宿命中殺は変人と簡単によく言われますが、真性の変人・逆張り大好き龍高星のかたとは変人の種類が全く違っています。
タイトルにもある通り、宿命中殺の方の変人性というのは、生まれてこのかた牛乳瓶のビンの底のような分厚いガラスの眼鏡をかけていきてきた、ど近眼な人みたいな感じなんですよ。w 生まれながらに、ビン底メガネの呪いをかけられた人間とでも言おうか。w
わたしが高校生の時、昼休みに即興でダウンタウンのコントを再現してくれた友達がいたのですが、そのタイトルってのが「ど近眼家族」ってやつだったんですよね。
(実際、私がコントを見たわけではないのでその友達の再現性がどのくらいなのかはわからないんですが、)友達が再現してくれたそのダウンタウンのど近眼家族なるメンバーは、ともかくお互いがよく見えない。
だから、みんながなにかと近寄りすぎ、他人を認識するにもいちいち顔まじか10センチまで近寄って、「あ、お父さん!おはよう!」と、はじめて家族がお互いに誰だかわかる、というもの。 家族はそれを毎朝、繰り返す。
普通に宅配便がきても、家族全員がわらわらと玄関に駆け寄り、その配達員のまじか10センチに近寄って認識し「あ!ハンコですか!」と叫ぶ。そしてど近眼家族たちは、また床を這いつくばってそのハンコを家族で探し回るという、配達員からするとめっちゃ異様な家族...というコントネタだったんですよね。w(今思うとコント再現してくれた友達も生年中殺っぽかったな。)
まぁ至近距離10センチは言い過ぎにしても、宿命中殺者を周りから見た場合は、このようにど近眼なひとが視界のぼやけるビン底メガネをかけている時の状況に非常に似た印象を受けます。いいか悪いかは別にして、普通の人間関係の距離感よりも、相手との心理的な距離感がやたらめったら近いということ。w (イタリア人も、顔近いとこあります。)
言ってみれば、ある状況において心理的な人間の心の距離感が1メートルだとすると、宿命中殺者は60センチくらい踏み込んで、その相手と人間関係を作ろうとする。
だから宿命中殺がない人は、「心の窓ひらきすぎだろ!」と驚いて一瞬ひるむんですわな。(爆笑)
だからその踏み込んできた宿命中殺の人が相手にとって好ましい人であれば、一気に仲良くなれるけど、そうでなかった場合、宿命中殺者はおおきな拒絶や反発をいきなり他人からくらいやすい。
だから人間関係で傷つきやすさも持ってるの。w
で、宿命中殺者はそもそもビン底メガネをかけているので、他人の輪郭がよく見えません。普通の人は躊躇してTPOを気にして安全距離を保つような状況下であっても、中殺者はメガネで距離感が見えないので、ついふらふらと気になるなにかに近寄ってしまう。そこで意外な人間とのつきあいが始まったりする。そして、時には近づきすぎて掴んだのが、叶美香のおっぱいだったり、どこかの組の危険人物だったりすることもあるわけです。
周りの人は、「わ〜やばいよ、やばいよ!」って思うんですけども、宿命中殺者はビン底メガネをかけているので、平気です。気づきません。普通に話しかけ、普通に接して、その人と気が合えば、ご縁ができてしまったりする。
だから、外国とかにいくと強いですね。w
そういう距離感でも「外国人だから仕方ないよな」と許容されるし、それが遠慮なく人間関係をどこでも構築していける力として発揮されていく。
普通に日本に暮らしている宿命中殺者は他人との境界があやふやであるがゆえに、周りの家族からするとヒヤヒヤしますし、非常に危なっかしいってことです。
そして人との境界が曖昧なので「なんであの人、他人なのにあそこまでやってあげるんだろう??踏み込んでかかわるんだろう?」...と通常の宿命の人がみれば、疑問符が飛ぶことも度々です。昔、村に必ずいた、いい意味での親身でおせっかいなおばちゃんや、他人の子供まで面倒を見てしまうお母ちゃんは、愛の大きい宿命中殺者の可能性が高いですね。
宿命中殺者は、ビン底メガネなので、閉鎖的な村であったとしても、新規でひとがやってきても、意外と平気で相手を仲間に入れることができますし、外国人でもちょっと変わった人でも、全然、大丈夫。割と許容範囲が広い。
だから中殺者というのは、普通の人なら最初から関わり合わないような人とも関わりができたり、そこから普通の人がしない経験をしたりするので、実は予想もしないような意外な人脈があったりします。
しかしネガティブな側面は、自分も境界がない分、相手もそうだろうと考えて=すなわち相手も自分と同じように当然やってくれるべき、これくらいいいだろう、とどこかで甘えてしまう点です。
そこが、相手への厚かましさになってしまったり、けじめのなさにつながり、人間関係の収集がつかなくなる部分として発揮されることもあります。
最近は個人主義、核家族になってきたので、宿命中殺者はひととの関わりがとても難しくなってきました。しっかりと他人と自分を線引きしてくる人間が多くなったからです。宿命中殺者がこれは相手のためになるだろう、と思って、ちょっと踏み込んでやってあげた行為が誤解を受け、相手から反発を受けたり、余計なお世話だ!とはねつけられたりすることが、社会的に多くなってきてもいます。他人に私生活の領域を超えられることに慣れていない若者が増えた、ということもあるでしょう。逆に下町や長屋暮らしみたいなごった煮生活は、中殺者には向いているかもしれません。
さて、それではなぜこの世の中に、そんな宿命中殺の人たちが生まれてくるのでしょうか。
宿命中殺は、主に家系や祖先のエネルギーの流れがどうしようもなく淀んできてしまった時に生まれやすいです。人間は同じ遺伝子の同じ価値観の人間同士で利害を一致させて一緒に暮らすうちに、生き方の癖のようなものができます。そして未熟な人間が起こした様々な因縁が溜まることもあり、子孫存続に不利益な不純物をうんでしまいます。
それが如何しようも無い意識の状態にまで、淀みきってしまった時、一族の誰かがその淀みを背負って、一族や親元や家系の外へでるなどして、流れを清くしようとする役割を自然界から与えられます。
これは、その人の魂のカルマであることもありますが、その家系や祖先の遺伝子をもらって生まれるからこそ受け継ぐ肉体由来のカルマのようなものです。
そのひとつが生月中殺。また、その流れを変えるために親の意識次元の壁をこえた人間にならなければ家系や一族をこれ以上続けていくのが難しい時に、生年中殺のひとが生まれます。
親の手助けを受ければ、当然そのひとは親を超えた人間の器になることはできませんよね。親がやれなかったことをやれる人間にならなくてはならないわけだから、親元からでて、親からの遺産や援助を一切断らなくてはならない。
逆に生日中殺者は、生月、生年中殺者と違って、家に残れます。が、この子が家にいる限り、その親が意識次元をこの子によって強制的に引き上げられるということが起こります。親にとっては大変です。
親が子供にビン底メガネをかけさせられるのです。
したがって、生日中殺の子を親が勝手に把握したつもりになっても、実像からブレて、親にはピンボケした子供しか見えません。
つまり、一生子供の実像を理解することができないのです。w
その家系の次元を引き上げるために、生日中殺の子供の世界を親が一生懸命背伸びして、見よう、教わろうとすることで、親が伸びてくる。それによって、家族の意識の次元が上がる。だから生日中殺の子供のほうが、親より次元の高い先生なのです。
さて、ど近眼家族に戻りましょう。
生年中殺は、ビン底メガネで親をみるので、親との距離感が非常に「近すぎ」ます。他から見ると、甘えすぎ。大人になっても、そのまま実家にとどまれば、他人からはこのひとはマザコンかファザコンかってくらいの親子の距離感に見えます。
でも生年中殺者には、いくら近寄っても親の愛は全然見えない。だからいくら世話になったとしても、いつだってこころから満足できない。メガネのせいで、親の実像や真意が子供の時からちゃんと汲み取れないからですね。
またその距離感で社会に出ていくので、「ちょっとそれは失礼じゃないの、厚かましいんじゃないの?」って家での普通を社会に持ち込んで上司に叱られたり、周りの人間から一般常識がないと非難されることもあります。
若い時なら、若気の至りでゆるされますが、年をいくほど、世間の目は厳しくなります。教えてくれなくなります。
だから、むしろ早くから外に出て、社会とぶつかりながら距離感を覚えていかなくてはならないのです。
一方、生月中殺は、自分の血の繋がりのある一族に対してビン底メガネをかけています。血が繋がっているというだけで、全員が自分によくしてくれる存在であるはずだと根拠なく勝手に思い込み、自分の家系の人間に対して、心理的な距離感がやたら近すぎるのです。ですんで実家はもとより、自分と直接関係のない、自分の兄弟家族や親戚のことまで思い悩みますが、そうしてみたものの、自分が思うほど一族は実際は自分を相手にしてないわけなので、空虚な寂しさも感じます。でも生月中殺者は居心地を求めて、空虚であるほどそこにこだわってしまうわけです。
そしてそういうひとが一旦、社会に出れば、当然血の繋がりのない人だらけなわけなので、本人は帰属意識がなかなか持てません。違和感というか、自分の居場所がないというか、根っこがないかのような感覚に陥ります。
そこで、また実家や地元に戻りたくなります。きょうだいを親友がわりにしてみたり、自分の血の繋がりのあるところへと癒着し始めます。そして未来の可能性を知らずに自分で閉じていってしまうわけです。
宿命中殺をもっているということは、生まれつきのセンサーがぶれているということなので、並木さんのいう「こひしたふわよ」の法則は通用しません。
自分が良いとおもってやったことが、ことごとくブレて、自分の首を閉めることになりかねない。このひとたちに必要なのは、客観的な指標と判断力のある人間のアドバイスです。
そして、そのつぎ、運良く結婚したとします。すると、自分が家族を持った時にも問題が出ます。
自分の血が繋がった家族といえば、子供ですよね。
すると今度は子供に対して、ど近眼用メガネが自動装着されるわけです。
ビン底メガネで一生懸命みて子供を理解しようとするので、そりゃ良く見えません。右も左もわかりにくい、理解不能、疲労困憊。子供の実像からピントがずれた子育てをし始めます。
そもそも、この人たちは子供との心理的距離感がやたら近すぎるのです。(子供がなんとなく遠く感じるから、一層近寄ろうとしてしまう。)
なので周りが「そこまでやらなくても」「それは、子供にまかせればいいことでは?」とか「そこは子供の領域だよね」って思うような距離感で子供の世話をしていきます。子供自身も結構辛いです。
それでもちゃんと健全に育っていれば子供が自我を持った時、そのこどもは、そこまでやらんでええわ〜!!とついに声をあげだします。
我が子ご乱心!!
「お母さん!(お父さん)ちかすぎるわ!!暑苦しいわ!!もうちょっとはなれて!!」
と反発するようになる。
(反発するのは、子供がちゃんと育っている証拠何ですけどね。)
すると、
「こんなにしてあげたのに、なぜ・・・?!私の子育てとは...」と生月中殺の親は悩むのです。
だから、一般的には生月中殺の親は、自分の子供は社会の大事な授かり物だと考え、自分の子供だと思わないようにして育てると良い、といわれています。
でも、自分が宿命中殺者なのかどうかっていうのは、普通は宿命を見てもらわない限り、自分ではわかりませんよね。
問題がおきてみて、ああそうだったのか、と気がつくケースがほとんど。
ですから、プロファイリングで自分が生月中殺だとわかったら、自分よりも子育てのうまいパートナーに任せるか、客観的な指標を常にもらえるような環境で、自分よりも子育て経験値のある他人からアドバイスを受けながら育てていくといいですね。w
宿命中殺者は、周りの家族も他人も自分も言葉にできないような、なにやら不可解な状況に訳も分からず悩むという特徴があります。
そこだけ異世界・異次元だからです。
そして宿命中殺の人自身にとっても、ビン底メガネをかけているという自分の姿には、ほとんどの場合、気がつけないんです。w
鏡を見る=プロファイリングを受けるということで、ああ、そうだったのか、とようやく見えてくるという感じでしょうか。
それで「変わってるね」と良く言われる経験が多い。「わたし、何がおかしいんだろう?」とまた悩みます。ですが、「ビン底メガネかけてるよね?」って他人は言ってはくれません。他人は遠回しに言えば普通は気がつくと思っているので、身を守りながら、そう言います。でも、自分では変わってると思わない宿命中殺者は、変なこという人だな、と思うだけです。
それでも、そんな体験を繰り返すうちに、生まれながらにこの世界をいきている宿命中殺者は、「やっぱり、なんだかちょっと変だな」とだんだん気がつくようになります。だから、早めにダイレクトになにが違うのかを、ちゃんと説明される必要があります。人間関係の距離感をマスターするのは、日本の方が空気読まないといけないので大変だと思います。
周りはカンカンになって怒ることもあるかもしれませんが、中殺者は本気でわからないのです。
「ここに、黄色い線がひいてあるから、ここから入ると危ないよ?ちゃんと見えてる?」と、近くの人に説明されれば、ああそうか、と、普通の宿命中殺者なら、おそらく納得するだろうと思います。
悪気はなく、ビン底メガネなので、単に見えてないだけだからなんですよね。
性格の問題とはまた別なはなしだということです。
この宿命中殺の状況は、宇宙の天中殺と言われる、日座中殺や日居中殺のようなひとたちにもこういう傾向が当てはまります。とにかく、距離が近い。そして近いな、と思って、距離をとるとなると今度はかなり遠い位置に移動する。w人間関係、超近いか、超離れるか、極端です。
これが現実の生活に出やすい中殺者の実生活での特徴だと思います。
そうはいっても、わたしも宿命中殺はありますからね....。
アハハ。私もビン底メガネ、かけてますよ。w
だから、この記事で宿命中殺をディスってるわけじゃないですからね。w
誤解なく!
まぁ、でも無理しないでください。
だって、世の中の枠組みを超えて活躍するために、宿命中殺はあるんですから!ひととちがう生き方、価値観が、世の中に生かされた時に、宿命中殺は自分の存在の意味を見つけ出せるようになります。
人のできない生き方ができるということです。
型にはまり、普通になろうとこだわれば、こだわるほど、苦しくなります。
中殺者は、そういう役割の人なんだ、ってことですよね。
宿命中殺者は世の中たくさんいますので、精神面の自立の仕方さえ気を付けておれば、そんなに気にしないでもよい話かもしれませんけども、本人は結構首をかしげる人生を送ってる気がするものなので、一応書いておきます。
今日は、宿命中殺の人を、3次元世界の他の人がどう見えるか、という視点で説明してみました。
実学算命学プロファイラーJemmyでした。