私には無かった「お母さん大好き」大号泣となる

私には無かった「お母さん大好き」大号泣となる

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コラム

youtubeなどの動画で、
小さい子どもがとっても無邪気に
「お母さん大好き!!!!!!」と
叫んでいるのを見ると
私は必ず大号泣となります。


そして、その時間はけっこう長めです。



羨ましい気持ちや
寂しい気持ちや
何とも言えない気持ちや
いろいろなものがミックスされて
涙が溢れて止まらなくなります。



私には、その体験がありませんでした。




お母さんのことを「愛おしい」とか「好き」とか
自覚することはなかったのです。



いつも難しい顔をして、忙しく動き回り、
ピリピリして、お父さんの悪口を言い続け・・・・



今なら、そんなお母さんも
お母さんなりに一生懸命生きてきたんだ、と
理解できるようになりましたが、


お母さんが幸せでない、ということは、
子ども心にとても暗く深い影を落としました。




ずっとうまく生きられなくて、
40代になって、自分の奥深くにあるものを
見つめていくと、



「私という存在はお母さんの幸せにならなかった」と、
本当は愛し愛されたい人との関係に
自分という存在が不必要だった、という
決めつけをしていることに気づきました。




「お母さんのことが大好き!」と
何の抵抗もなく感じられたり伝えられたりできた関係だったら
どんなに良かっただろう・・・・
そんな体験が私の幼少期に自然なこととしてあったら、
私はどんな人間になっていただろう・・・



だから
「おかあさんが大好き!」という無邪気な子どもの動画を見ると、
涙がとめどなくあふれてきます。



そして、長い時間はかかりましたが、今は
「お母さんを心から愛している」と自覚できるようになりました。



エゴに飲み込まれたお母さんを「お母さん」だと認識していたから
苦しかったのです。



私が「本当の私」というものに感覚的に出会えるようになって、
お母さんにも「本当のお母さん」がいるんだ、と思えるようになりました。
私も母と同じ、エゴに飲み込まれた私を「私」だと認識していたのです。



「エゴに飲み込まれたお母さん」と「エゴに飲み込まれた娘」という関係は
緊張感が常にあり、不満が渦巻いていました。



そんな関係は、とても
さみしかったし、
悲しかったです。



でも「もう私も大人なんだから」と思うことで、
かっこ悪い自分や情けない自分と向き合えず、
ずっと避けてきました。



私にとっての生きづらさの大きな部分は
そこにあったと思います。




本当は大好きで愛している人を愛せない自分。




それはお母さんとの間だけでなく、
あらゆる人間関係に影響していました。



愛しているのにエゴが邪魔をして
愛を難しくしてしまうのは辛い。



愛を真っすぐに感じられ、
愛を真っすぐに出せる私でいたいと思います。

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