クックパッドを見る前に

クックパッドを見る前に

記事
小説
美味しい料理を作るうえで、クックパッドをみて同じように作ることも大切です。
でも僕は今まで料理を仕事としてきた中で、もっと大事なものがあると思っています。

”美味しい”は、
なにも”味”だけじゃない。

それを伝えることで、もっと楽しく、もっと喜ばれる料理が作れると思っています。
どうやって伝えるかを考えたときに、物語にした方が皆さんの心に響いてくれるのでは?と考えました。

『料理は誰かと私をつなぐ架け橋になる』

もし興味を持ってくださったなら、
あなたの大切な時間を少しだけ割いてくださったら
嬉しいです。

続きはコメントで
「おもしろい」、
「興味がある」という方が多かったら、
書いていきたいと思います。






【クックパッドを見る前に】



わたし、富田リカは今日も悩んでいた。

どうしたらもっと、より良く生きられるだろう?
どうしたらもっと、自分らしく生きられるだろう?
どうしたらもっと、旦那さんにおいしい料理を振る舞えるだろう?
どうしたらもっと、家族みんなが幸せになれるだろう?

20代最後の年に私はお嫁さんになった。
たぶん、普通の人とはちょっとだけ違う社会を生きてきた。
私は18歳になってすぐ夜の世界に飛び込んだから。

そう、わたしはスナックのキャストをしていた。

もともとは母親がやっていたスナックを手伝うところから始まった。
服飾の専門学校にいかせてもらう代わりも兼ねて、週2回金曜日と土曜日の夜は母のスナックで働いた。
こーゆーこというと、だらしのないシングルマザーに育てられたのかと、多くの人が勝手に私のことをかわいそうな子だと勘違いする。
でも実際はそうじゃない。

ちゃんと父親はいるし、父と母は今でも比較的仲良しだ。
私はかわいそうとは正反対に、自由に、かつ尊重されて育てられてきた。
その証拠に、スナックで働くと言い出したのは私からだった。

母親は、スナックのママどころか、夜職の経験は一度もない。
私の専門学校が決まって、子育てが一段落したタイミングでスナックをやるんだと宣言した。

私と父は飛び上がるほど驚いた。

母は、父の仕事を手伝っていた。
父は、私が生まれる前、大手保険会社でバリバリ働いていたそうだ。
私が3歳になる頃代理店を立ち上げ、独立した。
最初の頃は相当苦労したらしい。
母は、幼い娘の将来に不安を抱えながらも、父の決断には一言も文句を言わなかった。

それどころか、父の仕事を手伝い、せわしない毎日を過ごしていたそうだ。
父の仕事は徐々に軌道に乗り始め、1人、2人と従業員を雇いながら成長していった。

私が中学生になる頃には母の仕事は半減し、
高校生になる頃には、一部のお得意様だけを担当していた。
だから、私にとって母はいつもそばにいてくれる優しい母親であり、親友みたいなものだった。

なぜ母がスナックを始めたかというと、その一部のお客様の中にゆかりさんという、あるスナックのママさんがいた。
とても上品で綺麗で優しい人だった。
ゆかりさんは、自分の名前である「縁」と書いて「えん」と読むスナックをしていた。
35歳で旦那さんと死別し、未亡人となったゆかりさんは、この『スナック縁-enn-』を開店した。

カウンター5席とボックス席が2つの小さなスナック縁はいつもお客さんでいっぱいだった。
美貌と気品とユーモアを持ち合わせる彼女は、お客様からモテモテだった。
しかし相手が誰であれ、一線を越えることはない。

なぜなら、5席のカウンターの真ん中の椅子はいつも空いている。この席は亡くなったゆかりさんの旦那様の特等席だ。

その椅子には常に旦那様の私物が置かれている。
帽子だったり、ハンカチだったり、愛読書だったり。
テーブルにはウイスキーだったり、ワインだったり、焼酎のボトルが2個のグラスとともに並んでいる。

事情を知らない飛び込みのお客様が
「忘れ物があるよ」と声をかけてくれたりとか、
その私物をどかして座ろうとするお客様がいると決まってこう返す。

「すいません、お客様。その席は永遠に予約が入っていますの。」

そのおかげで、事情を知っている常連のお客様も注意をしてくださるし、その時間を楽しんで盛り上がるお客様はいても、タチの悪いお客様はこの店にはいなかった。

ゆかりさんは料理もとても上手だった。

基本的にお店を一人でまわしているから、自宅で仕込んできたおばんざいを提供している。
だからその場で何かを作るというよりは、お鍋で温めて出すのだが、どれもほっとする味で美味しい。
大多数のお客様は胃袋をガッチリ掴まれている。

そんなゆかりさんと仲良くさせてもらっていた母は、ある告白をされた。
もうすぐ50歳を迎えるゆかりさんは、末期ガンを宣告されたそうだ。

「やっと私もあの人のもとにもうすぐ行けるの」

いつもの優しい笑顔で、ゆかりさんは嬉しそうに話したらしい。

「スナック縁-enn-」をたたむことを知った母は、
「私にやらせてほしい」とお願いした。

父と母はこの店に度々一緒に訪れていた。
もともとゆかりさんは、父が担当していたお客様だったから、事情も性格もお店のこともよく知っている。
母が「スナック縁-enn-」を継ぐことを父は諸手を挙げて賛成した。
むしろ、「俺も力になる」、「お客さんを連れてくる」と、自分自身が率先して「スナック縁-enn-」を守るために意気込んでいた。

そんな未経験の母が心配だったし、わたしも何かチカラになりたかった。
ゆかりさんとも何度も面識がある。
面識があるどころか、小さい頃にはこの店で父の膝の上に座ってオレンジジュースを飲んでいたし、中高生になってからは倫理の観点から『スナック縁』になかなか出入りできなかったが、ゆかりさんとうちの家族は夕食をご馳走し合う中だった。

そんな彼女は体が動かなくなるまで入院を拒み続けながらカウンターに立っていた。
母はその彼女のサポートをしながら、次のママとして、ゆかりとして働き始めた。

ちなみに母の名前も嘘偽りなく、ゆかりだ。
由香里と書くから、ゆかりさんとは違うけど。
同じ名前を持つ者として、ほっとけなかったのかもしれない。
同じ名前を持つ者として、ゆかりさんの魂をすんなりと受け入れられたのかもしれない。
同じ名前でなくとも、大親友の彼女の意思を引き継ぎたかったのだろう。

とうとうゆかりさんは入院を余儀なくされ、わずか1週間で逝ってしまった。
満開の桜は昏睡状態のゆかりさんを優しく包み込み、過ぎゆく風に身を委ね、散りゆく花とともに私たちの前からいなくなってしまった。

桜はきっと来年も私たちの前で咲いてくれることだろう。
でも、もう二度とゆかりさんに会うことはできない。

父と母と私の三人は抱き合って大粒の涙を流した。
でもきっと、『スナック縁-enn-』がなくなってしまっていたら、
私たちはもっと寂しかっただろう。

母が『スナック縁-enn-』を残す決意をしてくれたことで、
いつまでもゆかりさんを近くに感じられる。

だから母は私にとって偉大だ。
歳を重ねていくごとに、さらにキラキラ輝いている母を見るのが好きだった。
そんな母と一緒に働く時間が私は好きだった。

私は昼間は服飾の専門学校。
学校が終わると課題に取り組む日のほかに、
アパレルショップでアルバイトをしていた。
金曜日と土曜日の夜をのぞいて。

まわりの10代の子と比べても、忙しかったのは間違いない。
自分のブランドを持ちたいという野心もさることながら、
この金曜日と土曜日の夜が私は好きだった。
父と母と私とゆかりさんと、そしてお客様と、
それぞれの大きな縁の中にいる安心感があった。

就職してデザイナーを志してみたものの、世の中やっぱり甘くない。
好きだけでは食っていけない世界だし、大きな仕事も任されない。
この業界は才能がものをいう。
群を抜いたセンスを持ち合わせた人だけが生き残っていける。
そんなセンスもない私がこの世界でしがみ続けられたのは、
やっぱり金曜日と土曜日の夜があったからだ。

そして何より旦那様と出会ったのもこのスナックだ。

同僚と3人で飲みに来ていた優一さんは、明らかに人の良さがにじみ出ていた。
誠実さを絵に描いたような人とは、こんな人のことをいうのだろう。
そんな彼がカウンターの真ん中の席を不思議そうに聞いてきた。

そう、あの席はゆかりさんがなくなったあとも、以前と同じようにあけてある。

カウンターを2席とろうかという話しに母ともなったが、やっぱりゆかりさんはカウンターの内側の方がよく似合う。
今のままでやっていこうと2人で決めた。
ひとつだけ変わったのは、2つ並んだグラスの隣に、ゆかりさんの指輪も置いたことだ。

彼に事情を説明した。
「あの席は、永遠の予約席なのです」
微笑みながら話す私に、彼は興味を持ってくれたらしい。

たまに一人でも飲みに来てくれるようになった彼とお付き合いがはじまったのは、
この街に初雪が降った日だった。

例年より凍てつく寒い冬の厳しさに、二人で肌を寄せ合い、少しずつお互いを知っていった。

満開の桜の木の下で、彼は恥ずかしそうにプロポーズをしてくれた。
新しくはじまった2人の生活は、ごくごく穏やかに過ぎていった。

優一さんはとても優しい人だ。
名前のとおり、私にとっては一番優しい人。
彼と結婚できたことはとても幸せだし、
この生活に何の不満もない。

それでもやっぱり人生には悩みがつきものだと思う。

誰かに話したところで、そんなこと悩みのうちに入らないよ、
なんて笑われてしまうかもしれないけど。
私の悩みは大きく2つ。

未だ、デザイナーとして芽が出る気配はない。
最近どうも仕事が楽しいとは思えない。
このままこの会社で、このまま仕事を続けていったところで、
私はなにを手に入れられるんだろうか?
何かもっと私を輝かせてくれる何かが欲しい。
誰かに相談したいと思っても、幸せに結婚生活送っているんだからちょっと贅沢じゃない?
って言われそうで怖い。
会社への足取りが日に日に重くなってきてしまった。

もうひとつは、
もっとおいしい料理を旦那様に作ってあげること。
私は料理が下手だ。
決して嫌いというわけではないのだが、どうにも面倒という気持ちが勝ってしまう。
実家にいるときは母が作ってくれていたし、
一人暮らしをしてからは出来合いのお惣菜を買って帰るか、
コンビニのお世話になることが多い。
言い訳になってしまうが、デザイン会社の実際はデザインを考えている時間より、
クライアントの対応をしている時間の方が圧倒的に長い。
決まった時間にお昼を食べられることは少ないし、
夕方に急なアポが入ることも多々ある。
一人暮らしをはじめて最初の頃は気持ちが上がって、
お弁当を持って行ったこともあった。
でもそのお弁当は、中身はそのままに私と一緒に帰宅したことが何回かあったのだ。
母はものすごく料理が上手というわけではないが、いろいろなものを作ってくれる。

ゆかりさんがしてきたように、おばんざいを持って「スナック縁-enn-」に立っている。
私が仕事から帰る頃には、母は作り終えているのだ。
だから教えてもらう時間はほとんどなかった。

旦那様はおいしいものを食べたとき、
本当においしそうな顔をする。
その姿を見ると、私も本当に幸せな気分になる。

だからなるべくおいしい料理を振る舞いたい。

何度となく食べたあの、ゆかりさんみたいなしんみりと心に
スーッと入ってくるような料理をつくれるようになりたい。

私のキッチン奮闘記がはじまった。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す