生と死

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コラム
過去のコラムでお書きましたが生きる意味については「猫が寿命」で自分は十分生きたかなと思っています。
その後の人生については生きる意味は見いだせていませんが正直恐怖もあります。
その恐怖について話していこうかなと思います。

①生きることへの恐怖
生きることへの恐怖というよりは「生きている=正義」「死ぬ=悪」
この構図にかなり不快感があります。
生きていても他人に迷惑をかけてしまい死刑になりたくて傷つける。
こういう人たちには選択肢がない状態なんですよね。
死のうにも怖くてできない→法的に認められており他者に裁いてもらおう→犯罪
人の心が見えない以上止めようのない状態です。
この連鎖に巻き込まれたらどうしようもないですよね
生きることへの恐怖というより「生きたくない人への恐怖」ですね

②死ぬことへの恐怖
正直死ぬことへの恐怖は小学校の時の夜、感覚障害になったときにある程度は理解しているのでそこまで怖いという感情は沸かないです。
私が一番恐怖に思っているのは「死に方を選べない恐怖」です。
最近祖父祖母の介護で病院に同行することが多いのですが正直私は苦痛を感じてしまいました。介護の苦痛ではなく自分で選択できない苦痛です。

癌になって転移しても手術を辞める権利を主張できない
家族の判断で手術の決定をする点にかなりの恐怖を覚えました。

私の家族は祖父の手術を求め、医者も同意、祖父は拒否

結果祖父の意見は取り入られずに手術は決行されました。
私はこの結果に恐怖しかありませんでした。
生き方死に方ぐらいは自分で決めたいと強く思うようになった体験でした…

・まとめ
私の思考的には安楽死肯定派です。
偏った意見ですので色々な人の意見も聞いてみてください。
考えるきっかけになればと思います。

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