面接はクリアしたのに『また同じ目に遭うかも』と不安で潰れそうだった私

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コラム

「また、あの日々が戻ってくるかもしれない」


カウンセリングルームに入ってきたリョウさんは、どこか疲れた表情をしていた。

座るなり、小さな声でこう言った。

リョウ「すみません、なんか...緊張してて」

ダイキ「大丈夫ですよ。ゆっくりで構いません。まず、今日はどんなことをお話ししたいですか?」

リョウさんは少し間を置いてから、ゆっくりと話し始めた。

リョウ「実は...来月から新しい会社で働くことになったんです。やっと内定が出て。本来なら嬉しいはずなんですけど...」

そこで言葉が詰まった。

ダイキ「嬉しいはずなのに、そうじゃない気持ちもあるんですね」

リョウ「はい。怖いんです。また、前の職場みたいになるんじゃないかって」

リョウさんの手が、わずかに震えていた。

過去の傷痕


ダイキ「前の職場、というのは?」

リョウ「ある会社で...数年働いてたんです。でも、そこがいわゆるブラック企業で」

リョウさんは、そこで一度目を閉じた。

リョウ「毎日朝から深夜まで。休憩もほとんどなくて。何をやっても怒鳴られるんです。『なんでこんなこともできないんだ』『お前のせいで会社に損害が出た』って...理不尽な叱責ばかりで」

ダイキ「それは...とても過酷な環境でしたね」

リョウ「最初は自分が悪いんだと思ってました。もっと頑張らなきゃって。でも、だんだん...おかしいって気づいて。同僚も次々辞めていくし。それでも辞められなかった。『ここで辞めたら、次はもっと酷いところしか行けないんじゃないか』って」

リョウさんの声が小さくなっていく。

ダイキ「そのときのリョウさんは、逃げ場がないように感じていたんですね」

リョウ「そうです...。結局、体を壊して辞めました。それから数ヶ月、何もできない日が続いて。やっと動けるようになって、転職活動を始めて...それで、今回内定をもらったんです」

体に刻まれた警戒


ダイキ「新しい職場が決まったのに、怖いと感じてるんですね。具体的には、どんな怖さですか?」

リョウさんは、少し考えてから答えた。

リョウ「...上司と話すことを想像するだけで、体が固まるんです。心臓がバクバクして、手に汗をかいて。『また怒鳴られるんじゃないか』『また理不尽なことを言われるんじゃないか』って」

ダイキ「それは、前の職場での経験が体に記憶されているんですね」

リョウ「体に...記憶?」

ダイキ「はい。私たちの脳と体は、危険な経験をすると、それを学習してしまうんです。『上司=危険』という条件づけが、無意識のうちに起きてしまう」

リョウさんは、少し驚いた様子だった。

リョウ「条件づけ...ですか」

ダイキ「例えば、犬に噛まれた経験があると、次に犬を見たときに怖くなりますよね。それと似ています。リョウさんの場合、前の職場で『上司から理不尽に怒鳴られる』という経験を何度も繰り返したことで、『上司=恐怖』という条件づけが起きてしまった」

リョウ「なるほど...だから、新しい上司はまだ会ったこともないのに、怖いんですね」

ダイキ「そうです。これは、リョウさんが弱いとか、おかしいとかじゃなくて、人間の脳の自然な反応なんです」

リョウさんは、少しホッとしたような表情を見せた。

「消去」という希望


リョウ「でも...これって、もう治らないんですか? ずっとこのままなんでしょうか」

リョウさんの声には、わずかな諦めが混じっていた。何年も前のことなのに、まるで昨日のことのように体が覚えている。この恐怖は、もう消えないんじゃないか。そんな不安が、リョウさんの心を支配していた。

ダイキ「いえ、治らないわけじゃないんです。『消去』という方法があります」

リョウ「消去...?」

ダイキ「条件づけられた反応は、新しい経験で書き換えることができるんです。心理学では『消去学習』と呼ばれています」

リョウさんは、身を乗り出した。

ダイキ「脳の仕組みを少し説明しますね。リョウさんが前の職場で怒鳴られるたびに、脳は『上司の姿→危険信号→不安反応』という回路を強化していったんです。これは、私たちが生き延びるための防衛本能なんですよ」

リョウ「防衛本能...」

ダイキ「そうです。原始時代、私たちの祖先は、肉食動物に襲われた場所を避けることで生き延びてきました。『あの場所=危険』と学習する能力は、命を守るために不可欠だったんです」

リョウさんは、少し驚いた表情で聞いていた。

ダイキ「でも、現代社会では、この防衛本能が時に過剰に働いてしまう。前の職場は確かに危険でした。でも、次の職場も同じだとは限らない。だからこそ、脳に『新しい経験』を学習させる必要があるんです」

リョウ「新しい経験...」

ダイキ「はい。例えば、犬に噛まれて犬が怖くなった人が、優しい犬と何度も接することで、『犬=危険』という記憶が『犬=安全な場合もある』に書き換えられていく。実際の心理学の研究でも、段階的に不安な状況に慣れていくことで、恐怖反応が弱まることが証明されているんです」

リョウ「でも...新しい職場で、もしまた怒鳴られたら? せっかく頑張って入社しても、また同じ目に遭ったら、もう立ち直れない気がします」

リョウさんの声が震えた。その恐怖は、想像だけでも体を支配するほど強いものだった。

ダイキ「その心配、よくわかります。だからこそ、実際に職場に行く前に、『リハーサル』をするんです。安全な場所で、何度も練習することで、脳に新しいパターンを学習させる。そうすることで、本番のときに過剰な不安反応が起きにくくなるんです」

リョウ「リハーサル...本当に効果があるんですか?」

ダイキ「あります。これは『系統的脱感作』という、不安障害の治療でも使われている方法なんです。少しずつ、段階的に慣れていくことで、恐怖を乗り越えられる」

リョウさんは、少し希望を持ち始めたような表情をした。

リョウ「やってみます。どうすればいいんですか?」

不安階層表を作る


ダイキ「まず、リョウさんが怖いと感じる場面を、軽いものから重いものまで並べてみましょう。これを『不安階層表』と言います」

ダイキは、紙とペンを取り出した。

ダイキ「例えば、0点が『全く怖くない』、100点が『最も怖い』だとして、リョウさんが怖いと感じる場面を点数化してみてください」

リョウさんは、しばらく考えてから、こう答えた。

リョウ「えっと...会社の入り口に入る、っていうのは...30点くらいかな」

ダイキ「いいですね。他には?」

リョウ「上司に挨拶する...これは50点。上司と二人きりで話す...70点。ミスを指摘される...90点」

ダイキ「ありがとうございます。じゃあ、一番怖いのは?」

リョウさんは、少し躊躇してから答えた。

リョウ「...怒鳴られる。これが100点です」

ダイキ「わかりました。では、この不安階層表をもとに、段階的に練習していきましょう」

段階1:イメージの中で練習する


ダイキ「まず、一番軽い場面から始めます。30点の『会社の入り口に入る』場面を、頭の中でイメージしてみてください」

リョウさんは目を閉じた。

リョウ「会社の入り口...ビルの前に立ってます」

ダイキ「そのとき、体はどんな感じですか?」

リョウ「少し...緊張してます。でも、まだ大丈夫」

ダイキ「いいですね。では、そのまま深呼吸を3回してみてください」

リョウさんは、ゆっくりと息を吸い、吐いた。

ダイキ「どうですか?」

リョウ「少し...落ち着いてきました」

ダイキ「素晴らしい。これを何度も繰り返すことで、『会社の入り口=危険』という記憶が、『会社の入り口=大丈夫な場所』に書き換わっていくんです」

段階2:声に出してリハーサルする


ダイキ「次は、50点の『上司に挨拶する』場面です。今度は、実際に声に出してみましょう」

リョウさんは、少し戸惑った。

リョウ「声に...出すんですか?」

ダイキ「はい。私が上司役をやります。リョウさんは、朝の挨拶をしてみてください」

リョウさんは、明らかに緊張していた。手をぎゅっと握りしめ、何度か深呼吸をする。

リョウ「お、おはようございます...」

声が小さく、震えていた。

ダイキ「おはよう。元気そうだね」

ダイキは、わざと優しい口調で返した。

リョウさんは、一瞬きょとんとした表情になった。

リョウ「あれ...」

ダイキ「どうでしたか?」

リョウ「意外と...普通でした。前の職場だと、挨拶しても無視されるか、『声が小さい』って怒られるかだったので」

リョウさんは、そこで少し笑った。苦笑いだったが、それでも表情が和らいでいた。

ダイキ「そうなんです。実際にやってみると、想像していたほど怖くないことに気づくことが多いんです。もう一度やってみましょうか。今度は、少し大きな声で」

リョウ「はい。おはようございます!」

今度は、さっきより声に張りがあった。

ダイキ「おはよう! 今日も一日よろしくね」

リョウ「......あ、なんか、いけそうな気がしてきました」

リョウさんの顔に、少しずつ自信が戻ってきているのが見えた。

ダイキ「いいですね。では、次は『報告をする』場面もやってみましょう。リョウさん、昨日頼まれた資料ができたという設定で、報告してみてください」

リョウさんは、少し考えてから、こう言った。

リョウ「あの...昨日お願いされていた資料、できました」

ダイキ「ありがとう。助かるよ。内容、ざっと説明してもらえる?」

リョウさんは、少し詰まった。

リョウ「えっと...」

前の職場では、報告の仕方が少しでも気に入らないと、すぐに怒鳴られた。何を言っても否定された。だから、報告することそのものが、リョウさんにとって恐怖の対象になっていたのだ。

ダイキは、その様子を見て、優しく声をかけた。

ダイキ「大丈夫ですよ。ゆっくりで構いません」

リョウ「...資料の内容は、先月の売上をまとめたもので、前年比で5%増加していることがわかりました」

ダイキ「なるほど。5%増か。いい傾向だね。ありがとう」

リョウさんは、ホッと息を吐いた。

リョウ「...これで、終わりですか?」

ダイキ「はい。前の職場では、報告したあと、何を言われてましたか?」

リョウ「『で、それがどうした』『お前の分析が足りない』『そんなことは誰でもわかる』とか...とにかく、何を言っても否定されました」

ダイキ「それは辛かったですね。でも、普通の職場では、報告を受けたら『ありがとう』で終わりなんです。もちろん、時には追加の質問があったり、改善点を指摘されることもありますが、それは『怒られてる』わけじゃない」

リョウさんは、何かに気づいたような表情をした。

リョウ「そうか...僕、『報告=怒られる』って思い込んでたんですね」

ダイキ「そうです。でも今日、『報告=普通のやりとり』を体験できましたよね。これを何度も繰り返すことで、脳が新しいパターンを学習していくんです」

段階3:「もし怒鳴られたら」への対処


ダイキ「では、90点の『ミスを指摘される』場面もやってみましょうか」

リョウさんの表情が、一瞬で曇った。体が少し後ろに引いた。

リョウ「これは...怖いです」

ダイキ「そうですよね。でも、ここが一番大事なところなんです。大丈夫、私がついています」

リョウさんは、何度も深呼吸をした。手が震えている。

ダイキ「準備はいいですか? 私が上司役で、リョウさんのミスを指摘します。リョウさんは、どう対応するか考えてみてください」

リョウさんは、小さくうなずいた。

ダイキは、少し厳しめの口調で言った。

ダイキ「リョウさん、この資料、数字が間違ってるよ。ここの合計、計算が合ってない」

リョウさんは、一瞬完全に固まった。顔が青ざめ、呼吸が浅くなった。まるで、あの日々に引き戻されたかのようだった。

数秒の沈黙。

リョウ「も、申し訳ございません...」

声が震えている。でも、何とか言葉を絞り出した。

ダイキ「大丈夫。よくあることだから。すぐに直してもらえる?」

リョウ「は、はい...すぐに修正します」

ダイキ「OK、ありがとう。次から気をつけてね」

リョウさんは、深く息を吐いた。体の力が一気に抜けた。

リョウ「...これで、終わり、ですか?」

ダイキ「はい。前の職場では、ミスを指摘されるとどうなってましたか?」

リョウさんは、目を閉じて、少し間を置いてから答えた。

リョウ「怒鳴られて...『お前は本当に使えないな』『何のために雇ってると思ってるんだ』って人格否定されて...他の社員の前で晒し者にされることもありました」

リョウさんの声が、わずかに震えた。思い出すだけで、あの恐怖が蘇ってくる。

ダイキ「それは...とても辛い経験でしたね」

リョウ「だから、ミスをするのが怖いんです。ミス=自分の価値がゼロになる、って思ってしまう」

ダイキ「でも、今回のやりとりはどうでしたか? 怒鳴られましたか? 人格を否定されましたか?」

リョウさんは、ハッとした表情になった。

リョウ「いえ...普通に指摘されて、謝って、それで終わりでした」

ダイキ「そうです。これが、本来の正常なやりとりなんです。ミスは誰にでもあります。大事なのは、ミスを認めて、直すこと。それだけなんです」

リョウさんは、何かに気づいたような、でもまだ完全には信じられないような、複雑な表情をしていた。

リョウ「でも...もし、新しい職場でも理不尽に怒鳴る上司だったら?」

ダイキ「それも心配ですよね。では、最悪のシナリオも想定しておきましょう」

リョウさんは、少し驚いた。

リョウ「最悪のシナリオ...ですか?」

ダイキ「はい。不安に対処する方法の一つに、『最悪を想定して、その対処法を準備しておく』というものがあります。そうすることで、『もし〜だったらどうしよう』という漠然とした不安が、『もし〜だったら、こうする』という具体的な計画に変わるんです」

最大の恐怖に向き合う


ダイキ「最後に、100点の『怒鳴られる』場面も、練習しておきましょうか」

リョウさんは、明らかに身構えた。

リョウ「これは...本当に怖いです。想像するだけで、吐き気がします」

ダイキ「わかります。でも、万が一怒鳴られたとしても、リョウさんには選択肢があるんです。前の職場にいたときは、選択肢がないと思い込んでいたんじゃないですか?」

リョウさんは、静かにうなずいた。

リョウ「そうです...逃げ場がない、って思ってました。だから、ただ耐えるしかなかった」

ダイキ「でも今は違います。リョウさんは、もう前の会社にはいない。新しい職場では、リョウさんは『選べる』んです」

リョウ「選べる...?」

ダイキ「はい。具体的に、3つの選択肢をお伝えしますね」

ダイキは、紙に書きながら説明した。

ダイキ「1つ目は、冷静に『申し訳ありません』と伝えて、その場を離れること。感情的になっている相手と、その場で言い争っても、状況は悪化するだけです。まずは、物理的な距離を取る」

リョウさんは、真剣な表情で聞いていた。

ダイキ「2つ目は、その後で信頼できる人に相談すること。上司の上司、人事部、同僚、誰でもいい。一人で抱え込まないことが大切です」

リョウ「でも...相談したら、『お前が悪い』って言われるんじゃないかって」

ダイキ「その不安、わかります。前の職場では、相談できる人がいなかったんですね」

リョウ「はい...誰に相談しても、『我慢しろ』『お前が悪い』って言われるだけでした」

ダイキ「それは本当に辛かったですね。でも、まともな職場であれば、パワハラは許されないんです。そして3つ目の選択肢として、もしそれがパワハラだと判断したら、会社の相談窓口や外部の労働相談機関に報告することもできます」

リョウさんは、少し驚いた様子だった。

リョウ「外部...ですか?」

ダイキ「はい。労働基準監督署、労働局、弁護士、いろんな相談先があります。もちろん、そこまでいかないことを願いますが、『最悪の場合でも、自分を守る手段がある』と知っておくだけで、心の余裕が全然違うんです」

リョウさんは、何度もうなずいた。

リョウ「...そうですね。前は、『ここを辞めたら終わりだ』って思ってました。でも、そうじゃないんですね」

ダイキ「そうです。リョウさんは、もう『逃げられない』状況にはいない。それだけで、全然違うんです」

少しの沈黙の後、リョウさんが口を開いた。

リョウ「あの...もう一つ聞いてもいいですか」

ダイキ「もちろんです」

リョウ「もし、怒鳴られたとき、体が動かなくなったら...どうすればいいんでしょうか。前は、頭が真っ白になって、何も考えられなくなってしまって」

ダイキ「いい質問ですね。それは、『フリーズ反応』と言って、危険を感じたときの自然な防衛反応なんです。闘うか逃げるかの前に、まず固まってしまう」

リョウ「フリーズ反応...」

ダイキ「はい。これも脳の自動的な反応です。でも、練習することで、フリーズから抜け出す方法を身につけることができます。例えば、『深呼吸を3回する』『手のひらを強く握って、ゆっくり開く』『心の中で10まで数える』。こういった簡単な動作を決めておくことで、フリーズ状態から抜け出しやすくなるんです」

リョウさんは、メモを取り始めた。

リョウ「深呼吸...手を握る...10まで数える...」

ダイキ「そうです。そして、もし可能なら、『少し時間をください』と言って、トイレに行くとか、給湯室に行くとか、とにかくその場を離れる。物理的な距離を取ることで、心の距離も取れるんです」

リョウ「わかりました...やってみます」

ダイキ「では、実際に練習してみましょうか。私が理不尽に怒鳴るので、リョウさんは今お伝えした方法を使ってみてください」

リョウさんは、少し緊張した表情でうなずいた。

ダイキは、少し大きな声で言った。

ダイキ「何やってるんだ! こんなミス、ありえないだろ!」

リョウさんの体が、一瞬ビクッとした。でも、すぐに深呼吸を始めた。

一度、二度、三度。

リョウ「申し訳ございません...少し、時間をいただけますか」

声は震えていたが、言葉を発することができた。

ダイキ「...はい、そこまでです」

ダイキは、普通のトーンに戻った。

リョウ「どうでしたか?」

ダイキ「素晴らしかったです。フリーズしかけましたよね。でも、深呼吸をして、言葉を発することができた。これが、とても大きな一歩なんです」

リョウさんは、少しホッとした表情を見せた。

リョウ「でも...声が震えてました」

ダイキ「それでいいんです。怖いときに震えるのは当然です。大事なのは、震えながらでも、『行動できた』ことなんです」

気づきの瞬間


しばらく沈黙が続いた。

リョウさんは、窓の外を見ていた。何かを考えている様子だった。

ダイキは、静かに待った。

数分後、リョウさんが口を開いた。

リョウ「...あの、ダイキさん」

ダイキ「はい?」

リョウ「今、気づいたことがあるんです」

ダイキ「聞かせてください」

リョウさんは、少し震える声で話し始めた。

リョウ「僕...ずっと、『自分が悪い』って思い込んでたんです」

ダイキ「と、いうと?」

リョウ「怒鳴られるのは、自分が無能だから。ミスをするのは、自分が努力してないから。だから、次の職場でも『自分がダメだから、また同じことが起きる』って...そう思ってました」

リョウさんの目に、涙が浮かんできた。

リョウ「でも...違うんですね。前の職場が異常だっただけで、僕が全部悪かったわけじゃない」

ダイキは、静かにうなずいた。

ダイキ「そうです。リョウさんは、あの過酷な環境で、数年間も耐えて、そして最終的に自分で『これはおかしい』と気づいて、抜け出してきた。それは、リョウさんの強さなんです」

リョウさんの目から、静かに涙が流れた。

リョウ「ずっと...自分を責めてました。『俺がもっとできる人間だったら、怒鳴られなかったんじゃないか』『俺がもっと頑張れば、認めてもらえたんじゃないか』って」

リョウさんは、手で顔を覆った。

リョウ「でも...何をやってもダメだった。どんなに頑張っても、否定された。だから、『自分には価値がない』って...そう思うようになってしまって」

ダイキは、ティッシュの箱をリョウさんの方に差し出した。

リョウさんは、涙を拭いながら、続けた。

リョウ「今日、ここに来るまで、ずっと考えてたんです。『もしまた同じことが起きたら、今度こそ本当に終わりだ』って。でも...」

ダイキ「でも?」

リョウ「違うんですね。前の職場がおかしかっただけで、世界中の職場がそうじゃない。そして、もし次の職場でも何か問題があったら、今度は『逃げられる』。そう思ったら...少し、楽になりました」

ダイキは、優しく言った。

ダイキ「リョウさん、自分を責める必要は、もうないんです。あの環境で生き延びてきたこと自体が、すごいことなんですから」

リョウさんは、大きく息を吐いた。

リョウ「ありがとうございます...。でも、まだ怖いです。新しい職場で、また...って」

ダイキ「怖いと感じるのは、自然なことです。むしろ、怖いと感じるからこそ、準備ができる。今日やったリハーサルを、何度も繰り返してください。一人でもできますから」

リョウ「一人でも...ですか?」

ダイキ「はい。家で、鏡の前で練習してもいいですし、声に出さなくても、頭の中でイメージするだけでも効果があります。大事なのは、『新しいパターン』を脳に学習させることなんです」

リョウさんは、真剣な表情でうなずいた。

リョウ「わかりました。やってみます」

ダイキ「そして、もう一つ大事なことがあります」

リョウ「何ですか?」

ダイキ「完璧を目指さないこと。新しい職場で、緊張するのは当たり前です。最初からうまくやろうとしなくていい。少しずつ、慣れていけばいいんです」

リョウさんは、少し肩の力が抜けたような表情をした。

リョウ「少しずつ...ですね」

ダイキ「そうです。そして、もし困ったことがあったら、またここに来てください。一人で抱え込まなくていいんです」

リョウさんは、初めて、本当の笑顔を見せた。

リョウ「はい...ありがとうございます」

未来への一歩


セッションの終わりが近づいていた。リョウさんの表情は、来たときとは明らかに違っていた。

ダイキ「リョウさん、来月からの新しい職場で、どんなふうに働きたいですか?」

リョウさんは、少し考えてから、ゆっくりと答えた。

リョウ「...普通に、働きたいです」

ダイキ「普通に?」

リョウ「はい。朝、会社に行って、挨拶して。仕事を教えてもらって、わからないことは質問して。ミスしたら謝って、直して。休憩時間には同僚と少し話したりして。そういう、当たり前のことがしたいんです」

リョウさんの声には、確かな願いが込められていた。

ダイキ「いいですね。その『当たり前』を、今度は手に入れられますよ」

リョウ「でも...また怖くなったら、どうすれば? もし出勤の朝、体が動かなくなったら...」

ダイキ「そのときは、今日練習したことを思い出してください。まず深呼吸。そして、『これは前の職場の記憶が反応してるだけ。今の職場は違う』って、自分に言い聞かせる」

リョウさんは、メモを取りながら聞いていた。

ダイキ「そして、もし本当に辛くなったら、無理せず休んでもいいんです。一日休むことは、悪いことじゃない。体調を整えてから、また行けばいい」

リョウ「休んでもいい...んですか?」

ダイキ「もちろんです。前の職場では、休むことも許されなかったんですか?」

リョウ「はい...休むと、『やる気がない』って責められました。熱が出ても、『気合いで来い』って」

ダイキ「それは、本当に異常なことです。普通の職場では、体調が悪いときは休むのが当たり前なんです」

リョウさんは、何度もうなずいた。

リョウ「そうですよね...。わかりました。もし辛くなったら、無理せず休みます」

ダイキ「あと、もう一つ提案があります」

リョウ「何ですか?」

ダイキ「日記をつけてみてください。毎日、『今日あった良いこと』を3つ書く。どんな小さなことでもいいんです」

リョウ「良いこと...ですか?」

ダイキ「はい。例えば、『上司に挨拶したら、笑顔で返してくれた』とか、『同僚がコーヒーを入れてくれた』とか。そういう小さな『良いこと』を記録することで、脳が『この職場は安全だ』と学習していくんです」

リョウさんは、目を輝かせた。

リョウ「なるほど...。それなら、僕にもできそうです」

ダイキ「そうです。そして、もし『嫌なこと』があったときは、それも書いてください。ただし、その後に『どう対処したか』『次はどうするか』も一緒に書く。そうすることで、『嫌なこと=終わり』じゃなくて、『嫌なこと=学びの機会』に変わっていくんです」

リョウさんは、大きくうなずいた。

リョウ「わかりました。やってみます」

ダイキ「あと、週に一度でいいので、今日やったリハーサルを繰り返してください。一人で、鏡の前で。そうすることで、脳の新しいパターンが強化されていきます」

リョウ「はい...。あの、ダイキさん」

ダイキ「はい?」

リョウ「もし...新しい職場で、うまくいったら、報告に来てもいいですか?」

ダイキは、笑顔で答えた。

ダイキ「もちろんです。楽しみに待っていますよ」

リョウさんは、立ち上がり、深く頭を下げた。

リョウ「本当にありがとうございました。少し...希望が見えてきました」

ダイキ「リョウさんなら、大丈夫です。応援していますよ」

一ヶ月後


リョウさんから、メッセージが届いた。

「ダイキさん、報告です。新しい職場、意外と...大丈夫です」

「最初の一週間は、本当に怖かったです。毎朝、家を出る前に吐き気がしました。でも、教えてもらった深呼吸をして、『これは前の職場の記憶』って自分に言い聞かせて、なんとか出勤しました」

「上司は...普通の人でした。挨拶したら挨拶を返してくれるし、質問したら丁寧に教えてくれる。ミスをしたときも、『次から気をつけてね』って言われただけで、怒鳴られませんでした」

「最初は、『いつか本性を現すんじゃないか』って疑ってました。でも、もう一ヶ月経って、やっと『ここは違う』って思えるようになってきました」

「まだ完全にリラックスはできてないです。時々、夢で前の職場が出てきて、汗をかいて目が覚めることもあります。でも、以前よりは、ずっと楽になりました」

「日記も書いてます。最初は、『良いこと』が見つからなくて苦労しましたけど、最近は『今日、同僚がお菓子をくれた』とか、『ランチタイムに笑えた』とか、小さなことが嬉しく感じられるようになってきました」

「リハーサルも、週に一度やってます。最初は一人でやるのが恥ずかしかったけど、今は習慣になりました。鏡の前で、上司役の自分と話すんです。変ですよね(笑)」

「でも、これが効いてるんだと思います。実際に上司と話すとき、前ほど緊張しなくなりました」

「まだまだ不安はあります。でも、『もし何かあっても、逃げられる』って思えるようになったのが、一番大きな変化です」

「ダイキさん、本当にありがとうございました。また報告します」

ダイキは、その文面を読んで、静かに微笑んだ。

過去の傷は、一瞬では消えない。トラウマの記憶は、簡単には書き換わらない。

でも、新しい経験を、一つ一つ積み重ねることで、確実に、脳は変わっていく。

『上司=危険』という条件づけが、『上司=時には優しい人もいる』という新しい学習に置き換わっていく。

それは、消去学習というプロセスだ。

リョウさんの再挑戦は、まだ始まったばかり。きっと、これからも山あり谷ありだろう。

でも、リョウさんはもう、一人じゃない。対処法を知っている。選択肢を持っている。

そして何より、『自分は悪くなかった』と気づけた。

それだけで、未来は大きく変わる。

ダイキは、返信を打った。

「リョウさん、素晴らしい報告をありがとうございます。一歩一歩、確実に前に進んでいますね。これからも、無理せず、自分のペースで。困ったときは、いつでも連絡してください」



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