4人目の別れ
午後2時。カウンセリングルームに入ってきたタカシは、少し疲れた表情をしていた。40歳のIT技術者である彼は、オンラインで予約を入れる際、「恋愛の悩み」とだけ書いていた。
椅子に座ると、タカシは小さく息を吐いた。
ダイキ「今日はどんなお話を聞かせていただけますか?」
タカシ「......また、フラれたんです」
ダイキ「また、というのは?」
タカシ「これで4人目です。ここ2年で」
タカシは膝の上で手を組んだ。その手が、わずかに震えているように見えた。
タカシ「毎回、3ヶ月くらいで終わるんです。で、毎回、相手から別れを切り出される」
ダイキ「3ヶ月という期間と、相手から、というところが共通しているんですね」
タカシ「はい。で、毎回言われることも似てるんです。『タカシさんは優しいし、真面目だし、いい人なんだけど......』って」
タカシは苦笑した。
タカシ「『いい人なんだけど』って、もう聞き飽きました。いい人じゃダメなんですかね?」
ダイキ「......その言葉を聞くと、どんな気持ちになりますか?」
タカシは少し考えてから答えた。
タカシ「悔しい、かな。一生懸命やってるつもりなのに。相手のこと考えて、気を使って、できる限りのことをして。それでも『いい人なんだけど』って言われると......なんか、全部否定された気がするんです」
パターン化した恋愛
ダイキ「タカシさんは、相手のことを考えて一生懸命やってこられたんですね。具体的には、どんなことをされていたんですか?」
タカシ「えーっと......まず、連絡はこまめにしてました。朝、『おはよう』って送って、夜は『今日はお疲れさま』って。相手が忙しそうだったら、『無理しないでね』とか」
ダイキ「毎日?」
タカシ「はい。あと、デートの予定は全部僕が立ててました。相手の好きそうなレストラン探して、予約して。記念日には花を用意したり」
ダイキ「それは、相手から頼まれて?」
タカシ「いや、頼まれてはいないです。でも、男がリードするべきかなって」
タカシは少し自信なさげに続けた。
タカシ「あと、喧嘩みたいになりそうなときは、僕が折れるようにしてました。相手を怒らせたくなくて」
ダイキ「......怒らせたくない?」
タカシ「はい。だって、喧嘩して関係が壊れるのが怖いじゃないですか」
そう言ったタカシの声は、少し震えていた。
ダイキ「怖い、という言葉が出ましたね」
タカシ「......はい」
タカシは視線を落とした。しばらく沈黙が続いた。
ダイキ「タカシさんは、関係が壊れることが、とても怖いんですね」
タカシはゆっくりと頷いた。
タカシ「そうかもしれません。だから、できるだけ相手に合わせようとするんです。でも......それでも結局、フラれるんです」
「素の自分」を出せない理由
ダイキ「4人の方との関係で、何か共通していたことはありますか?」
タカシは少し考えてから答えた。
タカシ「......どの人とも、最初はすごく楽しかったんです。1ヶ月目くらいまでは。でも、2ヶ月目くらいから、なんとなく相手の反応が変わってくるんです」
ダイキ「反応が変わる?」
タカシ「はい。最初は僕の連絡に嬉しそうに返信してくれてたのに、だんだん返信が遅くなったり、短くなったり。デートの提案も、『うーん、また今度ね』って言われることが増えて」
ダイキ「そのとき、タカシさんはどうされるんですか?」
タカシ「もっと頑張ります。もっと気を使って、もっと優しくして」
ダイキ「もっと......」
タカシ「はい。『嫌われたくない』って必死になるんです。でも、そうすればするほど、相手が離れていく気がして」
タカシは両手で顔を覆った。
タカシ「......何がダメなんでしょうか。僕のどこが悪いんでしょうか」
ダイキはゆっくりと言葉を選んだ。
ダイキ「タカシさん、1つ聞いてもいいですか? これまでの4人の方との関係で、タカシさんが『本当はこうしたい』『本当はこう思う』ということを、素直に伝えたことはありますか?」
タカシは顔を上げた。
タカシ「......本当は?」
ダイキ「はい。相手に合わせるのではなく、タカシさん自身の気持ちや意見を」
タカシは黙り込んだ。しばらくして、小さな声で答えた。
タカシ「......ないかもしれません」
ダイキ「ないかもしれない?」
タカシ「というか、自分が何を思ってるのか、わからなくなってる気がします。相手のことばかり考えて、『どうしたら喜んでくれるか』『どうしたら嫌われないか』って。で、気づいたら、自分が何をしたいのか、何を感じているのか......」
タカシの目に涙が浮かんだ。
タカシ「......わからないんです」
過去の傷が作った城壁
ダイキ「タカシさん、少し過去のお話を聞かせていただいてもいいですか? 『嫌われたくない』『関係が壊れるのが怖い』という気持ちは、いつ頃から持つようになったと思いますか?」
タカシは天井を見上げた。
タカシ「......学生の頃からかもしれません」
ダイキ「学生の頃?」
タカシ「中学生のとき、クラスで......なんていうか、いじられキャラみたいになってたんです」
タカシの声が少し震えた。
タカシ「最初は笑って受け流してたんです。『まあ、こういうキャラでいいか』って。でも、だんだんエスカレートしてきて。断ったり、嫌だって言ったりしたら、今度は完全に無視されるようになって」
ダイキ「......」
タカシ「半年くらい、誰とも話せなかったです。教室にいるのに、透明人間みたいに扱われて。あの時の孤独感は......今でも思い出すと胸が苦しくなります」
タカシは拳を握りしめた。
タカシ「だから、それ以来、できるだけ周りに合わせるようにしたんです。波風立てないように。嫌われないように。......そうしたら、また人と話せるようになって」
ダイキ「タカシさんは、そうやって自分を守ってきたんですね」
タカシ「......守る?」
ダイキ「はい。あの時の孤独感を二度と味わわないために、タカシさんは『周りに合わせる』という方法を選んだ。それは、タカシさんにとって必要な選択だったんだと思います」
タカシはゆっくりと頷いた。
ダイキ「でも、その方法を、今も続けているとしたら?」
タカシ「......」
ダイキ「中学生の頃のタカシさんには必要だった方法が、今の恋愛では、もしかしたら別の結果を生んでいるかもしれない」
タカシは深く息を吐いた。
優しさの裏にあるもの
ダイキ「タカシさん、1つ想像してみてください。もし、タカシさんが交際している女性だとしたら。相手の男性が、いつも自分に合わせてくれて、こまめに連絡をくれて、デートプランも全部立ててくれて、意見が違っても自分に譲ってくれる。どう感じますか?」
タカシは考え込んだ。
タカシ「......嬉しい、んじゃないですか?」
ダイキ「本当に?」
タカシ「......」
ダイキ「最初は嬉しいかもしれません。でも、3ヶ月経って、ふと気づくんです。『この人、自分の意見を言ったことがないな』『本当は何を考えてるんだろう』って」
タカシの表情が変わった。
ダイキ「そして、もっと怖いことに気づくかもしれません。『この人は、私といることで幸せなんだろうか』『私を好きでいてくれてるんだろうか』『それとも、ただ嫌われたくないだけなんだろうか』って」
タカシ「......」
ダイキ「タカシさんの優しさは本物です。でも、その優しさの奥に『嫌われたくない』という恐怖があるとしたら、相手はそれを感じ取ってしまうかもしれません」
タカシは目を閉じた。
タカシ「......僕は、相手を大切にしてたつもりだったのに」
ダイキ「大切にしていたと思います。でも、同時に、自分自身を守ろうとしていた」
タカシ「守ろうと......」
ダイキ「『本当の自分を出したら嫌われるかもしれない』という恐怖から、タカシさん自身を守ろうとしていた。その結果、相手には『本当のタカシさん』が見えなくなっていたのかもしれません」
タカシの頬を、一筋の涙が流れた。
タカシ「......僕は、ずっと逃げてたんですね」
ダイキ「逃げていた、というよりも、自分を守っていた。でも今、タカシさんは気づき始めている。それが大切な一歩です」
失っていたもの
しばらくして、タカシは落ち着きを取り戻した。
タカシ「......僕、気づいたことがあります」
ダイキ「どんなことですか?」
タカシ「僕、『相手のことを考えて』って言ってたけど、本当は相手のことを信じてなかったのかもしれません」
ダイキ「信じていなかった?」
タカシ「はい。本当の自分を出したら嫌われるって思ってたってことは、『この人は、ありのままの僕を受け入れてくれない』って、最初から決めつけてたってことですよね」
タカシの声には、驚きが混じっていた。
タカシ「相手を信じてない人間が、相手に信じてもらえるわけがない......」
ダイキ「......」
タカシ「だから、相手も不安になったんだと思います。『この人は本当に私を好きなのか』『それとも、ただ孤独が怖いだけなのか』って」
ダイキ「タカシさんは、今、とても大切なことに気づかれましたね」
タカシは涙を拭いた。
タカシ「僕、全部逆だったんですね。相手を大切にするためには、まず自分を出さないといけなかった。自分の気持ちを、意見を、時には弱さも......全部出して、それで『それでもいい』って言ってもらえる関係を作らないといけなかった」
ダイキ「そうですね。親密な関係というのは、お互いが『本当の自分』を見せ合える関係のことです。それは怖いことでもありますが......」
タカシ「でも、それがないと、本当の意味でつながれない」
ダイキ「はい」
タカシは深く息を吸った。
タカシ「......怖いですけど、やってみたいです。次は」
新しい一歩のために
ダイキ「これから、どんなことを大切にしていきたいと思いますか?」
タカシは少し考えてから答えた。
タカシ「まずは、自分の気持ちを知ることからかな。『相手がどう思うか』の前に、『僕はどう思うのか』『僕は何を感じているのか』を、ちゃんと確認する」
ダイキ「いいですね」
タカシ「あと......怖いけど、自分の意見を言ってみたいです。相手と違う意見だったとしても。それで関係が壊れるなら、それは......もともと僕と合わない人だったってことなのかもしれない」
ダイキ「そう思えるようになったんですね」
タカシ「はい。それに、もし本当に僕のことを好きになってくれる人がいるとしたら、その人は『いい人』の僕じゃなくて、『本当の』僕を好きになってくれるはずですよね」
ダイキ「その通りです」
タカシは少し笑った。初めて見せる、本当の笑顔だった。
タカシ「あと、もう1つ気づいたことがあります」
ダイキ「どんなことですか?」
タカシ「僕、ずっと『フラれた』『フラれた』って言ってましたけど、もしかしたら僕も、本当の意味では相手と向き合ってなかったのかもしれません。だから、『フラれた』んじゃなくて......」
タカシは言葉を探した。
タカシ「『本当の関係を作れなかった』んだと思います。それは、僕にも責任がある」
ダイキ「それは、とても誠実な気づきですね」
タカシ「でも、これからは違います。怖いけど、本当の自分を出してみます。それで受け入れてもらえなかったら、それはそれで仕方ない。でも、少なくとも、後悔はしないと思います」
対話を終えて
カウンセリングが終わる頃、タカシの表情は最初とは明らかに違っていた。まだ不安は残っているだろう。でも、その目には、前に進もうとする意志が宿っていた。
タカシ「今日、来てよかったです。ずっとモヤモヤしてたことが、少しクリアになった気がします」
ダイキ「それは良かったです。これからも、焦らず、ゆっくりと進んでいってください」
タカシ「はい。あの......もう1つだけ、聞いていいですか?」
ダイキ「どうぞ」
タカシ「中学生の頃の僕に、今の僕から何か言葉をかけるとしたら......何て言ってあげたらいいと思いますか?」
ダイキは少し考えてから答えた。
ダイキ「『あの時、君が自分を守るために選んだ方法は間違ってなかった。でも、もう大丈夫だよ。今の君は、あの時とは違う。自分を出しても、もう一人ぼっちにはならない』......そんな言葉はどうでしょう」
タカシは涙をこらえながら、何度も頷いた。
タカシ「......ありがとうございます」
部屋を出る前、タカシは振り返って言った。
タカシ「次に誰かと付き合うときは、ちゃんと『本当の僕』を見てもらいます。それで、もしダメだったとしても......それは、その人と僕が合わなかっただけ。僕自身がダメなわけじゃない」
ダイキ「そうですね。タカシさんなら、大丈夫です」
タカシは深く頭を下げて、カウンセリングルームを後にした。
【カウンセラーの視点】
今回のタカシさんとの対話で印象的だったのは、「優しさ」の裏側にあったものに気づいていく過程でした。
彼の優しさは確かに本物でした。でも、その優しさは「相手のため」というよりも、「嫌われないため」「関係が壊れないため」という恐怖から生まれていたものでした。
過去の経験──中学時代の孤独──が、彼の中に深い傷を残していました。その傷を二度と味わわないために、彼は「本当の自分を隠す」という方法を選んだのです。
しかし、親密な関係というのは、お互いが「本当の自分」を見せ合える関係のことです。どちらかが仮面をかぶっていたら、本当の意味でのつながりは生まれません。
タカシさんは今日、その大切なことに気づきました。これからは、怖くても、少しずつ本当の自分を出していく練習をしていくでしょう。
すぐには変わらないかもしれません。次の恋愛でも、また同じパターンに戻ってしまうかもしれません。でも、気づきがあれば、必ず変わっていけます。
大切なのは、「完璧な自分」を演じることではなく、「不完全な自分」を受け入れてもらえる関係を作ることです。
タカシさんが、次はそんな関係を築けることを、心から願っています。