田中さん(仮名・40代前半・男性)は、数ヶ月前から体調を崩して休んでいた。メーカーの営業職として働いていたが、このたび復職の目処が立ち、人事面談を控えている。しかし、その「空白期間をどう説明するか」という不安が、彼の頭から離れなかった。
言葉にならない焦り
カウンセリングルームに入ってきた田中さんは、いつもより少し緊張した面持ちだった。椅子に座ると、彼は小さく息を吐いた。
田中さん: 「来週、復職面談があるんです」
ダイキ: 「そうなんですね。体調は、いかがですか?」
田中さん: 「ああ、体調は...まあ、だいぶ良くなりました。薬も減りましたし。でも...」
彼はそこで言葉を切った。
ダイキ: 「でも?」
田中さん: 「この数ヶ月、何もしてないんですよ。いや、正確には...休んでたんですけど。面談で『この期間、何をしてましたか?』って聞かれたら、なんて答えればいいのか...」
田中さんの視線は、膝の上で組んだ手に落ちた。
ダイキ: 「『何もしてない』と感じているんですね」
田中さん: 「そうなんです。資格の勉強でもすればよかった。せめて本でも読んで、何か成長したって言えれば...」
彼の声は、次第に小さくなっていった。
「何もしてない」の正体
ダイキ: 「田中さん、この数ヶ月、本当に何もしてなかったんでしょうか?」
田中さんは顔を上げた。少し戸惑った表情だった。
田中さん: 「え...? いや、でも...普通の生活はしてましたけど。朝起きて、散歩して、ご飯食べて、夜は早めに寝るようにして...」
ダイキ: 「その『普通の生活』、休む前はできてましたか?」
田中さんは黙った。
しばらくの沈黙の後、彼はゆっくりと首を横に振った。
田中さん: 「...できてなかったです。朝は起きられなくて、食事もコンビニで適当に済ませて。夜は寝つけなくて、ずっとスマホ見てました」
ダイキ: 「じゃあ、今は?」
田中さん: 「今は...7時には起きられます。朝ごはんも、ちゃんと作って食べてます。夜も、11時には布団に入れるようになって」
ダイキ: 「それって、『何もしてない』んでしょうか?」
田中さんの目が、少し見開かれた。
エネルギーを取り戻す
ダイキ: 「田中さんは、この数ヶ月で、生活のリズムを取り戻したんですよね」
田中さん: 「まあ...そうですね。でも、それって当たり前のことじゃないですか」
ダイキ: 「当たり前...?」
田中さん: 「朝起きて、ご飯食べて、寝るなんて、誰でもやってることですよね」
ダイキ: 「田中さんは、休む前、できてなかったんですよね?」
田中さん: 「...それは、そうですけど」
ダイキ: 「できなかったことが、できるようになった。それは、変化じゃないですか?」
田中さんは、何か言いかけて、口を閉じた。
少しの間があって、彼はぽつりと言った。
田中さん: 「でも...人事の人は、そんなこと聞きたいわけじゃないですよね」
ダイキ: 「何を聞きたいと思いますか?」
田中さん: 「資格を取ったとか、新しいスキルを身につけたとか...そういう『成長』の話ですよね」
彼の声には、諦めに似た響きがあった。
「説明しなきゃ」という呪縛
ダイキ: 「田中さんは、『ちゃんと説明しなきゃ』って思ってるんですね」
田中さん: 「そりゃ、そうですよ。何ヶ月も休んだんだから」
ダイキ: 「その『ちゃんと』って、どういうことでしょう?」
田中さん: 「え...?」
ダイキ: 「相手が納得する説明? それとも、自分が恥ずかしくない説明?」
田中さんは、再び黙り込んだ。
そして、小さな声で言った。
田中さん: 「...両方です」
ダイキ: 「どっちが、より気になりますか?」
田中さん: 「......自分が恥ずかしくない、方かな」
そう言った瞬間、田中さんの目が少し潤んだ。
恥ずかしさの奥にあるもの
田中さんは、ゆっくりと息を吐いた。
田中さん: 「情けないんですよ。休んでる間、何度も思ったんです。『こんなことで休んでていいのか』『みんな働いてるのに』って」
ダイキ: 「そう思いながら、過ごしてたんですね」
田中さん: 「はい...毎朝、起きるたびに罪悪感がありました。『今日も何もしないで終わる』って」
ダイキは、少し間を置いてから尋ねた。
ダイキ: 「その罪悪感、今もありますか?」
田中さん: 「...今は、少しマシになりました。でも、面談のことを考えると、また蘇ってくるんです」
ダイキ: 「面談で、何を言われるのが一番怖いですか?」
田中さんは、しばらく考えた。
田中さん: 「『この期間、無駄だったね』って思われることかな。あと...『こいつ、結局何もできなかったんだ』って」
彼の声は震えていた。
空白ではなく、充電期間
ダイキ: 「田中さん、スマホの充電って、どうやってしますか?」
突然の質問に、田中さんは戸惑った顔をした。
田中さん: 「え...? 充電器に挿して、そのまま置いときますけど」
ダイキ: 「充電してる間、スマホ使いますか?」
田中さん: 「いや...使わないですね。充電が遅くなるから」
ダイキ: 「そうですよね。充電してる間は、『何もしない』のが一番効率的です」
田中さんは、ゆっくりと頷いた。
ダイキ: 「田中さんのこの数ヶ月も、似てませんか? エネルギーを充電する時間だったんじゃないでしょうか」
田中さん: 「充電...」
ダイキ: 「充電中のスマホに、『今、何か生産的なことしてる?』って聞きますか?」
田中さんは、小さく笑った。初めて見せた笑顔だった。
田中さん: 「聞かないですね...おかしいな」
ダイキ: 「でも、人間は自分に対して、それを聞いちゃうんですよね」
田中さんは、深くうなずいた。
言葉を探す
ダイキ: 「面談で、どう言えば自分が納得できそうですか?」
田中さん: 「うーん...正直に、『体調を崩して休んでました』でいいんですかね」
ダイキ: 「それで、田中さんは納得できますか?」
田中さん: 「でも、それだけだと...なんか、言い訳っぽくて」
ダイキ: 「じゃあ、もう少し付け加えるとしたら?」
田中さんは、少し考えた。
田中さん: 「『体調を崩して休んでました。その間、生活のリズムを整えて、体調を戻すことに専念しました』...とか?」
ダイキ: 「それ、事実ですよね?」
田中さん: 「はい」
ダイキ: 「言ってみて、どう感じます?」
田中さん: 「...悪くないかも。嘘はついてないし」
そう言った田中さんの表情は、少し軽くなっていた。
伝えるべきこと
ダイキ: 「人事の人が本当に知りたいのは、何だと思いますか?」
田中さん: 「うーん...復職できる状態かどうか、ですかね」
ダイキ: 「そうですよね。だとしたら、この数ヶ月で田中さんが何を学んだか、何ができるようになったかを伝えるより、『今、どういう状態か』を伝える方が大事じゃないですか?」
田中さんは、はっとした表情になった。
田中さん: 「...そうか。『空白期間に何をしたか』じゃなくて、『今、働ける状態に戻ったか』が大事なんですね」
ダイキ: 「はい。そして、田中さんは今、どうですか?」
田中さん: 「朝、起きられます。ご飯も食べられます。夜も眠れます。...働ける状態だと思います」
ダイキ: 「それを、そのまま伝えたらどうでしょう?」
田中さんは、少し考えてから言った。
田中さん: 「『休んでいる間、生活リズムを整えて、体調を戻すことに専念しました。今は、朝決まった時間に起きて、食事も規則正しく取れるようになりました。仕事に復帰する準備はできています』...こんな感じですかね」
ダイキ: 「それ、すごくいいと思います」
田中さんは、ゆっくりと息を吐いた。
田中さん: 「なんか...肩の荷が下りた気がします」
本当に大切だったこと
ダイキ: 「田中さん、今日のカウンセリング、どうでしたか?」
田中さん: 「正直、来る前は『どう説明すればいいか』って答えを求めてたんです。でも...」
ダイキ: 「でも?」
田中さん: 「答えを探してたんじゃなくて、自分が何を恥ずかしいと思ってたのか、それが分かった気がします」
ダイキ: 「どういうことですか?」
田中さん: 「『何もしてなかった』んじゃなくて、『何もしてなかったと思われることが恥ずかしかった』んですね。でも、実際には何もしてなかったわけじゃない」
ダイキ: 「生活を立て直していたんですよね」
田中さん: 「はい。それって、すごく大事なことだったんだなって、今は思います」
田中さんは、少し照れたように笑った。
ダイキ: 「面談、うまくいくといいですね」
田中さん: 「ありがとうございます。なんか、緊張してたのが嘘みたいです」
[後日談]
面談の後、田中さんから連絡があった。
「無事、復職できることになりました。面談では、休んでいた期間のことより、『今、どういう生活をしているか』を聞かれました。準備してた通りに答えたら、『無理せず、少しずつ慣れていってください』って言ってもらえて...正直、拍子抜けしました。あんなに心配してたのに」
電話の向こうで、彼は少し笑っていた。
「『空白期間』って、自分が勝手に作ってた言葉だったのかもしれません。今は、あの数ヶ月があって良かったと思ってます」
【カウンセラーのコメント】
キャリアに「空白」ができることを恐れる人は少なくありません。しかし、その期間は本当に「空白」だったのでしょうか。
休息が必要な時に休むこと。生活のリズムを取り戻すこと。それは決して「何もしていない」のではなく、次のステージに進むための大切な準備期間です。
面接や面談で求められているのは、「その期間に何を成し遂げたか」ではなく、「今、どういう状態か」ということが多いものです。そして、それを正直に伝えることが、一番の誠実さではないでしょうか。