気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その95~

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本日もお読みくださり誠にありがとうございます。
もう最近の内容は、ブログのタイトルが嫌味にすら聞こえる内容です。
それでも正直に書かない、感じてもいないことを書くようであるなら、ブログなんてやる意味が無いですから。
今回もどうぞ宜しくお願い致します。
○○をしながら公道を歩くことを僕は個人的には物凄く鬱陶しいことだと感じてしまいますが、元来この国の多くの学校には二宮金次郎が " ながら歩き " をしている銅像がいっぱいありましたから、それはやっぱり素晴らしいこと、推奨されて然るべきことなのでしょう。僕の考えが浅かった、参りました。
それでも、視覚障害者の方や車椅子の方、その他、健常者という立場から見て不自由と思える方々への優しい眼差しが少しでもあるならば、決してやらない行動というのは確かにあると、僕は思っています。
視覚や聴覚を始め、色んな感覚を利かせられない少数の方々が外出するには、公道は益々危険度を増しているように感じてなりません。
今は車やオートバイに加えて、自転車の脅威を更に感じますが、それよりもやっぱり怖いと感じるのは、視覚や聴覚その他感覚器官を幸運にも正常に働かせられる境遇にありながら、わざわざそれらを遮断して行動する人々の存在でしょう。
僕の呼吸ワークのクライアントさんで、盲導犬同伴の生まれつき全盲の方が以前居られ、その方は外出時には盲導犬と感性でのやり取りを繰り返しながら、お互いに協力して何とか目的地に辿り着いていると仰っていました。
そして印象深いのは、周囲を通っているあらゆる車輌とそれから、不注意そうな人に常にびくびくしながら歩いていて、首や肩がガチガチに凝っておられたこと。
それを少しでも和らげるように、安心出来るように気を配ることの方が、薪を背負いながら歩いてまで書物を読んで勉強することなんかよりも、比較にならない位に大切な事のように感じるのですが。
ここでちょっと一息。
例えば、片方の掌を浅い器のように上向きにしてお腹の前あたりに置きます。
その掌の真ん中辺りにもう片方の手の指先を、恰も何か小さな物でも摘まんでいるような形でそっと置いてみます。
置いた状態そのままで、暫くその感じを味わってみてください。
体の中ではどのような感じが起こりますでしょうか。
この時の器の役割りだった方の掌は、体の中の何処のエリアを象徴していて、そして、もう片方の指先は何を摘まんでそこに置いたのか?頭先行でイマジネーションを働かせるのでは無く、体が醸し出す感覚の方に気付いてみてあげてください。
このようにしてみた時、自分の顔はどんな表情をしているのか、鏡なんかで確かめずに、顔の筋肉の緊張の度合いを味わいながらゆっくりと想像してみてください。
眉は吊り上がっていそうですか。顎やこめかみは強張っていますか。
そうして、ものの見え方や明るさ、音の聞こえ方、それ以外にも、体全体で背後も含めた周囲の状況や雰囲気といったものを確認し味わってみましょう。
心も体も重心の置き処を確認出来れば余分な緊張は消失し、確かさだけが後に残ります。
その確かさとは脳の興奮とは決して相容れないものであり、静かに全体を捉える新しい視座のことでもあります。
穏やかな呼吸で、与えられた感覚を無駄にすること無く駆使して、助け合えることはまだまだたくさんあると感じます。
今日も最後までお読みくださりありがとうございました。
次回もまた、どうぞ宜しくお願い致します。

つづく

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