「言った者負け」という言葉を耳にするとき、そこには働く人々の深い諦念と、組織への切実な問いかけが隠されているように思えてなりません。業務改善に挑み、汗を流した人が正当に報われず、むしろ黙々と現状維持を続ける人が評価されてしまう。このような不条理な現象が、現代の多くの職場で静かに進行しているようです。
なぜ、これほど歪んだ構造が生まれてしまうのでしょうか。
かつての管理職は、部下の育成や組織のマネジメントそのものに専念できていたのかもしれません。しかし、現代の管理職の多くは「プレイングマネージャー」としての二足の草鞋を履くことを求めされています。日々の凄まじい情報量と多忙さに追われる中で、上司自身が余裕をなくし、自分を見失ってしまっているのではないでしょうか。
他者を評価する「物差し」が、部下の実際の努力や成果ではなく、上司自身の都合や目線にすり替わってしまう。自分を見失った状態では、他人の本質的な価値など見抜けるはずもありません。
結果として組織は「言った者負け」の状況を放置することになります。職場には言葉にならない不平不満が蓄積し、やがて優秀な「言った者(動いた者)」たちは、静かに報復を始めます。大切なデータをすべて消去して去る、あるいは最も人手が欲しい繁忙期に突然退職届を突きつける。彼らが埋もれさせ、持ち去ってしまう成果の代償は、組織にとってあまりにも甚大です。
この「やった者負け」の構図が、とりわけ深刻で壊滅的な形で現れているのが、看護師をはじめとする医療業界ではないかと推察されます。
たとえば、ある優秀な看護師が、それまで誰も成し得なかった「1時間に20人の採血ができる効率的な仕組み」を編み出したとします。一方で、1時間に10人しか採血できない別の看護師がいたとしましょう。後者がただ上司の命令に黙々と従い、余計な提案もせず沈黙を貫いているだけで、なぜか効率化を達成した前者よりも早く昇進していく。そのような理不尽が、実際に現場で起きているというのです。
そして、志のある優秀な人材から順番に、絶望して職場を去っていきます。
医療業界の何より根深い問題は、こうした「やった者が損をする」縦社会の歪みが存在しながらも、現場の人間には「低賃金で最高級の医療の質を保ち、人の命を預かる」という極めて重い責任が課され続けている点にあります。現在、医療業界では空前の人手不足が叫ばれ、人材の確保が急務とされています。にもかかわらず、約70万人にも上る多くの看護師資格を持つ人々が現場に戻ろうとしないのはなぜでしょうか。その答えは、火を見るより明らかです。
「これ以上、組織の都合で割を食わされたくない」
「最高の質の医療を提供し、他者の命を預かるのであれば、それに見合うだけの正当な対価を支払ってほしい」
そう考えるのは、人間として、働く者として至極当然の心理であり、真っ当な権利の主張です。これまで医療現場は、従事者たちの「使命感」や「善意」という名の自己犠牲に甘え、それを担保にしてシステムを回し続けてきました。しかし、その歪んだビジネスモデルはすでに限界を迎えています。
潜在看護師の方々が復職を拒むという現実は、単なる個人の選択ではありません。「評価と処遇の構造を根本から変えなければ、誰もいなくなる」という、医療業界のみならず、すべての業界・社会に対する、静かですが極めて強烈な警告なのです。
そして、この医療業界の歪みは、決して他人事ではありません。こうした悪例によって業界全体が蝕まれていくことは、生産年齢人口が減少の一途をたどる日本において、他のあらゆる産業へも飛び火しかねない危機を孕んでいます。労働力が貴重になるこれからの時代、声を上げ、動いた人間が切り捨てられるような組織に未来はありません。
この深刻なケーススタディーを、私たちは社会全体が変わるための契機としなければなりません。たとえば「日々の業務改善のプロセスや評価の蓄積を、客観的なAIに任せる」といったシステムの導入も、有力な解決策の一つでしょう。多忙を極める上司の死角をAIがそっと補い、人間の主観や感情に左右されない公平な目を取り入れることで、救われる努力がきっとたくさんあるはずです。
これ以上、「言った者」や「挑んだ者」が、寂しい思いをしたり割を食ったりすることがないように。
より良い職場にしようと声を上げた人、誰かのために一歩を踏み出した人のその温かいエネルギーが、真っ直ぐに報われる世の中であってほしいと願います。企業の仕組みや社会の評価システムを少しずつ変えていくことは、今を生きる私たちの小さな、けれど大切な使命なのかもしれません。誰もが安心して「もっと良くしよう」と言える、そんな優しい未来を、私たちはここから育てていかなければならないのではないでしょうか。
沙門蒼俊 合掌