『動けなくなったのは、心が弱いからじゃない -「理由なき不安」の戦場を生き抜くために』

『動けなくなったのは、心が弱いからじゃない -「理由なき不安」の戦場を生き抜くために』

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コラム
ふとした瞬間に、胸がぎゅっと締め付けられるような息苦しさを覚えることはないでしょうか。現代を生きる私たちが日々感じている、あの得体の知れない「しんどさ」。それは決して、私たちの能力が足りないからでも、メンタルが弱いからでもありません。その正体は、私たちが生きる社会の構造そのものが抱える、いくつかの歪みにあります。

精神科医の松本俊彦先生をはじめとする多くの専門家も指摘しているように、心の病や生きづらさの背景には、知らず知らずのうちに個人を追い詰めている社会環境が存在しているのです。

このしんどさを紐解いていくと、まず浮かび上がってくるのが「過剰な自己責任論」という冷たいプレッシャーです。すべての選択やその結果が自分の責任とされる世の中では、誰かに頼ることや、自分の弱みを見せることがとても難しくなってしまいました。「人に迷惑をかけてはいけない」という思いが、結果として私たちを深い孤立へと追いやっています。

さらに、私たちは「世間の普通」という、目に見えない足枷をはめられているようにも感じます。枠からはみ出すことを恐れるあまり、常に周囲の顔色を伺わなければならない同調圧力が、日常の息苦しさを生み出しています。そこにスマートフォンから流れるSNSの華やかなノイズが24時間割り込み、私たちの劣等感や自己否定感を、気づかないうちに肥大化させていくのです。

常に成果と効率を求められ、自分の市場価値を磨き続けなければ置いていかれるという強迫観念。このような過酷な環境に晒され続け、個人の心の許容量を超えたとき、それは「不安障害」というはっきりとしたシグナルになって私たちの心身を襲うことがあります。

本来、人間や動物が覚える「不安」には、必ず対象となる「種(危険なもの)」が存在します。目の前に天敵がいるから、あるいは具体的な脅威が迫っているからこそ、身を守るために不安が成り立つわけです。しかし、不安障害という病の本質は、その「不安の対象物がない」という点にあります。

明確な理由も、目の前の危険もないはずなのに、胸の奥底から形容しがたい圧倒的な「不安感」が突如として湧き出し、瞬く間に全身を覆い尽くしてしまう。それはまるで、四方八方からいつ矢が飛んでくるかわからないかのような、張り詰めた恐怖感です。その目に見えない脅威に怯え、指一本身動きが取れなくなってしまうほどの凄絶な苦しみ。これが長期間にわたって続くのですから、脳と身体が受ける疲労は計り知れません。現代社会の慢性的なストレスによって、脳の防衛システムが限界を迎え、24時間体制で「命の危機」のアラームを鳴らし続けている状態なのです。

もし今、あなたがそのような生きづらさや、理由のない強い不安に怯えているなら、どうか「自分が情けないからだ」と責めるのをやめてください。このしんどさはあなたのせいではなく、過剰な負荷をかけ続ける社会の仕組みが、あなたの大切な心身に引き起こした痛みなのですから。

では、この果てしない疲労の底から、私たちはどのようにして回復の光を見出せばよいのでしょうか。

まず大切なのは、飛んでくる矢に立ち向かおうとせず、防具を着て戦おうともせず、ただ「その戦場から徹底的に逃げて、横になる」ということです。動けなくなった身体は、これ以上傷つかないために脳が出した究極のセーフティネット。その声に従い、まずは徹底的に心身を休ませる時間を自分に許してあげてください。

そして、少しずつエネルギーが戻ってきたら、社会が押し付ける「普通」や「あるべき姿」ではなく、「今の自分が心地よいと感じるもの」だけに視線を移していきます。一歩進んでは二歩下がるような、ゆっくりとした歩みで構いません。

回復とは、強い自分に生まれ変わることではなく、「しんどいときは、しんどいと言っていい」「誰かに頼ってもいい」と、自分の弱さをそのまま受け入れていくプロセスです。過酷な社会の荒波の中で、今日まで生き延びてきたあなたの命そのものが、何よりも尊く、強い存在なのですから。

                         沙門蒼俊   合掌
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