はやと式 エネルギー概論(独自の理論体系を確立する試みの第一段階

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コラム
はじめに、ここで書く「エネルギー」は科学の話ではない。
精神的な、人の想いや感情といったものの話だ。
もっとも、そういったものも科学的に証明出来ないというだけで、同じ「エネルギー」だろうな、と個人的には思っている。

さて、みなさんは、誰かにお礼を言われた事はあるだろうか、逆に言った事はあるだろうか。
おそらく「ない」という人はほぼいないのではないだろうか。
それでは、実際にお礼を言ったり言われたりの状況を想像して、その時の自分が感じる気持ちを、今感じてみて欲しい。
それは何か役割上仕方なくのものとかではなくて、単純にそう思ったから言った・言われたというやつだ。
…どんな風に感じただろうか?
これもおそらく、嫌な気持ちになる人はあまりいないのではないだろうか。

感謝は、エネルギーだ。
他者に対する感謝、他者から送られる感謝、どちらも相手が何かのアクションを起こすというエネルギーを使ってくれた事に、エネルギーを返すものだ。
では例えばあなたが相手に何かをしてあげる場合、
ちょっと頑張ってやった事だとして、それに対して相手から何もリアクションがなかったり、微妙な反応だったりしたら、どう思うだろう。
せっかくやってやったのに!という怒りや、なんでそんな反応なの…という悲しみが出てくるかもしれない。
それはまさに、エネルギーのバランスが崩れたから起こるものだ。

バランスが崩れるのは他にも、他人に無理に合わせようとしたり、変に自分の価値を低くしたりといった時にも起こる。
例を挙げるなら前者は、コミュニティを盛り上げたり自分が評価されるために無理のある立ち回りをして疲れてしまうことだったり、後者は自分が本当は欲しい見返りより低く設定したりもらわなかったりする事でエネルギーの循環が滞ってしまうのだ。

もっと簡単に伝わると思われるのは、お金だ。
自分の仕事に見合う給料を貰えなければ不満が出るだろう。
逆に素晴らしいサービスを受けた時や、価値を感じるものにはお金を惜しまないどころか払いたくなる。
つまり、お金もエネルギーなのだ。
なのでバランスが崩れるとエネルギーが循環しなくなり、双方に不具合が出てくる。

その、双方に、というのがとても大事なところで、エネルギー循環の恩恵を受けられないのは、不足を感じる受け手側だけではなく、エネルギーを出さなかった側も受け取れないのだ。
それはちょっと不思議な事ではあるのだけど、実際にそういう事例を何度も体験しているので、間違いなくそうなのだ。
不足の不安から、自分が感じている価値分を支払う事を恐れてそれをしないと、一見得したように見えても、本質のところではその価値を自分が享受することは出来ないのだ。

感謝もお金もエネルギー。
エネルギーは、即ち愛だ。
そして、それらから導き出されること。
感謝もお金も、愛のひとつの形に過ぎないということ。

大事なのは、出す事で受け取れるという事。
自分が何かを握りしめて離さないと、より良い何かを受け取れるスペースがなくなってしまう。
手を離して、受け取る体制を整えて、はじめて恵みを受け取れるのだ。
同じように自分が満たされている事もとても大事な事だ。
自分が満たされていないのに他人に愛を与えようとしても、自分が枯渇してしまうからだ。
自分が満ちて、溢れ出た愛を他者に向けて発信する。
そうする事で自分はさらに満たされて、という幸せしかない循環が作られるのだ。
そして自分を満たす事が出来るのは自分だけ。
他者に満たしてもらう事は出来ない。出来ないのだ。

だいぶざっくりではあるが、
一旦エネルギーについてまとめてみた。
こういうたたき台をいくつか作って、いい感じにまとめたらなんかいい感じのやつがなんかこういい感じにできるんじゃないって感じ。よろしく。
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