いつもどこかに帰りたかった。赤ちゃん時代の記憶

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今から半世紀近く前の、6月初旬。
まだ梅雨入りはしておらず、さわやかな初夏の日差しの中を
私の母は、妊娠後期にもかかわらずヒールを履いて検診に向かった。

その帰り。

産院近くのバス停で派手に転倒してしまい、破水する事態となった。

出産予定日は7月下旬。

まだ安全・安心なお腹の中に居たかったのに(たぶん)、
陣痛促進剤によりギュウギュウと外に押し出された私の体重は、1850g。

驚くほどの低体重でもないが、平均よりは低い。

救急車でNICUへ運ばれ1~2か月ほど保育器にお世話になることとなる。

おでこに点滴を刺すために、髪(産毛)を登頂まで剃り上げられ、しばらく経ったころに様子を見に来た祖父母や、曾祖母は

「なんという頭の長い子だ!」(という趣旨のことをバリバリの方言で)
と、びっくり仰天したらしい。

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そうやって、ドタバタとお騒がせなスタートをきった地球での暮らし。

私には赤ちゃん時代の記憶が、視覚、聴覚、温度、触覚、感情の色のようなもの…を伴って断片的にいくつも残っている(味覚はいまいち残っていない)。

また、不思議なことにその瞬間はカメラ(写真)に納められていることが多い。

時空の一瞬を捉え、フィルムに焼き付けるというはたらきが
私の脳内でも同時に起こっていたということか?
(どゆこと??)

その中の一番古い記憶は・・・
生後2~3か月の頃。

視覚的には、明るいところで目を閉じているような。
薄い赤茶色をした瞼の色を見ている感じ。

私の脇腹やお腹をさする柔らかい暖かなぬくもり。
あれは母の手だったのだろう。

母の手がくすぐったくて、私は目を閉じたまま「ぐふふ」と笑っている。
その笑いに反応するように、心地よい二人の声が聞こえる。(おそらく両親)

二人の声は、私に向けられたものであり、その響きに乗って
「私を愛してくれている」という波動と言えばよいのか、とにかく気持ち良く幸福感に満ちたエネルギーが私の全身の細胞に染み渡る感覚だった。

その循環が楽しくて、うれしくて私はまた「ぐふふ」と笑うのであった。

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このように、幸福感や愛にあふれた記憶は実は少ない。

次の記憶は、かなり強烈な体験として今でも根深く脳裏に焼き付いている。

寒い夜。
布団にひとり寝かされた私は、オレンジ色の豆電球を見ている。
寝返りは打てない。
少し、視線を左側にずらすと、ピンク色のペンダントライトカバーのついた、
1階へ下る階段の電灯が見えている。

突然襲ってくる、強烈な後悔と恐怖。
「とんでもないところに来てしまった…もう、取り返しがつかない。もう戻れない」

言葉にすると、こんな感覚。

ワンワン泣いた。
あふれる涙が頬を伝って、耳に入り込んでくる。
喉の奥にも涙なのか、鼻水なのか、しょっぱいものが流れ込んでくるのがわかり、しゃくり上げながら、グエグエ言いながら、大泣きしていた。

母が抱きしめ、あやしてくれても

「ちがう!この人じゃない!ここじゃない!寂しい!早く帰りたい!」

そんな、言葉にならぬ慟哭をしょっちゅう繰り返していた。

後に「あんたの夜泣きは本当にひどかった」、と親だけではなく親戚の間でも伝説になるほどだった。

うん、、なんか、ごめん(^^;

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あれから約半世紀経ち、愛してくれた祖父母や母はすでに他界している。

自分も親になったり社会生活を長く送っていく中で
それほど強烈に、どこかへ帰りたいとか、この世界に対する恐怖心はなくなったと思う。

むしろ、この世に愛着や執着が沸いて「まだこの地球にいたい」という願いすらある。

ただ、あの時に帰りたかった場所は、どこなのだろうといまだに思う。
生まれてくる前にいた天国?神様の懐?
それとも、どこかの星??

たぶん、この世を去ったあとにまた戻る場所なのかな?なんて思っている。

そう考えると、死後の世界は、この世でがんばったご褒美のようなところで
あの時、大泣きするほど再会したかった存在たちが待ってくれているのかも知れない、なんて思っている。









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