1. 違和感に気づいた日
ある日ふと、「あれ?こんなに頑張ってるのに、なぜこんなに疲れるんだろう」と立ち止まる瞬間がありました。
人間関係において、特に職場などの組織では、誠実であることが裏目に出てしまうことがあります。相手を思って言葉を尽くし、丁寧に説明し、関係をよくしたい一心で歩み寄ってもまったく響かず、むしろ誤解されたり、すり減ってしまうような感覚。私自身、ある仕事上頻繁にコンタクトを取らざるを得ない相手との関係で、それを定期的に経験してきました。
「もう少し丁寧に伝えれば、わかってくれるかもしれない」
「自分が我慢して歩み寄れば、いつか関係が変わるかもしれない」
そんな希望を持って、言葉を尽くしてきました。
頑張ること自体が悪いとは思っていません。 限界に挑む中で得られるものもありますし、誠実に向き合い続けた時間に意味がなかったとは思いません。 でも、ある日ふと会議のあとに感じたのは、「これはただの疲労ではないのでは?」という、別の質の違和感でした。
2. 気づきは比較から
その違和感は、他の信頼できる人たちと交わしている会話や関係性と、あまりにもかけ離れていることに気づいた瞬間に強まりました。
相手の態度は、一見表面的には丁寧に見えるものでしたが、よく観察すると、軽んじる姿勢が言葉の端々ややりとりの省略ににじんでいました。
それはまるで「気づかれない程度に下に見る」というような、無意識の狡猾さが表れているようでした。また、こちらが真剣に伝えていることに対して、あざ笑うような態度を取られた場面もありました。立場の違いにより、緊張して長年気づかなかったのですが、段々正気になってきました。
"この態度は、こちらを蔑んでいなければできない種類のものだ。おかしい。"
これまでのやりとりを思い返しては、虚しさがこみあげてきました。私は、自分のエネルギーを、まったく共鳴しない相手に投げ続けて、本来の自分のあたたかさや力までも消耗させていたのです。
3. 自分を守るために
"この状況を変えたい"
このままではいけないと思いました。そして、見えてきたことがあります。
その人の言動の背景には、無知のような、精神性の未発達という側面があるように思われました。 人の気持ちに想像を巡らせたり、様々な人物から謙虚に学んだりする姿勢が育っていなければ、自然と他者を尊重するふるまいは生まれにくいのだと思います。
その状態は、私にもあったのでしょう。それが思いやりがないという自覚が足りませんでした。このような振る舞いでは、人には恵まれないと感じました。
そして、この状態を変えられなかったのはなぜかというと、愛が投げ捨てられている状況に気づけなかったこと、そしてその状態に問題があると見抜く目がなかったこと、また何より私の感覚を私が疑って向き合うことを避けてしまったことで、ずっと自分を苦しめてしまったのでした。
愛が投げ捨てられることは、まるで美味しい高品質な日本米がなぜか国内ではなく海外に安価で流出しているくらい切なく悲しい状況であり、構造的な問題です。
ごめんね私。助けてあげられなくて。
4. 世界の秩序を大切に
これからは、自分の愛の注ぎ先についても自分で責任を持って管理できるようになっていきたいです。そして、受け身になりすぎずに行動の良し悪しを見抜き、自分の世界の秩序をよくしていきたいです。
誰にでも理解されようとせず、自分の感性に気づき、違和感を見過ごさずに過ごしたい。誰かの言動に心がモヤモヤしたとき、一歩引いて冷静に、具体的に気になった行動やなぜおかしいと思ったのかを分析してみることは大切ですね。もしあなたが今、やりきれない想いを抱えていたら。それは、あなたの本質が、大切なものに気づこうとしているサインなのかもしれません。
儚く届かなかったあなたの思いは、時空を超えて信念の光として取り戻すことができます。それは、「過去を肯定すること」ではなく、「過去を超えて自分を取り戻す」 ような感覚。
あなたの光が、不協和音ではなくハーモニーを奏でられるような、美しく共鳴する仲間とともに放たれていくことを、そしてその状態を守っていく営みができることを、心から応援しています。