こんにちは!ADHD星人kimiyoです^ ^
幼稚園の先生に「〇〇ちゃんは、何になりたい?」と聞かれたことがあります。
周りの子はそれぞれ「お花屋さんになりたい」「ケーキ屋さんになりたい」「先生になりたい」「お母さんになりたい」などなりたいものを答えていました。
私が答えられずにいると、先生は「〇〇ちゃんはきっと大物になるね!」と笑ってくれました。
小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も卒業文集を書いたり、先生や家族と自分の進路について話し合う中で自分のなりたいものと向き合う機会があります。
なりたいものを頭で考えて目指してみたりもしましたが、心からしっくりくるものはなくて大人になればなるほど、ADHDの特性から普通に生きることが最大の目的になっていきました。
過去の自分は周囲に溶け込むのに必死になり、自分の個性がバレないように小さく小さく生きていたので、先生がいうような大物にもなれませんでした。
行き詰まった時に、私には何ができるのでしょう?と守護の存在に聞いてみたことがあります。
その時に頂いた言葉です。
「幼い頃、何になりたいか夢なかったのは、お前、今に満足していた。
今を生きていた。
だから先のこと、何とも思わない。
何になりたいか、それはあってもなくても良い。
自分を謳歌していればそれでいい。
何かにならなければいけないわけではない。
ただ、使命と向き合うこと。
使命とは自分とは切っても切り離せないところにある。
困難に思えるようなこと。
目を背けずに向き合うこと。調和的解決に導くこと。
生まれようと思ったきっかけはそれぞれにある。
お前は美しいものを見たいと思った。
動物に触れてみたいと思った。
特性は、不思議なことスピリチュアルと言われるもの。
動物、自然が好き。
人も元々好きだったはず。
疑いもせず、手をつなぎ行ってしまうような子。
なのに、人の裏ばかりをみてきた。
きっかけは母親の愛を受け取れないと思い込んだこと。
今はもう成長してわかるな。
美しいものを見たいと思ったら、美しい面を探せ、みようとするんだ。
わかっていて反対のことをしているぞ。
人の裏、汚い面ばかりに目を向けるな。」
はっとしました。
今に満足していたから、幼い頃は先のことは気にもならなかった。
小、中、高と進学していき進路を決定していく過程で自分がどこを目指したいのか、何者になりたいかを決めなければいけないと焦りを感じ、苦しかったことも思い出しました。
使命は、ADHDの特性のことだと感じました。
そこに向き合い自分なりの調和的解決に導くこと。
そして、元々人が好きだったことも思い出しました。
確かに、幼い頃に知らない人に手を引かれ行方不明になった私を必死に母が探す出来事があったそうです。
今聞くと危なっかしいほど、誰にでも心を開く人懐っこい子でした。
でも心を閉ざしていました。
自分がこれ以上傷つかないように人の汚い面ばかりみて、警戒していた自分にも気づきました。
美しいものを見たいと生まれてきたことも腑に落ちました。
守護の存在からのメッセージでたくさんの気づきがありました。
何者にもならなくてもいい。
自分の使命と向き合い、自分を謳歌する。
美しいものを見たいと思って生まれてきたのだから、美しい面を見れば良い。
複雑に考えないで、もっとシンプルに今に満足して楽しめば良い。
もし、今自分の方向性に迷っていたり。焦りを感じている方がいたら守護の存在からのメッセージをどうぞ受け取ってみてください♪
最後までお付き合い頂きありがとうございました^ ^
今日もぼちぼちいきましょう♪