四柱推命の理は世の中の理である

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四柱推命というものが究極的には人の生を予測する部分に使われるが、
事実、四柱推命は自然と世の中の理を示す学問だ。ただ、活用度において人に限って使うだけだ。

四柱推命学を「自然と世の中の理」と言ったが、
それでは、その理は何だろうか。

世の中の理は⌜循環の理⌟である。

雨が降って地面に雨水が溜まり、その雨水が地面に染み込んで地下水になり、その地下水が川に流れて川の水になり、その川の水が海に流れて海水になり、その海水が太陽と風に蒸発されて雲になり、その雲が集まって再び雨が降って地面に雨水が溜まる。

形が変わっただけで、完全に消滅しているわけではない。始まりは終わりに向かって進み、その終わりは新しい始まりである。

すなわち、陰陽の理である。

人も大自然の一部なので、例外ではない。人は人生の過程で一定の流れの循環を経る。

四柱推命学で言う【運】だ。

人の人生の終着駅が死だが、これもやはり終わりではない。輪廻という過程を経て新しい人生を送ることになる。


宗教でいう業(karma)だ。

雨水が川の水に変わるのは形態と状況が変わるのであり、水の持っている固有の本質が変わるわけではないように(循環するからといって水が火に変わるわけではないから)

人も輪廻で、違う人生を生きているからといって「自分自身の本質」が変わるわけではない。

ただ、業(karma)によって国家、地域、縁、背景、生きていく体が変わるだけだ。

傷は治療しても傷跡は残るように、現世の良いこと、悪いことも前世の縁故につながる部分だ。

全てとは言えないが(人生は現世で作っていく部分もあるので…)多くの部分で前世の影響を受けることは否めない。

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陽から発展して陰に整理し、その陰はまた別の陽を発生させる。

五行の理は木で始まって水で終わり(木⇨火⇨土⇨金⇨水)、その水はもう一つの木に向かって進む。

このような自然の循環原理を文字化、記号化してさまざまな規則を作り、
その規則で私たちの生を予測し、理解するのが四柱推命学だ。

それで、

四柱推命学の達人になるためには、基本的に人に対する理解、世の中に対する理解、自然に対する十分な理解がなければならない。


機械的に文字をいくつか覚え、大まかに組み合わせるように自己合理化するのは、四柱推命学ではない。

四柱推命学を勉強する時、絶対的に避けなければならないのがまさに絶対善と絶対悪だ。

世の中に絶対善と絶対悪はない。

人間も同じだ。

状況により、立場により、価値観により、個人の幸福追求により、行動し…
その行動の跡を他人に評価してもらうだけだ。それで人生も命式も良し悪しは極めて相対的な部分だ。

⌜私の命式は何が良いですか?⌟
⌜私の命式は何が悪いんですか?⌟
を聞く前に、

自分が持っている命式をありのまま見る練習をしなければならない。

良し悪しはいつでも変わる。状況によって変化し続け、その状況は絶えず循環する。

循環の理が世の中の理であり、世の中の理が人の人生だからだ!
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