鑑定力は国語力。
ではその国語力をつけるには
どうすればよいか。
国語力をつけるには、
本を読む
文を書く
主に、この2つでしょう。
今回は、”本を読む”事について考えてみましょう。
ひとえに本を読むと言っても、
問題は何の本を読むかです。
よく、私の占いの師匠のそのまた師匠が、
「千冊の本を読め!」
と言っていました。
兎に角、千冊の本を読めば、
それなりに物事を理解出来るようになり、
物事を語っても、
それなりの見解になるというのが理由です。
この時の千冊の本に関し、
特に注文はなかったのですが、
門下に入門した時、
指定図書がありました。
その指定図書の中心をなすのが、
四書五経です。
四書五経とは、
四書とは、「論語」「大学」「中庸」「孟子」
五経とは、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」
ですから、国語力をつける読書として、
先ずは、この四書五経をお薦めします。
「面白いですか?」
と聞くのは愚問です。
「面白いわけねーだろー!」
もとい、御魂にとっては面白いのです。
本物の書を読む意義は、
御魂の恩頼を授かる為。
指定図書は、この四書五経を中心に、
他に、古典系の書が沢山ありました。
私は、本屋に行き、
その指定図書がプリントされた用紙を本屋に見せ、
取り寄せの依頼をしました。
しかし、どれもこれもマニアックな古典書。
取り寄せに数週間かかったり
絶版もいくつもあり、
先ず、揃えること自体が大変でした。
(結局、いくつかは揃えられなかった)
そして、本当の大変さはこれから、
取り寄せたそれらの本を
全部読まなければならないのですから。
言われなければ決して読まない古典集を読むのは、
まるで拷問であり苦しみ。
唯一の喜びは、
一冊一冊読み終わると、
貯めてある本が減っていく事。
この時だけ、ノルマ解消、借金解消されたような快感。
皆さんも是非、
私と同じ苦しみを味わってください。
違った、もとい
私と同じ国語力を身につけてください。
読書とは何かを定義すると
本は理解して読むものではなく、
ましてや、頭に入れるものではありません。
読書とは、本の著者の御魂から
発せられる息吹を感じ取る事。
読書とは、本の著者の御魂との対話。
読者と著者の御魂の交流。