生きる道:副業のバイブル ~自分と自分の職業を見直す~②

記事
ビジネス・マーケティング
・環境の変化(背景)を理解しておく

大学を卒業、あるいは高校を卒業して、就社(就職ではなく敢えて就社です)をする。本来の自分の目当ての企業に入れたかどうかは別として、初めは右も左も分からないままに仕事を与えられ、教えられ、仕事はこうやれああやれと指示を受け、さらに、会社っていうのはこういうもんだ、社会っていうのはこうなんだ、などと訓示らしきものを教授される。
そして酒の席では、耳にたこができるほど先輩からくどくど愚痴や自慢話を聞かされることになります。
しかしその昔には、よく先輩や上司の家に招かれお酒を頂いたり、美味しい手作り料理をご馳走になったりしたことが、よくあったのではなでしょうか。
また、仕事上のミスがあれば自分の盾になってくれたりとか、上位上司のお小言を咀嚼して言って聞かせてくれたりと、そのような上下関係がそこには存在していたように思えます。だから少々の嫌気や溜まった鬱憤は何気に解消されていたのではなかと思えるのです。
確かに昔はそうだったよな~って、懐かしむ読者の方もいるのではないかと思いますが。
ところが、今やそんな濃厚な人間関係が形成できるような、環境や考え方ではなくなってきているのは、皆さんも肌で感じる部分ではありませんかね。
もっとも若い方はその変化があまり分からないと思いますが、ベテランの域に達している方にとっては、当時自分たちが感じてきた上司や先輩とのその濃厚な時間が、今現在新入社員を迎えて接している自分とを比べてみた時に、いかがでしょうか、同じような接し方、濃厚な時間を作っておられる方は決して多くはないのではないかと思います。
むしろそんな関係はご勘弁を!と願う若者が圧倒的に多くなっているのも、否めない事実なわけですから、まさに時代は変わった、とお感じになるのが普通かもしれません。
アフターファイブは自分の時間、プライベートまで侵入されたくない、休日は仕事のことは忘れたいし、考えたくもない・・・
分かります、筆者もいかほどそうゆうことを願ったものか。
特にまた最近では、「オン・オフの切り替え」などといった言葉も流行っているようです。
しかし、ここにきての政界不況を目の当たりにして、最近の学生に対するインタビュー報道をニュースで目にしたことがありますが、その中で特に先輩や上司と積極的に関わり、飲みも誘われたらどんどん参加する、などと答える学生が圧倒的に多かった、とまとめていたようです。
※現在では???と思いますが。。
上司の皆さんにとっては、また昔のように酒を酌み交わしながら、肌と肌との付き合いができる可能性が、徐々に高まってきたといえるのではないでしょうか。
環境(世界経済の沈み)に恐れを覚え、本能的に身の安全を確保しようとの意識の表れなのでしょう。


★会社は守ってくれる場所ではない
今に始まったことではありませんが、従来その象徴ともいえる、日本式労働価値観は、もはや歴史的価値観になったといっても過言ではないと思います。
このことは、まえがきでも触れましたが、欧米の論理的マネーゲームに煽動されてきたのが原因の一つであろうと感じております。
もはや会社(組織)が社員を囲って守ってくれる時代ではないのです。ということは、いかにして個人が個人としての生きかた(活き方)を考えなければいけない時代になったのか!ということではないでしょうか。
そうはいいましても、現実には大学(高校)を出たら殆どの方は企業構成要因の一員になるわけですけど、となるとこれって先の考え方とこの行動(習慣)には大いなるギャップが存在するということになります。
その結果として、皆さんも耳にしたことがあると思いますが、少し前まで「七・五・三現象」などと言われた離職の指標が示すように、早期にその会社を辞めてしまうという結果につながってきてしまったのです。いくのです。
要するに、一度は選んで(選んだと思いますが・・)入った会社でも、何かが自分とは違う、合わない(リアリティショックとも言われるように)、と思うためにそこから出たくなってしまうのでしょう。確固たる理由がなくても、出てしまうのです。出た後は当然また別な会社、別な仕事をすることなります。そして新天地で成功すれば転職成功ですが、その転機を上手く活かせずに、現実にはこれを繰り返す人も多く存在しているのです。
ただし、このようなお話しをしますと、何か一方的に学生の力不足、あるいは思考力の無さ、を強調しているかのようですが、実はそうとも言い切れない現実があるのです。

★企業の実態は常に不透明
いろんなメディアに中で企業名を目にする時というのは、業績的にとても絶好調だとか、新商品の開発を発表したとか、それとは全くの逆で、何か金銭的な不祥事が露呈したとか、あるいは社員とのトラブルが係争にまで発展してしまった、損害賠償をした、などなど、良いにつけ悪いにつけ、事件的な取扱いをされた時だけなのです。
最近では、労働者の権利が強くなってきたという経緯もあり、ちょっとした労使問題などもクローズアップされるようにはなりました。ただ、現実的にはほんのわずか、いわゆる氷山の一角なのです。
つまりそれは、日常的に企業側の不備や落ち度、あるいは責任といった部分が、個人のそれよりも問われていない、うがった見方をすれば、問われないようにゴソゴソ講じているからだろうと思います。故に、世間一般的にあまり実感として捉えられていない、ということになってしまうのです。
そもそも社員を採用するのは企業ですから、その入口の段階、すなわち採用面接時における、厳しくも適正な面接や選考が行われていない、という現実です。今でこそ、ミスマッチを防ごうと意識しながら各企業の人事担当者は、その選考基準や、あるいは自分たちのスキルアップにも取り組んでいると思われます。
しかし、まだまだ従来通りにといいますか、選考基準を厳しく考えなくてはいけない、とは思いつつも現実に担当する面接官や採用責任者の、その能力や実力が伴っていない、そんな社内事情も多くあるのではないでしょうか。
さて、ここまでくどくど書いてきましたが、今現在読者の皆さんが所属している会社、そして自分が担当している業務内容を、改めて『自分』と重ね合わせた場合どうでしょうか、どのくらいの割合で上手く重なり合いますか?
全然合わない、半分ぐらいは合うかも?ほんの少ししか合わない・・
個を活かすためには、このような検証は常に行うことが大事になり、悪しき慣習の中で不本意な時間を作らぬよう、日々キャリアの開発を念頭に研鑽を心がけていただきたいと思います。

つづく
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