※この記事はネタバレを含みます
先日、7年ぶりに映画館へ行きました。
お友達の綾野剛さん推し活に付き合って、ほぼ予備知識ゼロで座った映画『mentor』。
鑑賞後、しばらく言葉が出なかった。
ざわざわしたまま電車に乗って、ざわざわしたまま家に帰ってきた。
でも、そのざわざわが面白かったんです。
心理学を学んできた人間として、「これはどういうことだろう」と頭が動き続けていました。
綾野剛演じる埜本の「穏やかさ」が、怖かった
被害者の埜本(綾野剛)が、加害者の拓海(末澤誠也)を優しくハグして受け入れる冒頭のシーン。
最初は「怖い」と感じました。被害者がこんなに穏やかなわけがない、と。
でも観ていくうちにわかってくる。
埜本はこの15年間、大量の本を読み、アンガーマネジメントを実践し、怒りが湧くたびに6秒やり過ごし続けてきた。
あの穏やかさは天然ではなく、凄まじい努力の積み重ねだった。
ただ——そこに複雑さがありました。
埜本にとってのハグは「救い」であり、火災後、自分の怒りや苦しみから逃げるために、亡き涼子(木南晴夏)から受け取った全肯定のハグを他人に再現することで心の崩壊を防いでいた。
つまり、他者を受け入れることが、自分を保つための装置でもあった。
赦しているのか、依存しているのか。
努力の結果なのか、逃避の一種なのか。
その境界線がぼやけているから、怖くて、でも引き込まれる。
拓海が「狂っていく」描写が、切なかった
対照的に、拓海(末澤誠也)の描写は、観ていて胸が痛かった。
埜本に受け入れてもらったことで、彼はどんどん埜本に依存していく。
そして少しずつ、感情の揺れに飲まれていく。
鏡の前で土下座の練習をするシーン。
机の下から謝るシーン。
これを心理学的に見ると、罪悪感があまりに強すぎると、人は「自分を痛めつけること」で帳尻を合わせようとします。
贖罪のつもりが、自分を罰するループになっていく。
そのループの中で、感情は整理されるどころかどんどん歪んでいく。
最終的に拓海が赤い集団を率いる教祖のような存在になっていたのは、映画内で丁寧な説明がなかったからこそ、観た後もずっと「あれは何だったんだろう」とざわざわし続けました。
おそらく——埜本への妄信的な依存が形を変えて、今度は自分が「赦す側・受け入れる側」に立とうとしたのかもしれない。
人は、自分が受け取ったものを、どこかで再現しようとするから。
磯村勇斗演じる龍之介の「蓋をしている背中」
もう一人の加害者・龍之介(磯村勇斗)が、個人的にものすごく刺さりました。
アーチェリーに打ち込み、罪悪感に蓋をし続ける。
派手な狂い方はしない。
でもその背中から、整理されていない感情は消えるのではなく、形を変えてずっとそこにあるということが、静かに伝わってきた。
台詞じゃなくて、佇まいで語れる俳優さんだなと思いました。
見終わって、ずっと考えていること
この映画には「答え」がありません。
埜本の赦しは本物だったのか。
拓海はどこで道を間違えたのか。
龍之介は、あの後どう生きたのか。
ざわざわしたまま終わるから、帰り道もずっと考えてしまう。
でも、それでいいと思っています。
「怒り」も「罪悪感」も「赦し」も、すっきり整理できるものじゃない。
埜本が15年かけてようやく辿り着いた場所が、果たして「整理」だったのかさえ、わからない。
そんな人間の複雑さを丁寧に描いた映画でした。
7年ぶりの映画館、来てよかった。
一人で抱えていること、言葉にしてみませんか
映画を観ながら、日々ご相談を受けている方々のことを思っていました。
本を読んで、ワークをやって、自分なりに整えようとしているのに、なかなか変われない——そういう方が本当に多い。
埜本も15年かけて努力した。
でも一人でやりきれた部分と、涼子という存在なしには保てなかった部分があった。
感情の整理は、一人より誰かと一緒の方が進むことがあります。
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