廊下に出された少女

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コラム
―不登校の子どものSOSを、学校はどう受け止めるべきだったのか―

こんなひどい話があります。
少女Nさんは、まじめでやさしく、他人の気持ちをよく考えられる子でした。年齢のわりに大人びた一面もあり、周囲の空気を敏感に感じ取る子でもありました。
Nさんは小学3年生の頃から、学校に行くことが難しくなりました。
当時のクラスは荒れていました。子ども同士が安心して過ごせる雰囲気ではなく、何を言われるか、何をされるかわからない。不安と緊張を感じさせる教室だったといいます。
子どもにとって、教室はただ勉強する場所ではありません。毎日長い時間を過ごす生活の場です。そこで安心できなければ、心は少しずつ削られていきます。
それでも、まじめなNさんは「学校に顔を出さないといけない」と思っていました。小学4年生になり、少しずつ「学校に行ってみようかな」という気持ちも戻ってきました。
そしてある日、勇気を出して登校しました。
けれど、やはり教室に長くいることはできませんでした。
Nさんは担任の先生に、こう申し出ました。
「今は、この場にいることがつらい」
この言葉を口にするまでに、Nさんはどれほど勇気を出したのでしょうか。
学校に行けない子が、再び学校に向かう。
教室に入ってみる。
でも苦しくなり、それを大人に伝える。
これは「わがまま」ではありません。
むしろ、自分の限界を言葉にした、とても大切なSOSです。
しかし、そのとき担任の先生が取った対応は、驚くべきものでした。
Nさんを、机と椅子ごと教室の外に出すように指示し、廊下から授業を受けさせたというのです。
この対応を聞いたとき、多くの人が強い違和感を覚えるのではないでしょうか。
もちろん、現場の先生にも事情はあったかもしれません。担任一人で荒れた学級を抱え、授業を進めなければならず、どう対応してよいかわからなかったのかもしれません。先生を一方的に悪人として描くことは、公正ではありません。
しかし、それでもなお、この対応には大きな問題があります。
まず、子どもの心への配慮という点で、とても危うい対応です。
不登校の子どもが再び学校に行こうとするとき、最も大切なのは「学校は安全な場所かもしれない」と感じられることです。教室に長くいられなかったとしても、別室で休む、保健室につなぐ、短時間の参加を認める、安心できる大人が付き添うなど、段階的な支え方が必要です。
ところが、机と椅子ごと廊下に出されるという対応は、本人にとって「自分は教室にいる資格がない」「みんなの外側に置かれた」と感じさせる危険があります。
これは、支援ではなく、排除として受け取られても仕方がありません。
次に、学校教育のあり方としても大きな問題があります。
教育とは、子どもを一つの型にはめることではありません。一人ひとりの状態を見て、その子が学びに参加できる方法を探す営みです。
Nさんは、学校を拒絶していたわけではありません。むしろ、苦しみながらも学校に行こうとしていました。その子に対して必要だったのは、「教室にいられないなら外で受けなさい」という形式的な対応ではなく、「今日は来られただけでも大きな一歩だね」「どこなら安心して過ごせそうかな」と一緒に考える姿勢だったはずです。
教育の目的は、子どもを人前で耐えさせることではありません。子どもが自分の存在を否定されず、安心して成長できる環境を整えることです。
さらに、学校には子どもが安心して学べる場所をつくる責任があります。
不登校の子どもへの支援では、本人の気持ちを大切にし、子どもによっては休養が必要な場合にも配慮しながら、一人ひとりに合った支援を考えることが求められています。
今回の事例が、法律上どのように扱われるかは、事実関係を丁寧に確認する必要があります。けれど少なくとも、子どもの安心、尊厳、個別の事情への配慮という点から見て、適切な対応だったとは言い難いでしょう。
Nさんのご両親が、学校に行くのをやめさせた判断も、私は十分に理解できます。
親として、「この場所に我が子をこれ以上置いてよいのか」と感じるのは当然です。学校に行かせることよりも、まず子どもの心を守ることが優先される場面があります。
不登校の子どもを持つ保護者は、日々悩んでいます。
このままでいいのか。
休ませてよいのか。
学校に行かせた方がよいのか。
将来に影響するのではないか。
そうした葛藤の中で、それでも子どもの表情や言葉を見て、「今は守らなければならない」と判断することがあります。
その判断は、甘やかしではありません。
逃げでもありません。
子どもの命と心を守るための、切実な親の判断です。
学校側に求められるのは、「来られない子をどう戻すか」だけではありません。
なぜその子が教室にいられないのか。
教室の環境に問題はないのか。
その子が安心できる場所はどこか。
どの大人ならつながれるのか。
どんな形なら学びに参加できるのか。
そこを考えることです。
特に、荒れた学級の中で不登校が起きている場合、問題を子ども個人の「弱さ」にしてはいけません。
教室が安心できない場所になっているなら、問われるべきは子どもの適応力だけではなく、学校の環境づくりです。互いを傷つける言葉が飛び交い、不安を感じる空気があるなら、それは学校が改善すべき問題です。
Nさんは、学校に行けなかった子ではありません。
学校に行こうとした子です。
苦しくても、自分の言葉で助けを求めた子です。
そのSOSに対して、大人がどう応答するかが問われていたのです。
もし、あのとき先生がこう言っていたらどうだったでしょうか。
「来てくれてありがとう」
「つらいと言ってくれてありがとう」
「今日は教室にいなくてもいいよ」
「保健室で少し休もうか」
「次に来るときの方法を一緒に考えよう」
Nさんの中に残った学校の記憶は、少し違ったものになっていたかもしれません。
不登校支援で大切なのは、子どもを教室に戻すことだけではありません。
その子が、「自分は大切にされている」と感じられること。
「つらい」と言ったときに、罰ではなく支援が返ってくること。
「学校に行ってみよう」と思った小さな勇気を、大人が壊さないこと。
それこそが、本当の教育です。
Nさんとご両親が受けた傷は、簡単に消えるものではないでしょう。
けれど、この記事を読んでいる方に伝えたいことがあります。
学校に行けなくなった子どもは、弱い子ではありません。
助けを求めた子どもは、わがままな子ではありません。
子どもを守るために学校から距離を取った親は、間違った親ではありません。
子どもの心が壊れそうなとき、学校よりも先に守るべきものがあります。
それは、その子の尊厳です。
安心です。
「自分はここにいていい」と思える感覚です。
教育は、子どもを廊下に出すためにあるのではありません。
教育は、子どもがもう一度、自分の足で歩き出せるように支えるためにあるのです。
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