いい音、良い音、好きな音

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音声・音楽
音楽は不思議だ。

それはいい音が必ずしも正解ではないということ。

まずリスナー目線で話そう。


いきなり結論。どんな高級オーディオで曲を聴こうが、壊れる寸前の ボロオーディオで聴こうが、本人がその音楽に陶酔して、感動することができたらそれでよいのだ。


古いラジオデッキなんかはオーディオ的な観点から見れば、音質に優れているとは言えない。むしろ悪い音がしたりする。
しかし、そこから聴こえたロックンロールが当時どれだけの若者を熱狂させただろうか。

今私たちはスマホから流れた音楽を聴く機会も増えた。
それでも感動できれば、それはそれなのだ。
オーディオに何百万とかけている人たちはその行為自体に価値を感じているので、またベクトルが違ったりする。

音楽を失いつつある、私たちの暮らしでいま必要なものは、音楽を聴いて感動できる環境であり、曲そのものではない。
素晴らしい音楽はすでに世の中に満ち溢れている。

なにせ100年分に近い音楽のアーカイブへと、インターネットを通して瞬時にアクセスできる。

我々は全てを抱えているのだ。


感動できるチャンスを全員が持っているのに、それを体験するきっかけやチャンス、情報がないだけなのだ。


少し話が逸れてしまったが、次の話へと行こう。



音楽を作る側の立場から話すとしよう。

いい音とはなんだろう。


ウン百万のビンテージギター、最新のパソコン音源、高級マイクなど
大抵、いい音がするとされるものは高値がついている。
いい音を極めていくとどうなるのか。
音がリッチになっていき、音の細部まで聴こえて、立体感を感じさせる事ができる。

全ていい事のようだが、実は我々作り手はこの、"いい音洗脳"とも言える、<いい音は正義>という強迫観念に常にさらされている。
「いい音でなくてはならない。」と。

もちろん、いい音が悪ということでもない。
ただ常にこう疑うべきなのだ。

本当に出したい音、表現したい音はこれなのか。


その心の声に耳を傾けた結果、いい音が必要ならば、いい音を求めるべきであって、むやみやたらに求めるものではない
いい音じゃないものが光る場合もある。
特にロックやオルタナティブな世界では特にそうだ。
少し汚れた音に色気や、ロマンがある。(これは私の主観)

もしかすると、音楽だけではなく、全てのクリエイターに共通する事かもしれない。
弘法筆を択ばず、という言葉もあるように、優れた表現者には必ずしも優れた道具が必要とも限らないのかもしれない。

ただ、パソコンで作業するクリエイターは絶対パソコンのスペックが高い方がいい笑


それはクリエティブな部分を逆に削がれてしまうので、いい道具が必要。

結局何が言いたいのかというと、クリエイトする人間はイメージが先行するのが自然な形であって、よく分からずにネットなどで評判のいいものばかり買ってばかりいると、全員同じ物を使って、そこから生まれるものも似通って、結果個性の薄いもので溢れた世界になってしまうという事。

言い方にもしかすると語弊を生むような表現があったかもしれないけど、言いたいことはこんなところだ。異論は受け付ける。








































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