勝手に仕事して報酬を要求する

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ビジネス・マーケティング
人のために動いているのに、心が折れることがあります。

一生懸命やった。 時間も手間もかけた。

なのに、思っていた反応が返ってこない。

感謝もない。

喜んでいるのかも分からない。

その瞬間に、体の力が抜けて、もうやりたくないと思ってしまう。

ここで起きているのは、優しさが踏みにじられたという痛みより、

無自覚に反応を報酬にしてしまった結果です。

反応を報酬に据えた瞬間、それは純粋な善意から離れていきます。

誰かのため。

社会のため。

その動機は尊い想いだと感じます。

問題になるとすれば、そこに見返りが混ざることです。

たとえば、身体に良い食材で料理を作ったとします。

相手の健康を思った。

ちゃんと食べてほしい。

喜んでほしい。



でも反応が薄いと、急に虚しくなる。

一生懸命作ったのに。

おいしいね、ありがとうくらい言ってほしい。

そう思った瞬間、その想い、その料理はケアではなく取引に変わります。



これは料理に限りません。

誰かを幸せにしたい。

職場を良くしたい。

社会を変えたい。

このとき、相手の変化や賛同や感謝が報酬になると、

返ってこなかったときに怒りが出ます。

怒りが出たら、次は自己否定か他責のどちらかに転びやすい。



そして、もうやめます、疲れました、になります。

折れる原因は、相手ではありません。

反応を報酬として握りしめているからです。



主体を自分に戻す

折れないために必要なのは、期待を消すことではありません。

行動の理由を自分に戻すことです。

自分が食べたいから作る。

自分がこの味を作りたいから作る。

自分が整った台所の空気が好きだから作る。

この理由なら、相手の反応は関係ありません。

自分の中で回収しているからです。



社会や人間関係も同じです。

自分がこの関係を心地よくしたいから、会話を増やす。

自分がこの状況が嫌だから、できる範囲で動く。

自分が納得したいから、学ぶ。

ここで言う主体は、わがままの正当化ではありません。

他人を自分の報酬装置にしないための主体です。



期待を手放すとは、回収をやめること

期待をゼロにする必要はありません。

人が期待するのは自然なことです。



ただ、期待を報酬と結びつければ、

返ってこなかったとき、無価値に感じる。

反応が薄いと全部が無意味に感じる。

相手の行動で自分の機嫌が決まる。

期待をしたのは誰ですか。



回収しないとは、気持ちの話ではなく動作の話です。

反応が返ってきた瞬間に、これをやめます。

・返ってきた反応を握りしめて、次も同じ反応を要求しない

・感謝があっても、なくてもいいくらい軽く受け取り、その場に置いておく

・その反応を、次の行動の燃料にしない

これができると、関係は軽くなります。

軽いというのは薄情という意味ではなく、強要が混ざらないという意味です。



反応依存になっているサイン

自分が今どこにいるかは、これで分かります。

・返事が薄いと、急に全部が無意味に感じる

・感謝がないと、相手に敵意が出る

・認められないと、やる気がゼロになる

・相手の反応を想像してからでないと動けない

・疲れより先に、報われないが理由になっている



これが出ているなら、主体を自分に戻すタイミングです。



現象をただ、眺める

期待を手放して主体を自分に戻すと、相手の反応はただの現象になります。

こちらが何かを差し出したあとに、相手がどう動くかは相手の領域だからです。
常に自分がしたいから、そうする。

それが本当にできるようになれば、

相手がそうしたいからその行動をとったことに不機嫌な想いを抱くこともなくなってきます。



その状態であれば、相手との関係も冷静にどうしたいかも見れるようになってきます。
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