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クソバイス

クソバイスという言葉を聞きました。糞なアドバイス。のことを言うそうです。糞なアドバイスとは、ありがた迷惑、余計なお世話等々です。例えば、あなたが悩んでいる時・苦しいのはあなただけではない。・生きたくても生きれない人もいる。・アフリカで難民は苦しんでいる。・日本は世界に比べて社会保証が充実しており、生活保護でもいいじゃない。そんな感じの当たり前のことを言う人です。当然、そんな人に悩みを打ち明けることはしないのですが、勝手に絡んでくる時があります。厄介ですよね。こんな時、対処法考えましたが、対処法すらも考える必要性はなく、コレもやはり、「自分の世界から消す」と言うことでした。自分の世界から消すというのは、実際にデスノートに書いたり、丑の刻参りに行ったりすることではなく・・・。「その人のことを考える時間をなくす」ことです。ただ、この糞バイスはプライベートの知り合いだと「簡単に切れる」のですが、職場だとなかなか難しいです。そのために辞めるわけにはいきません。また、彼ら、彼女らは馬鹿で、人間の「機微」などという繊細な思考や感情は持ち合わせていません。よって、「追っかけてくる」場合があります。どどどどど〜〜〜〜。と追っかけてきます。そして、執拗に「きちんときちんと〜〜!! 〜しましょう、しましょう。 しっかり〜しましょう! 〜が大事でスゥ〜〜。」と言ってきます。正しいことを伝えてあげるのは良いこと。アドバイスをすることで人を「導いて」いる。アドバイスをすることで自己肯定感を高めている。そのアドバイスとは仕事をする時はパソコンの電源をつけましょう。寝る時は電気をきちんと消しましょう。手洗いは
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勝手に仕事して報酬を要求する

人のために動いているのに、心が折れることがあります。一生懸命やった。 時間も手間もかけた。なのに、思っていた反応が返ってこない。感謝もない。喜んでいるのかも分からない。その瞬間に、体の力が抜けて、もうやりたくないと思ってしまう。ここで起きているのは、優しさが踏みにじられたという痛みより、無自覚に反応を報酬にしてしまった結果です。反応を報酬に据えた瞬間、それは純粋な善意から離れていきます。誰かのため。社会のため。その動機は尊い想いだと感じます。問題になるとすれば、そこに見返りが混ざることです。たとえば、身体に良い食材で料理を作ったとします。相手の健康を思った。ちゃんと食べてほしい。喜んでほしい。でも反応が薄いと、急に虚しくなる。一生懸命作ったのに。おいしいね、ありがとうくらい言ってほしい。そう思った瞬間、その想い、その料理はケアではなく取引に変わります。これは料理に限りません。誰かを幸せにしたい。職場を良くしたい。社会を変えたい。このとき、相手の変化や賛同や感謝が報酬になると、返ってこなかったときに怒りが出ます。怒りが出たら、次は自己否定か他責のどちらかに転びやすい。そして、もうやめます、疲れました、になります。折れる原因は、相手ではありません。反応を報酬として握りしめているからです。主体を自分に戻す折れないために必要なのは、期待を消すことではありません。行動の理由を自分に戻すことです。自分が食べたいから作る。自分がこの味を作りたいから作る。自分が整った台所の空気が好きだから作る。この理由なら、相手の反応は関係ありません。自分の中で回収しているからです。社会や人間関係も同じです。
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