外から見られる私と、好きに生きたい私

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人と比べても意味がない。

頭では分かっていたとしても、比べてしまうものです。
これは性格とかではなく、経験からくる反射のようなものです。



比べた瞬間、あなたは他人を見ているようで、

自分が裁かれる気配を嗅いでいます。


置いていかれるかもしれない。

価値が下がるかもしれない。

仲間から外れるかもしれない。
その不安を急いで消すために、頭は順位を見にいきます。



ここで、私の中は三つに分かれます。



外から見られる私
人の目、評価、常識の採点表で生きようとする私です。
空気を読み、正解を探し、はみ出さないように整えます。



好きに生きたい私
本音、感覚、望みで動きたい私です。
面白い。やりたい。違うと思う。

そういう素朴な衝動から始まります。



そうせざるをえない私
外から見られる私を前に出す私です。
これが弱さではなく、生き延びるために作られた反応です。

常識を詰め込まれてきた。
はみ出ると怒られた。
周りと違うと浮いた。
浮いた結果、寂しい想いをした。



だから、外から見られる私が前に出ます。
勝つためではありません。

もう二度と寂しい目に遭わないためです。

そのために勝つ必要があると考える。


比較の正体は、欲張りではなく予防です。

大人になると、この反射はあちこちで作動します。

仕事では、成果より機嫌が優先されます。
評価が下がりそうな場面で、必要以上に頑張る。
断れない。

提案できない。

空気を壊せない。



人間関係では、嫌われない動きが先に立ちます。
相手に合わせすぎる。

顔色を読む。

言いたいことを飲み込む。
それで疲れます。

疲れているのに、やめられない。


外から見られる私にとって、止めることは危険です。
止めた瞬間に、寂しさが戻る気がする。

そこが怖い。



事実として恐怖が動機の行動だと、恐怖は終わりません。

恐怖は、満たして消えるものないからです。


一度うまくいっても、次はもっと失うのが怖くなる。
安心は一瞬で、警戒は長持ちします。
成功は恐怖を消さず、基準だけを上げます。

つまり、恐怖を燃料にする限り、人生は警報の後追いになります。
今日も明日も、また安心を買うために動くことになります。



では、どうするか。
外から見られる私を消す話ではありません。
舵を握らせっぱなしにしないだけです。

比べた瞬間に、次を確認します。



一つ目
今、私は何を恐れているのか。
嫌われることか、見捨てられることか、価値が落ちることか。



二つ目
それは今の現実の危険か。
それとも過去の記憶が鳴らしている警報か。



三つ目
好きに生きたい私なら、今どう動くか。
小さくていいので、ひとつだけ選ぶ。



たとえば、
返事を急いで気に入られるよう動く代わりに、落ち着いてから返す。
断れない代わりに、条件を一つ付ける。
無難な意見を言う代わりに、違和感だけを一行で出す。



この小さな選択が、動機を変えます。
恐怖で動くのではなく、自分の感覚で動く。
それが増えるほど、外から見られる私は暴走ではなく、どうしたいかが動機になります。





私は本当に、外から見られる私として生きていきたいのか。
私は本当に、比較して生きていきたいのか。
恐怖を燃料にしないとしたら、私は何を燃料にして生きたいのか。

疲れているのであれば、なぜ疲れているのか考えてみてください。
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