視点がまだ育っていないとき、私たちは外の出来事に強く反応します。
「気に入らないあの人のせいで、今日はイライラした」
「もっと認めてくれる人がいたら、私はやる気が出るのに」
「環境さえ整えば、私だって本気を出せる」
こんなふうに、自分の感情の責任を外に置いてしまうとき、
私たちは「外の世界」が自分を左右しているように感じます。
この見方はとても自然ですが、同時に、生きづらさを感じやすい世界でもあります。
「気づいたのに、世界が変わらない」と感じるとき
やがて、「このままではいけない」と考えるようになります。
社会の矛盾や不公平、人間関係のすれ違いに目が向きはじめます。
「なぜ人は争うんだろう」
「なぜ権力は腐敗してしまうんだろう」
「なぜこの世界には、こんなに理不尽があるんだろう」
こうした問いは、とても大切な目覚めのサインです。
けど、ここで立ち止まってしまう人も少なくありません。
気づいたはずなのに、現実はあまり変わらない。
正しいと思うことを伝えても、誰にも届かない。
それどころか、孤独や怒りが増えてしまう。
すると、「自分が変わればいい」という意志が、
いつの間にか「周りを変えなければ」という焦りに変わっていきます。
気づけば、正しさを証明するように戦っていて、
敵をつくってしまっていることに、ふと気づくのです。
視点が変わると、世界の色が変わっていく
さらに深く視点が変わるとき、こんな感覚が生まれます。
「外の世界を変えようとしていたけれど、
本当はずっと、自分の見方が現実をつくっていたんだ」と。
たとえば:
イライラしていたから、相手のすべてが嫌に見えていた
世界が冷たいと思っていたから、誰の好意も信じられなかった
自分が正しいと思い込んでいたから、他人の言葉を受け入れられなかった
この視点に立つと、現実はもはや「変える対象」ではなく、
自分の心が映し出された鏡のように感じられるようになります。
そしてどんな出来事にも、
「これは私に何を見せてくれているんだろう」と問うようになります。
この問いかけのなかに、
自由に視点を選ぶ力が、芽生えていきます。
戦わないことは、あきらめることではない
「調和」とは、なんでも我慢することではありません。
本当に違和感があるときは、ちゃんと「NO」と言ってください。
ただ、そのときに大切なのは、どんな意識でそれを伝えるか。
怒りや恐れからではなく、
静かな意志から選び取ることができれば、
それは「従う」のではなく、「選ぶ」という調和になります。
存在するだけで、意味がある
誰かと違っているからこそ、意味がある。
うまくできない時期があるからこそ、学びが生まれる。
すべてが自分のために起きている、すべての存在は大切な構成要素。
優劣でも、正誤でもなく、必要な違いとして存在しています。
だから、まず否定ではなく、理解すること。
それが、自分や他人との関係をやさしくしてくれる鍵になります。
視点は、いつでも変えられる
「私はまだダメだ」なんてことは、ありません。
私たちは瞬間ごとに、無意識に視点を行き来しています。
だから大事なのは、今どの視点にいるかを、気づくことだけ。
怒りに巻き込まれているなら、
「あっ、今そうだった」と気づいた時点で戻ればいい。
正しさで相手を裁いていたなら、
ほんの少し、力を抜くだけでいい。
意識はいつでも選び直せる。
その選び直しの積み重ねが、現実を少しずつ変えていくのだと考えています。