仕事を選ぶという感覚
就職というとまさに「仕事に就く」わけだが、それは会社員とか公務員とか、何かそういう仕事に従事することを意味しがちだ。それが悪いわけではないが、それが多い。大学で新卒でフリーランスというのはそれほどないというか、あるのは稀だと思う。ないわけではない。
仕事をスーパーではないが、そこで刺し身、切り身として魚を買うように、仕事を買っている。という感覚が僕にはある。くどいが悪いわけではない。
気になるのは、魚ってスーパーでしか手に入らないのだっけ?という疑問だ。そう別に魚市場とか、漁港とか、なんなら釣るとかもあるわけで、色々と時間、お金の制約はあるけど、「スーパー」でしか買えないわけではない。やれるかどうかはおいておいて、それができるかもという選択肢を持つのが大事だと思う。
仕事を創るという感覚
次に仕事を創るという感覚は、就くものがないから自分でそれをやろうということだ。例えば、ラーメン屋があってそこでチャーハンを出しているが、チャーハンに合う器がないと感じた。であれば作ってしまって、それをラーメン屋さんに提供する。器を創る仕事が生まれる瞬間だ。
これは冗談ではなく、そういうこともあるだろうし、発想としてはアイデアとしてはそういうものを常に意識してやっていこうという話だ。意識でなく実際にやるというのがポイントだ。
仕事を創るのが善で、選ぶのが悪なんてことは全く思っていない。ただ、なぜそうなっているか。選ぶのが普通ならなぜなのか。創るのは異常ならばなぜなのかを考えてみたいというわけだ。
選んでも作ってもなんでもいい
ぶっちゃけてしまえば、選ぼうが作ろうがその人が、社会が幸せであり豊かであれば何でもいいのだと思う。しわ寄せというのは弱いところに来るのが通念というか、よくある話だと思う。
なんでもいいのだけど、あれこれおかしくないか?という時に、ただ弱いからそこで終わるというのはなんとかならないかと思ってしまう。
例えば、選びたいけどうまく選べなかったとかでもいいし、失敗したらそれでリカバリーできないとかもなんか違うということ。創ってもそれもうまくいかないなら何度もやり直せること。
要するに色々やれるという社会でないとしんどいなと。
だからこそ、選ぶだけでなく創るもやはりないといけないし、どちらもやれるし、選んで創ってを繰り返したりとか、そういう社会がいいなと思うので自分もそういう社会を創る一員というか、そうやっていきたいなと感じた。