遊びは潜在を顕在にする力がある

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先回、遊びしか創造性を作れない的なことを書きました。
言い過ぎ?ではなくその通りだなとさらに強化してみたのが今回の話題です。

顕在は合理にひも付き、全て持っていかれる(笑)

顕在とはすでに見えていること、既出といってもいいし、知られていることなど既知といってもいい。当然それは人や社会によって異なるのでこれとは言いづらいですが、常識やルールというのもそれに当てはまります。

潜在はそれらが見えない、つまり埋もれていたり気付けないようなことです。

世の中の見方なのですが、顕在と潜在ってどういう割合だと思いますか?学べば学ぶほどわからない事が多いという人はおそらく潜在が多く8割とか。逆に、学びが少ないと知っていることが多い(と思ってしまう)ので、顕在が8割かもしれません。

ここでは割合はどうでもいいのですが、僕は2:8=顕在:潜在かなと感じています。それくらい見えてないのが多い。もしかして、1:9かもしれない。わからないですが、潜在が多いなという感覚があります。
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そして、ここで問題は、アイデアとか企画とか、視点とは、顕在にはないんですね。

はい、これは何度も書いていますが、見方であり、とらえ方、認識という話です。それらは、顕在として「見えているもの」をじっと見ていても駄目でして、正確には観るですね。見てそれは何かを考えるとか。そうしないと、「見たもの」しか処理できない。つまり、顕在は顕在で引っ張られるし、例えば「豆腐」という「物質」は豆腐しか見えないですよね??

しかし、豆腐を「トレーニングするためのそっと動くパートナーだ!」なんていえば、これは豆腐を崩さずに動くための鍛える道具になる。

やや飛ばしたのでそれはない!?と怒る人はいないでしょうが、とはいえそれくらいでも理解はできるんです。これが顕在でなく潜在です。視点って多分、顕在でやっているわけじゃないのでは?

というのが気づきでした。

遊びとは、潜在にアクセスして、顕在へつなぐ行為

遊びの話をします。

遊びって多分あなたがイメージする通りで、
・無駄
・有益ではない(意義はある)
・傍から見てわからないことが多い
・合理的ではない
・儲からない(稼げない)
・偶然性、偶発的
・創造性、想像的
・工夫、アイデア
みたいな感じです。

ネガポジありますが、どうでしょうか?あなたのイメージはどういう感じですか?

では、なんで「無駄で合理的ではない偶然性がある」ようなことがあるんでしょうね?DNAなのか?それとも?

多分これは、シンプルに同じやり方をしていては駄目だ、または違うことをやっておいて「人類的に滅亡を避ける」(笑)みたいなことがあるんじゃないかと。でないならば、普通に「人間はそもそも合理的ではない」ってことじゃないかと。感情の生き物だと。でもルールや秩序を作れたから栄えたともいえます(滅亡したみたいな言い方ですが・・・(笑))

ちょっと誇大過ぎたかもしれませんが、戻していくと、やはり遊ぶことで、脳が楽しいわけです。儲からないし、効率性もない。だけど、ただただ面白い。エンタメとかってそういうものが多いですよね?なんでそんなことするの?って。そういう他者は分からん、そういうものが遊びといっていい。

そして、その遊びで得たパワーや充実さ、発見、学び。それが想像や創造といっていい。気付いたら?そうです、「顕在」に行くわけです。

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当然、
・遊ぶ
・気付いた
・潜在から顕在へ
みたいなものも「効率的かつすぐに」できるわけではないんですよ。
これがアイデア出しにおける合理的ではあるが、内実はかなり非合理であるという話とまさに合致します。つまり、ひたすらインプット→思考→アウトプットなんていってきたし、その通りなんですが、それって合理的のように見えませんか????

でも、合理的とはいってなくて、そのようになるのであって、むしろそれぞれで非合理なんですね。いつ思考になるか、いつアウトプットになるかは言えないわけです。言いたいんですけど、秘密でもなんでもなく、なってないというか。僕が賢くないだけなら話は終わるんですが、多分そうなっていないはずです。誰かが明言して「アイデアはこれをすれば3時間後に出せる」とかって聴いたことないですよね?あれば教えて下さい(笑)

そうやって、遊ぶことで、偶然ですけど気づく。そのためには、遊んでいって、気づくこともあればないこともある(笑)当然ですよね。そして、潜在的に気づいていたことが顕在的になっただけかもしれないし、未知過ぎるならやはり分からないし気付けない。なんとも厄介です。

厄介なんですが、だから、遊ばなきゃいけないんですね。「強制」ではないですが、遊ぶ量が多ければシンプルに、潜在が顕在化する。つまり気づきが増える、アイデアが出る、アウトプットできるってことです。

遊ぼう!ひたすら遊ぼう!

結論としては、遊ぼうってことです(笑)

別に何かやりたくないから、遊びに逃避ってことではなくて(笑)
シンプルに、アイデアを出すなら遊んでいないと、顕在アクセス率が高すぎて、これは頭が硬いということになります。潜在にアクセスできるか、または言い方を変えるなら違う視点や見えてない(今あなたが豆腐は食べ物しか見えないなら、頭がもしかして硬いかもしれないわけです。絶対ではないですよ!)なら、潜在に行けてないわけです。

遊んでいるからアイデアが出るというと、遊んでいる人はアイデアマンのように思えます。正確にいえば、そのままとらえないとか、顕在や予定調和の世界にどっぷりいない。ずらしたり、揺さぶったり、疑問に思ったりということをする。それが顕在を崩し、つまり固定概念を外そうとして、潜在的なものを見たり、または自分の中で気づく。

そういうことをしているのかなと思ったわけです。

あと、誤解を恐れずに言っていますが、遊んでいればいいわけでなく、ずっと「鉛筆飛ばしゲーム」をやっていたらうやはり駄目なので、バランスはあるわけです。ずっと「無駄」として遊んでいると、それも飽きます(笑)不思議ですよね。それが多分「飽きた」ということは、次は仕事なり、やるべきことをやってくださいと(笑)

当然、遊びがやるべきことであることもあるのでそこはバランスかなと。

よって、「遊びが潜在にアクセスして、顕在につなぐコミュニケーション手段」かも説ということになります。仮説ですが、この感覚でどんどん僕は遊んでいこうと思います。

今回は以上です。
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