仕事を真面目にやるなということでなく、シンプルに「仕事」=言われたことという定義だと、多分頭打ちになるという話です。耳が痛い人は多分読まないと思うので、多分そんな感じで考えていくと動きやすいかもという話です。
なので、結論としては、
・遊んでいこう
・仕事「も」楽しもう
・得た学びを遊びにも、仕事にも活かそう
というわりと月並みな着地です。
遊ばないと創造できない
遊びって何か?ミミクリか何か忘れましたがそういう色々な定義や学術的なものもあると。真似をするとか、そういうのですね。
それはおいておいて、遊びって、意外性とか、試したくなる、やってみたくなるという要素があるなと。ゲームってそういう意味で遊びなんですよね(桃鉄で学んでもいいけど、学ぶために桃鉄をやろうって人はあまりいなくて、遊んでいたら地理が頭に入ったってことで、大差なさそうですが、めちゃくちゃ違うわけです)。
シンプルに、仕事の時間で遊べるか?ですが、会社員などの仕事でも別にどういう状況でも「遊び」って入れられると。ただ宅配員がお客さんに荷物で「ダルマ落とし」をやるとかはダメ出し、傘回しみたいにして遊んじゃ駄目ですよね(笑)それは冗談として、例えば「1件あたりどれくらい早くいけるか」くらいはいいわけです。事故とかはダメなので、運転ではないところで試すとかですよね(よく走っている方いますが、それはそうなのかも?ノルマだとしんどいのでわからないですが)。
そうやってどんな仕事でも遊びは入れられるわけです。
ここでいう遊びは「自己裁量」ということです。「自分の工夫」を「自分なり」に入れられて、「自分で試し」て、そして「結果」がある程度得られる。これを満たしていないと、いやいややったり、楽しくないなら駄目です。あと結果がわからないのも駄目ですよね。上ならタイムとかスコアが出るし、わかりますからね。
じゃあこういう遊びって仕事でもいいですが、他でどうやるのだと?結構ないんですよね。例えば教室で習い事をする。華道を習う。いいのですが、華道でも結局遊びはどこか?となる。師匠や先生の教えの通りを忠実にはあるんでしょうが、ある程度やれば「遊び」として、どこかで自分の考えを出していくことになる。その時も「遊び」だなと。遊びがなければ、自分で生み出すってことができないのではないかと。
当然、その前に型とか基本とかはいるんですが、それ以降はわりとフリーダムというか、自分に委ねられるのかなと。
いつ遊ぶのか?
そして最大の課題は、いつ遊ぶかです。子どもは遊ぶ存在なので放置するとして、大人向けです。大人はいつ遊ぶのか?遊んだのいつですか?って感じで忙しいと遊べなくなる。
遊んだほうがいいんですよね(笑)というのが主張です。
時間をとって5分でいいので遊ぶ。鉛筆を回して遊んでもいいんですが、本当にいくらでもやりようがある。鉛筆を紙に垂直にたてて、どれくらい筆跡が残るかとかのゲームやりませんでした?そういうのですね。遊びって。
道具もいらないです。身体でやってもいい。ダンスでもいい。変なダンスを3分やってみたでもいい(笑)
24時間はないとして、寝る以外の時間で、何かやっているときでも、休憩時でも遊んでみたらどうか?というか遊ばないといつ遊ぶのか?
ここで、くどいですが遊ぶ=遊園地や施設で遊ぶ、ゲームやスマホで遊ぶというようなものではない、自分で遊びを生み出して(それが既存のものでもいいので)、その場でやってみる感じをここでは「遊び」といっていまさう。
遊ぶことで創造性を生み出して効率化する
創造性に効率化はないと思います。むしろ、創造とは無駄をつくることかなと。
つまり、
・創造性は遊びからしか生まれない(多分)
・遊ぶことで創造性が生まれて、仕事や何かプロジェクトなどに寄与する
・生産性が上がるとは、仕事が短時間で切り上がるとか、視点を変えた提案ができるなどのこと
・それらを活かしてさらに遊ぶ、そしてまた活かすの好循環を生み出す
というイメージです。
別に生産性が低くて遊びココロがない、ルーチンを否定するのでなく、それだけではしんどいかなと。なので、違うところにも散らしたほうがいいのでは?というところで、いきなり、右上はしんどいので、右下くらいをちょいちょいやっていくには「遊ぼう」ってことになります(笑)
なので、誤解がないようにいうと、
「遊ぶこと」を効率化しては駄目なんですね。遊びは非効率であり、感覚であり、主観であり、無駄づくりに近い。
先程の「鉛筆の筆跡競いゲーム」って意味わからないって人もいると思うんですよ(笑)効率も何も、そういうものですから。逆に「そういうのいいね」って人は、まさにそれです。それをどんどんやってください。
そして、そこで得た創造の種とか、想像の花みたいななんでもいいんですが、想像/創造ができるからそこを楽しさにしていくと。多分これ言語化できないほどのパワーがあるんですよ。
その1部でも1mmでもいいので、仕事や何かに活かすと、もうものすごいパワーになるんじゃないか説ということです。
そして断言しそうですが、遊び以外で創造とか想像って得られるのかです。本とか、動画とか、体験とかでもありですが、そういうものって「遊ぶ」要素がるんじゃないかなと。当然それを「遊び」と言わない人もいるんですが、自分で楽しんだり、ルールを作ったり、無駄なんだけど楽しいとか、集中してやっているとか、効率とか関係ないとか。そういうので、自分だけでもいいし、人とコミュニケーションすること。それが遊びなんじゃないかと。
遊びを馬鹿にしている人でアイデアマンっていないと思っていて、そこが一つの分水嶺であり、それを試すことで試金石ともなりそうです。
というわけで、なんか調子悪いなとか、時間ががないなという時ほど、「遊んで」みましょう。そこに遊びがないから回ってないだけかもしれません。違ったらごめんなさい(笑)
補足:忙しい人ほど遊んだほうがいい
やることが多くて大変で遊ぶ時間なんてないよ。そういう声はめちゃくちゃありそうです。なのですが、体感として色々やっている人ほど遊んでいるなと。なぜか?それは、遊ばないとストレスになるし、想像/創造してないので面白くないからですね。継続できない。
一番筋が悪いケースはおそらくですが「忙しくてやらされていて、ストレスフル」で「遊んでいない」というところです。ここで「遊んでいる」ところでなんとか粘れることが普通ですが、ここでいう遊びが「消費」だとしんどいはずです。それは、高い車とか旅行とかいわゆるお金を使った消費です。それを否定しないし使ってもらったほうが経済としてはいいのですが(笑)一方で、消費では「生産」が得られません。もっといえば、「創造」「想像」は生産の種であるんですね。
例えば、小説を書くことで満たされる成分は、「消費」では満たされないんですね。消費とは「小説を買う」とかですかね。読めば少しは異なりますが、ましてや「本を読む時間がないので、小説を誰かに読んでもらって感想を述べてもらう」って、ここでは笑い話になりますが、こういうことに陥ってないかはよく注意深く観察したほうがいいのかなと。僕もやっているかもしれません(笑)
よって、忙しい人と思われる人がよく遊んでいる=傍目から見ると、充実していそうな人は、多分そういう仕組みで回しているのかなと推測します。そうすると、多少やらされたり時間がとられても、遊びで挽回して息を吹き返す感じがするからですね。