認識(知覚)を変えることで行動まで変えられるはず

認識(知覚)を変えることで行動まで変えられるはず

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ビジネス・マーケティング
認識→意識→行動ってことで人は動くのではないかという話です。ある記事を見てたらあったので。

ということを考えていって、ある「猫の足跡がつく洗濯クリップ」の話題を見つけました。SNSでもでてるかもですね。気になる人は調べてみてください。

ここでの視点が面白く、「洗濯ばさみ」で付く「跡」って普通はネガティブです。跡がついてしまうので服が着られない、跡がつくので消えるまで待つなど。しかし、「猫の足跡」なら可愛いからつけてしまえというわけです。

その逆転の発想自体はとても良いのですが、今回はその視点自体をどう手に入れているか?を少し考えてみました。

「跡がつく」というのは「正しい」認識である

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まず「跡がつく」のを見てあなたはどう思いますか?
従来は、多くはってことですが「跡がついた」→「やだな」で終わるわけです。世界はここで終わります。

ですが、ここを「可愛い」と思えるどうかです。
ではこの「可愛い」って誰もが思えるかというとそうではないですよね。特別な人だけなのでしょうか?先天的な才能としてのセンスがある人なのでしょうか?

僕はそう考えてないです。トレーニングで習得が可能という立場です。

そうです。ここで「可愛い」とはある種の誤りなんですね。正しさとは、「跡」は駄目だと思いこんでいるわけです。正しい世界にいる限りこれは一生見えないわけです。気付けないというか。

バイアスを外すとか、固定概念を変えろ!っていうのは簡単です。ですが、同時にそういう「夜道を一人で歩かない」というのはバイアスですが、というかそうでないと襲われたりすると。日本でもですよね。

そういう危険認知において、バイアスはとても大事です。だから「バイアス」が完全悪なんて思ってないし言ってないんですね。ここでは新しいことをやるとか、企画とか、起業をするとか。そういう新しい事をやる時において「バイアス」はまあ障害になるよと。そうでないなら、あって当然なんですよね。

つまり、
・バイアスは新しいことを考えるときは障害
・しかし通常時は自分の身を守る考え
となり、真逆になると。このモードの切替こそが難しいというか、やりづらいわけですよね。

意識はおそらく認識の積み重ね。行動はその結果といえそう

僕の考えですが、意識を変えるってかなり難しいです。

日常生活の判断、知覚というところでいえば、認識が何度も出てくる。そこでどう思うか、感じるかがあると。その積み重ねで意識が変わる気がします。正確には、意識も認識の中に入るはずですが、知覚したものをどう処理するかって、無意識もあるので意識下だけでの話もでないんですよね。

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僕らができることみたいなことですが、「知覚」という認識かなというのが提案です。意識も変えられるのですが、それってその「知覚」「認識」のあとです。

アンテナを立てるとか、カラーバスのように「赤色」を集めるとか、「何か面白いネタはないか」というのはありです。ただ、これって意識しても「知覚」として、「はい。あなたは洗濯バサミのあとを見て・・・どう思う?」というときに、「やだなとおもった」で終わるんですよね。これはこの「洗濯バサミのあと」という知覚、認識でしかないんです。

ここが変えられるかです。正確には、
・やだな
・跡が何か違うならいいんじゃない?
・足跡かわいいよね
っていうのが同時多発か、何度も考えることで知覚、認識が変わってくるというイメージです。だから、発案者も最初から「跡が可愛い」なんて思っているはずはなく(多分ですが)、「足跡は可愛い」「猫は可愛い」というのが、「跡がかわいい???」みたいな感じになって「知覚」し「認識」した(知覚も認識もここでは同一として扱っています)わけですね。

だから鍛えられるべき、というか鍛えるべきは知覚であるし、認識であると。その後に意識とか行動はついてくると。

当然ここで行動をしたらあとで変わるとかもあるんですが、行動できる人はそれでいいんですよね。または行動ベースが強い人は、振り返りが苦手だったりするので、振り返りでは結局認識するし意識になるので、結局どちらもやらないといけないと僕は考えています。(なので、行動すればいいとか、意識さえあればいいとかにはならないです。両方大事です)

1ms(ミリセカンド)でも違う認識を入れてみる

最後は提案というか考え方を示します。

行動とは先の通りで、意識が変わったあとの話です。認識変化後といってもいい。なので行動はスルーしてください。

次に、意識です。意識は「高い意識」とかで変えられるのですが、高い意識ってなんですかね?というわけで、どこまでやれるかは謎です。あと集中として意識コストは高いです。1時間も集中すれば大変です。「ずっと面白いものはなにか?」と見続けるのはかなり疲れます。僕もある程度はやっていますが、集中して見続けるなんて日常生活の中で本当に少しの時間だけです。下手すれば数分であり、一瞬です。
なので、意識を変えろって結構無理な話なんですよね。コントロールできないというか。

最後に知覚であり認識です。
見たものをどう思うかは感情で、反応で対処しがちです。本記事を見て分かりづらいなと思う人もいるかもしれませんが、面白いなと思う人もいるかもしれません。

そこは色々あっていいのですが、バイアスがかかっていることもあるわけですよね。生理的に無理なら仕方がないです(笑)が、そうでないなら、なんで嫌なんだろうとか、好きなんだろうかって考えられるというか。

動物ではないので、感情で全部処理しないですよね。そうしていたら論理も秩序もルールもない社会になっていますから。そうは多分なってないですよね(笑)

だから、見た時にその反応した最初のそれ以外にないか?を考えることが一つのおすすめとなります。

これは時間はかかるのですけど、意識のコントロールもできるし、感情もある程度押さえられる。そしてここにおいて発想のチャンスは生まれる。何msの話かもしれないし、何フレーム(格闘ゲームでいう1秒間は60フレームなので、1フレームは16msくらい?なので、一瞬すぎる)か分からないですが、1フレでも早く認識でポジティブがあれば、後で上書きできればトータルで、「良い」感覚になるんじゃないか説です。

よって、
・「知覚」した瞬間で感情でとらえつつも、別の見方ができないか?という問いを持っておく。
・または問いを持っておいていきなり全て考えずに、10回に1回程度は「感情」でない「反応」で考えてみる
・知覚として認識として違う物が出てきたら成功で、それをメモしたりしていく
・すると意識も変化していく
・最終的には意識が変わるので、行動にも転じていく

簡単にビジュアル化しておきます
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これによって、おそらくですが、洗濯ばさみの跡が「嫌」というだけの人が、「洗濯ばさみの跡も可愛いから商品にできるね」までいけるようになるというわけです。あくまで僕の仮説です。

ここでこれらをすっ飛ばして、簡単に商品になるアイデアみたいなものがどこかに落ちている(日常にある)とかはないんですよ。これは前書きましたが、あるとは認識(アイデアメガネとして説明したはず)の違いであり変化なんですね。認識が色々持てる人がアイデアマンであり、視点を持っているというだけになります。
そしてその認識を変えるための一つのやり方として、逐次処理するものを一旦保留して感情ありでいいので違うことができないか?問いかけというのが一つのテクニックですがそれが一つでも持てれば「気の利いたジョーク」すら簡単に出せるわけです、きっと。





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