日常生活においてアイデアはあるとかないとか、色々書いていますが、これってやり方みたいな技術ではなくて、感覚や反応、反射に近いんじゃないかと。ただ、反射レベルに高めるのって結構手前味噌ですが高度と思われるかもです。実際に訓練して自動化するというか、反応する練習をしないといけない(最近の本で反応しない練習なんてあったような気がしますが逆にこれは瞑想みたいなもので、方向性は逆ですが)かなと思ったネタです。
わくわくの探し方ループサイクル
概念図みたいなものです。文字をなくすことで、概念を入れて読んでねみたいな(笑)テンプレートっぽいですが、こんなテンプレないはずです(笑)
例えば一例ですが、どこからでもいいですが、丸の中のイメージは、
(何か生活をしている)
・散歩をする
・何かに気づく
・反応する、考える
・メモする、伝える
・学びがある、面白い
・面白いから、また散歩しよう
みたいな、感じです。
散歩の中で何かに気づいて、話のネタでもいいし、アイデアでもいいし、仕事の改善方法でもいいし、組織のあり方でも、社会課題でもいい。この粒度は様々で、人次第です。または人によってのコンディションとか体調もあるし、気分がいいから一杯引っかかるとか気にならないとかもある。というわけで変数はめちゃくちゃあるのでそこはスルーします。
ここで言いたいのは散歩をしようではなくて、「面白い」から「また散歩しよう」というところです。
つまり、図でいえば「ハート」は「面白さ」でありある種「愛」なんですよね。物事や事象への愛といってもいいし、まなざしといってもいい。そういうものです。ここでは僕はシンプルに「面白い」「楽しい」「わくわく」といってますが、それでいいのかなと。
そういうわくわくが、既存行動(散歩習慣がゼロの人なら、通勤通学でもいいし、なんでもいいのですが)において、それがあるか。勉強とかでも、仕事でもいいんですよ。この数学学んでいると「わくわくする」なあとかでも、資料作成すると「なんか面白いこと多いよな」とかでも。またはもっとざっくりで、「あそこの取引先行くと元気になるよなあ、なんでだろう」とかでもいいんです。
そういうワクワクが、既存行動で見つけられるか、そしてそれをもっとやろうと思える程度の(燃料としてのわくわくとして回す程度でもいい)ものかどうかだけなんじゃないかなと。
って意味でワクワクし続けるって難しそうでめちゃくちゃ簡単かもしれないです。
ワクワクの閾値を下げろ!
これは幸せという概念でも同様です。「ああ幸せだな」というのは、あなたはどういう時に感じますか?多分何気ない時なんじゃないかと。それを感じたことがない人は想像してもらうしかないのですが「幸せを感じたことがないからだめ」なんて思わないです。別の言葉とか、感覚でも一緒かなと。
例えば、「わくわくしている」時です。これ幸せじゃないですか?そうでもない?人によって幸せの定義があるかもですが、定義するほど難しくないかなと。世の中としてたまにあるのはお金が困らない程度にあるとかですが、いいんですがそれって僕としてはズレているかなと。その時点でお金が不足しているわけですが、では「十分にお金を得たら何をするか」というと、結構こういうケースってとくにないんですよね。ただ生きたいと。それも否定しないのですが、ってことは?「そうただ生きている」今で幸せじゃないですかね。って思えるかだけなんですよね。思えない人が多いのかなと。
なぜか?ここで閾値です。しきいち、いきち、どちらでもいいですが、それを感じる目安というところです。低い方がいいってことです、って僕は思いますってことですね。
例えば、笑いです。「例えば、雲の形がお尻みたいだね」だけで「面白い」人もいるわけです。あなたはどうですか?もっと面白いネタがいい?
「歩いてくる人が一人だと思ったら、二人重なっているようにみえた」とかもありますよね。これも駄目?
まあ、なんでもいいんですよ。それって「日常にあまり起こらない非日常な特殊なこと」でなくていい。信号を気持ちよく青信号で通過できた(車なり乗り物でなくても、徒歩でもありますよね)とかでもいい。この時「幸せ」を感じるかどうかはおいておいて「ラッキーだな」くらいはありますよね。では、このラッキーだから?「ああ今日もよかったな」って思えるかどうかです。
思えないから駄目とかでなく、思えることで「既に1日が満たされる」わけです。宗教みたいに思うかもですが、これを強要する意図は全くなくて、その程度によるんだろうと。つまり、「自分の推しが地元に来る」だけでも、その日嬉しいみたいなのは共感してくれる人いるのかなと。これでもう「尊い」し「1日何事も嬉しくなる」とすごいですよね、推しって。
ってことは、ワクワクするも同様でして。あ、これ面白いなと。靴の色がかっこいい人がいたとか、それだけでもいいんですよ。ちゃんと観る(見るのでなく)、ちゃんと考えるというか。全部やっていたら、散歩10分するだけでも、1000くらい確認があるかもしれない。なのでそこは全部は現実的ではないので、でも、1,2はあっていいですよね?というのが僕の提案です。
そういう厳選された1,2は面白いか、その人が反応したり、感じたものなので、何かあると。何もないこともありますけどね(笑)ただ、反応しただけでワクワクとか何か感情が得られたといえる。
ここでは、散歩して見て得たまでですが、上のループサイクルだと、せっかくなので「こんなことがあってね」と話すか、書くとか伝える。それで反応を得る。までいくといい。無理してやらなくてもいいですけどね。そして、そこでさらに「面白さ」に気づいたり、「え、そっちが面白かったんだ」とか、または「その視点で見るのか」と面白さではないものを得るとかもある。ってやっていくと、次にもっとやろうとか、またやろうとなる。
それ「だけ」なんですよね。小さいことを集めていけばいいみたいな感じよりも、結局その最小の細かい行動、動作みたいなものが、「ここでは仮に散歩する」ってことにしましたが、そこで得られるか。閾値が低ければ得やすいです。
閾値が低いと反応しづらいのかも
それで高いとどうなるか?「散歩?何もないよ」とか「毎日?いや毎日同じだね」とかってなっている人は、すこぶる話が面白くないわけです。話がないといっていい。それは本当に「見ている」「聞こえてる」のだけど、「観ていない」し「聴いてない」からです。入っているが得ていないってやつですね。実質それは、ここでは「反応できてない」部類に入ります。
反応をしすぎるのも問題ですが、しなさすぎるのもどうかなと。
そして、しなさすぎることで、幸せでもワクワクが感じられないならそれはちょっと待ってくれというのが今回のエントリの主張です。
という時に、サイクルがあるし、閾値下げることでできることがある。具体的にはもっと言えそうですし、そこって見たい人がいるのか、反応したいのかは正直わからないです。
例えば、幸せになりたいという人は幸せでなく「お金が欲しい」だけだったりすると。その時、お金が欲しいといえばいいし、お金で何もしたくなくて、ただお金があればいいといえばいい。という人ってあまりいなくて、なんか違う言葉でいいますよね。なんでかというと、正解として「お金があることが悪い」ということは「あまり」なくて、批判されづらい、正解みたいなものがあるんじゃないかと。その人がそう考えるってことですよ。
そういう正解、レール、多数の一致みたいなのを大事にしているわけですが、それが本当にその人が考えてたどり着いたならいいんですよ。でも多くはそうでなくて、単にそういうものといっておけばいい。端的にいえば浅い思考ですが、思考の深さを問題にしたいのでなく、また深ければいいのではなく、それでいいのかってことなんですよね。ここで「これでいいんですよ」という人に僕が何かを言う事はないし、それっておせっかいですからね。あと対立になりやすいですよね。
というわけで、わくわくとか面白いとかってことをしたいのであれば、というか多くの人はそう考えていると思っているんですがそうではないかもしれないってことです。そのうえで、新習慣でじゃあ散歩だ!ヨガだ!ってやると三日坊主で終わりがちです。なので、既存の行動、通勤の歩きで「面白いものをさがす」「反応する」ってことを意識すると、もしかしてそこからワクワク習慣やワクワク生活が始まるかもなと。
そして、一応ですが、僕はそういうことをしているので、毎日の生活が今日が昨日と同じとか、明日と同じということはないし(同じような生活をしていてもですよ)、または散歩してなんか面白いネタを拾うことができます。落ちているんじゃないんですよ、正確には刺激をもらって考えたり気づいたりするってことです。このあたりは前書いたので見てもらえると面白いかもですね。
上のエントリだと、「かんさつ」という言葉を使っていますね。今回でいえば「反応する」ってことですね。「かんさつ」の手前にあるかもしれないですね。なんかあるぞと思って見るとか、刺激に対してスルーせず受け入れるみたいな感じです。自分を通さずに外界で処理でなく、自分を通して感じて内界を通していくと。ここが大きな違いですかね。
今回はこのくらいで。