インプットの仕方の話です。術というと言い過ぎかもですが。
で、これ詰めていくと、結局は「日常生活において、如何にストレスをかけずに、自然に、見たり楽しんだりをやり続けられるか」ってことになるんですよね。って結論になっています。違和感発想とか、前書いた「営業車発想」とかってピンと来ない人もいるかもですが、本質的に自分でピンとくるのを試行錯誤して「編集」「加工」して取り入れるしかないかなということです。
本を読むでも色々ある
例えば本を読むというのは、インプットとしては「ありふれた」やり方というか、対象ですよね。多分ですが。
じゃあ何でもいいから読めばいいのかというと、基本僕はそれでいいと思うのですが、「ある1冊を読めばインプットは終わる」なんてことはないわけですよ。つまり、無限にできるというか。または何度もできるというか。
よって、本を読む行為や行動だけではなにか虚しくなるんですね。よって、ここが難しいというか定量化がってことですが「自分が面白いと思えた」とか「気づきがあったかどうか」「それを誰かに伝えられるか」ってことなんですよね。
ん?これアウトプットでは?ってことに気づいた方はその通りで、インプットってアウトプットがあって循環する感じです。ただ、「アウトプットするためにインプット」というのも、何か鉄の鎖が付いている感もあり「自由度」が低くなると。仕事のためにやらなきゃ、資格のために読まなきゃ。それが「面白い」ならありですが、なんか途端に面白くなくなると。
よって、そういう読むのもいいけど、基本的に先の話で「ストレスなく自然に楽しめる」という行動や行為を増やすこと。が、抽象化したインプットじゃないかなと。
よって、散歩だけでめちゃくちゃ楽しめるならそれが良質なインプットになると。じゃあ、人の散歩術??を見て楽しいならやればいいし真似すればいいですが、その人のように「インプット」できるかはまあ難しいはずです。知覚って同じようなものをみても全然違うことを考えますからね。そこがコピーできないことなんでしょうと。
大いなる無駄、遊びが大事
僕が考えるインプットでいいなあというのは、無駄とか遊びとかです。遊びがいいかなと。
つまり、無目的、目的的ではないってことです。それがやりたいからやる。面白いからやる。そして役立つとかなんてない。面白いからやる。それだけです。面白い本だな、内容だな、気付きが得られそうだな。それで買えばいい。読めばいい。それだけです。
直観って裏切らないのは、そういう想いで買っている、選んでいるならそこまで悪くないはずだからです。想定する内容と違いすぎればそれは駄目ですけど、そこも楽しみつつ。
遊んでいるか?とは、金銭を使って何か消費する享楽(笑)みたいなことではなくて、工夫をして自分が楽しめるようにするかが近いというか。楽しめる=役立つではないってこともポイントですね。
遊べている人はインプットが枯渇することはないと。
冒頭に戻せば、日々日常で、面白いことを探したり楽しいことを自然にやっている人は、いくらでもインプットがるので、ネタに困らないと。それだけなんですよね。
遊び方の解説がいる時代なのかも
ここで「遊び」ってどうやってやるか。その説明も必要な時代な気がしています。とくに、遊ばずに育ったとか、遊んでないまま仕事をやり続けているとか。遊ぶってかなり学びにおいて重要でそこから、様々なことが得られるんですよね。ママゴトとかを馬鹿にするのでなく、ものすごくクリエイティブです。
得たいと思ったら真似する。そこから「ん?本物と違うな」というのは結構人間っぽいですよね。
遊ぶって何かはこれくらいにしますが、公園にいって遊ぶ。大人になるとできないかもですが、全然できるんですよ。子どもは遊べるから。走るだけでももう遊びです。歩くでも歩き方を工夫すればいい。なんでも遊べる。道具もいらない。条件が違うならハンデを入れればいい。だから誰でも遊べることができると。
この遊びをしようって時に何も困らないとか、色々試してアイデアが出せる人はいるわけですが、多分多くの人は困るんですよね。困る人は普段そうやって公園で遊んでいないからでなくて(多分子育てで子どもと一緒に遊んでいてもできない大人が多いという意味)。でなくて、本質的に「遊んで」いないからですね。興味や関心で直観でそれがいいということをやる。
最終的にそういう直観が大事だとなるんですが、インプット術で直観だ!といってもなかなか伝わらないので、だから解説がいるのかなと。例えば公園で遊ぶ100の方法ならみたい人がいるわけですよ、多分ですが。一人で遊ぶ方法とかも、結構面白い切り口ですが遊べるんですよ。そんな感じで遊んでみるといいかもというのが今回の話でした。